50 修復士と故郷
翌朝、一部の者を除き、調査メンバーたちはそれぞれの国へと帰路についた。
イグゼや仲間たちを見送ってから出発しようと、ヴィゼたちはイグゼらと一時の別れの言葉を交わす。
その中に紛れるように、馬の影でエイバはクロウを手招いた。
「クロ、この剣ありがとな。出番はなかったが」
すっかり返しそびれていた、と差し出された黒い剣に、クロウも貸していたことを忘れていた、という顔をする。
「いや……、良ければそのまま、予備にでも持っていてくれ」
「いいのか?」
「わたしは使わないだろうし、何かあった時に切れ味が抜群で安心だ」
「……何かあったら困るんだがな。でも、んじゃ、借りとく」
固辞する理由もない。
エイバは差し出した手を引いた。
それを見ながら、ゼエンにもこのまま持っていてもらうことをクロウは決める。
離れている間の御守代わりに、と。
「レヴァとセーラを頼む」
「おう。頼まれなくっても絶対守るさ」
笑ってエイバは、小さな仲間の背を軽く叩いた。
「……でもお前、俺たちにも<影>、つけるつもりだろ?」
クロウはフイと顔をそらす。
「……別にお前の心配はしていないしレヴァの実力を疑っているわけでもないぞ」
にやにやと笑うエイバにクロウは嫌そうな顔をして、彼に背を向ける。
レヴァーレとセーラとも、話をしておきたかった。
これから、彼女らともしばらく顔を合わせることがない。
<黒水晶>加入以来初めてのことに、寂しさを覚えている自分を、クロウは自覚していた。
そうしてイグゼたち一行を見送った後、ヴィゼ、クロウ、ゼエンは、フルス方面へ移動を開始した。
リーセンが手配した馬車に揺られ、ヴィゼたちの故郷へと向かう。
急ぎの旅ではない。途中でいくつかの町に立ち寄りながら進み、ヴィゼたちが目的地へ到着したのは三日後の昼のことだった。
元アイザラ領は、現在ではその名も変わってしまっているが、近付けば近付くほど見覚えのある景色があって、懐かしい、とヴィゼは目を細める。
欲を言えばもっと晴れていてほしかったが、冬の空は重たい雲に覆われていて、辺りは薄暗いほどだった。
――まさか、戻って来られるなんて……。
国外追放を自分自身で決めた時。
ヴィゼは二度と故郷の地を踏まない覚悟を固めた。
母の墓を前にすることも決してないのだと、諦めていた……。
だが、ヴィゼはこうして戻ってきた。
この地には、忌まわしい思い出も多いけれど。
生まれ育った場所に還れたことはやはり、感慨深い。
「この辺り、だと思う」
墓所に近付いて、ヴィゼたちは馬車を降りた。
リーセンにはこの先の町で宿を取っておいてもらえるよう頼んであって、一旦彼と別れる。
墓参りを済ませたらリーセンと合流し、その後ゼエンはリーセンと王都へ、ヴィゼとクロウは一泊しモンスベルクへ向けて発つ予定だった。
リーセンはヴィゼに護衛をつけたがったが、クロウがいてくれれば十分だと断っている。
遺跡探索の間にクロウがほとんどの危うい芽を摘んでしまったので、そうそう警戒をする必要もないはずだった。
ちなみに安全だけを考えるならば、ヴィゼたちは用が済んだ時点で転移を使って本拠地に戻ることも可能だ。けれどせっかくなので、ヴィゼはクロウとの二人旅を満喫しようと思っていた。
帰るまでにもう少し距離を縮められたら、という思惑もある。
そんな下心を分かっているのかいないのか、クロウは二つ返事で了承した。
いつも研究ばかりで不摂生なヴィゼが「のんびり旅でもしようか」と言い出したことにクロウは喜び勇んでいたのだが、ヴィゼが知る由もない。
「色々変わっているね」
「そうですなぁ……。過去の悪い記憶を消すためにも、必要だったのでしょう」
話しながら吐く息が、白く風に流されていく。
一行の視線の先に、昔は領主の館やそれに関連した施設が建っていたのだが、今は取り壊され、何もない丘陵地帯となっていた。
気候のせいもあってか、付近に人影はない。
しかし、道中の馬車からの景色にあった人々の顔は、冬の寒さの中にも明るく見えて、ヴィゼたちはほっとしたものだった。
「随分綺麗になってるみたいだ……」
小さな墓所に、ヴィゼたちは静かに近付いていく。
「祈念碑まで建てられているのですな……」
「処刑の後だね。僕も見るのは初めてだけど、御大も知らなかったんだ?」
「はい……」
墓所の奥に、ゼエンの言った通り、祈念碑があった。
墓所も含めてきちんと整備されているのだろう。まだできたばかりのように美しい。
「母さんの……、最初に作った墓は、粗末なものだったんだけどね。その後ここに移したんだ。他の、ここ以外に眠る場所のない人のためにも、場を整える必要があって」
「そうでしたか……」
ゼエンは緊張した様子で、元より多弁な人ではないが、一層言葉が少ない。
「……花、持って来たら良かったね。途中で買えたのに」
ヴィゼは独り言のように呟きながら進んでいく。
「御大、ここだよ」
ヴィゼの母が眠る場所は、墓所の奥側だった。
「ただいま、母さん」
何を言うべきか言わざるべきか、迷う間もなく、ヴィゼの口からはその言葉が自然と出てきた。
「久しぶり。今日は、おじさんを、連れてきたよ」
どう形容したものか、一瞬詰まって、ヴィゼは素直な表現をした。
ずっと共にいて、ようやく本当の家族になれた、その人のことを。
そう言って振り返れば、ゼエンは幾分離れた場所で、足を止めてしまっている。
クロウがその後ろで、気遣わしげにゼエンを見上げていた。
「御大」
ヴィゼは苦笑気味に呼んで、ゼエンの腕を引く。
大丈夫だと、告げるように。
そうして、よろめくように、ゼエンは前に進んだ。
「ほら、久しぶりの再会なんだから、しっかり」
ヴィゼはゼエンの背を励ますように叩いて、母の前に押し出す。
「僕とクロウは、少し辺りを散策してくるから」
後ろからそう言えば、狼狽えたように振り返ったゼエンがヴィゼを引き留めたそうに唇を動かしたが、それに先んじるようにヴィゼは「それじゃあ後で」と踵を返した。
ヴィゼは少し早足で墓所を出、クロウがその後を追う。
ゼエンは――、墓所から、出てこなかった。
「……大丈夫だろうか?」
「うん、御大なら、きっとね」
あそこまで動揺を露わにするゼエンは、滅多に見るものではない。
遺跡の中でもあそこまでではなかったのでは、とクロウは心配そうに振り返る。
しかしヴィゼは、信頼をその言葉に乗せて、クロウの心配を否定した。
ヴィゼの確信を込めた声に、クロウは墓所に向けていた目をヴィゼへと移す。
ヴィゼは微笑んで、心配の気持ちを解いていくクロウを見つめていた。
「後で――、クロウのことも、紹介させてね」
「う、うん……」
「それまで、行きたいところがあるんだけど、付き合ってもらっていいかな」
こくり、とクロウは頷く。
ヴィゼはそんな彼女に、そっと手を差し出した。
「エスコートさせてもらっても?」
「……そういう風に言いだされると、断りづらい……」
言い訳をして、クロウはヴィゼの腕にそっと手を添えた。
ヴィゼは笑みを深め、ゆっくりと歩き出す。
記憶を辿るように。
「夢みたいだ、ルキス。君とここをまた、歩けるなんて」
「あるじ……」
どこかはしゃぐように言った、ヴィゼの声が、クロウの――ルキスの胸を締めつけた。
まだヴィゼが、あどけなさを残した少年だった頃。
一人と一頭は、人目を忍んで夜中に、こうして並んで歩いたのだった……。
「うん……、夢みたいだ……」
譫言のように、ルキスはヴィゼの言葉を繰り返す。
何度も何度も夢に見た光景が、今、ここに存在している。
これは本当に、現実だろうか?
何もかも全てが、夢なのではないだろうか――。
まるで、奇跡のようで。
泣いてしまいそうだと、そう思った。
「あの家がまだあれば良かったんだけどね。あそこは僕がここにいた頃に取り壊されちゃったんだ」
「そう、か」
はっと夢から醒めたような心地で、ルキスは相槌を打った。
そのことは知っていたけれど、ヴィゼの声が心地良かったので、ただ頷く。
「ここはさ、自分の無力さを痛感するばかりの場所でもあるんだけど……」
辺りを見渡しながら、ヴィゼは言った。
「やっぱり、懐かしいし、慕わしく思うものだね」
ルキスには生まれた場所を懐かしく思う気持ちはない。
そこはルキスを忌避した土地だからだ。
だが、ヴィゼが故郷を愛する気持ちが、理解できないわけではなかった。
名もない黒竜ではなく、ルキスの、クロウの生まれ育った場所があるからだ。
だからルキスは、ヴィゼがここに戻ってくることができて良かった、と思った。
柔らかに微笑む彼の横顔が、嬉しかった。
「母さんとの思い出も、たくさんあるし」
ヴィゼは何かを見つけたようで、少しだけ方向を変えた。
「何より、ルキスと出会った場所だ」
「……っ」
息を止めた彼女に、ヴィゼは気付いているのか、いないのか。
「ほら、ルキス、あそこだよ」
ヴィゼは少し先の、小さな社を指差した。
やがて二人は、その社を目の前にする。
「心願成就の神……が祀られているのか」
「うん。一番近いかなって考えたんだよね」
「近い?」
「そう。でも、この社はこの場所を守るために建てたもので、神様自体は二の次と言うか……、こんなこと言ったら罰が当たりそうだな……」
そう信心深くないヴィゼだが、段々真顔になって、最終的に「申し訳ありませんでした」と謝った。
「あるじ?」
「願いが叶ったのだから、お礼を言うべきでした。ありがとうございました」
頭を下げるヴィゼをルキスは戸惑ったように見ていたが、ヴィゼはそのうち気が済んだのか、再び彼女の手を引く。
「ごめん、本命はこっちなんだ」
ヴィゼとルキスは、社の裏手に回った。
この社は、社本体の後ろに小さい倉庫のようなものが付属しているような形となっている。
だが倉庫への出入口のようなものはなく、裏に回ってもただ壁があるだけだ。
ヴィゼは何もないはずのそこに、杖を向けて。
その先に、魔術式が乱舞して、消えた。
その時には、入口が目に見えるようになっている。
ルキスは目を瞬いた。
「隠してあったのか」
「大事なものだから」
ヴィゼはドアを開き、魔術で明かりを灯すと、そっとルキスの背を押した。
彼女に続いて中に入って、ドアを閉める。
「あるじ……」
その床にあるものを目に留め、ルキスは立ち竦み、ヴィゼを見上げた。
「残っていたんだな……」
うん、とヴィゼは頷いた。
ルキスはまた、視線を下に向ける。
その視線の先にあるもののことを、彼女は把握していなかった。
もうとっくになくなったものと、そう思っていた。
「空間を繋ぐ、魔術式……」
「そう。あの日、この魔術式が発動して……、ルキスがここに、来てくれた」
ヴィゼは懐かしむように、思い出すように、目を細める――。