47 黒竜と袋小路
「大変だ! 遺跡が、遺跡が……!」
その日の朝は、喧騒から始まった。
昨日までしっかりと存在感を主張していた遺跡が、何の痕跡もなく消えてしまっていたのだからそれも当然である。
戦闘員たちは驚きつつもまだ冷静に事態を受け止めていたが、研究者たちの動揺ぶりはすさまじかった。
茫然としたまま動かなくなる者、頭を掻きむしり奇声を上げる者、動揺の表し方はそれぞれであったが、落ち着くまでに相当の時間を要することになる。
「……まさかこんなことになるとはなぁ」
「土の中に埋まっとらんと一定時間で消える魔術でもかかっとったんかな?」
狂乱を少し離れた場所から眺めながら、エイバは溜め息を吐いた。
その隣で、レヴァーレは首を傾げる。
「……リーダー、大丈夫ですかな?」
「うん……」
気遣わしげなゼエンに、ヴィゼは力ない様子で頷く。
顔色が悪いのは一睡もしていないせいなのだが、そのためにヴィゼは演技の必要もなく、落ち込んでいるように見えていた。
遺跡を消すことを止めず、消滅のその場に立ち合ったヴィゼに、他の研究者たちのような驚きや嘆きは当然ながらない。
調査メンバーたちの動揺ぶりを申し訳なく思いつつ、ぼんやりと空になった大地を眺めやった。
「こりゃ、今日明日にでもモンスベルクに戻ることになるのかね」
「そうなる、だろうね……」
ぼんやりと返せば、肩を竦められてしまった。
「とにかく、落ち着いとる人らで朝ごはん、作ろか」
「それが良いですかなぁ」
レヴァーレたちはそう決めて、調理のためにその場から離れていく。
ヴィゼとクロウは、何となくそのまま、仲間たちの背を見送った。
「あるじ……、後悔、しているか?」
「ううん。僕だけ良い目を見させてもらって、申し訳ないとは思っているけど」
結局あれからヴィゼは何とか資料を厳選し、それを<影>に預けて本拠地に運んでもらっていた。
「……お礼を言いたいけど、昨日も姿を見せてくれなかったね、そういえば」
「……フィオーリなら、あるじに気兼ねしているんだ」
「気兼ね?」
「あるじが……、わたしのことを、好きだとか、言うから……」
クロウは照れたようにぼそぼそと言った。
寝不足で頭の回っていないヴィゼは、全く理解ができず首を傾げる。
「うん? うん。……好きだよ?」
クロウは照れ隠しも入った深い溜め息を吐いた。
「あるじ、朝食までの時間でもいいから寝た方がいい」
言って、クロウはヴィゼの背を押し、テントの中にヴィゼを戻して寝かせた。
「……昨日は、無理をさせてしまって悪かった。休んでくれ」
ヴィゼから眼鏡を取り上げ、瞼を閉じさせるところまでやって、クロウはそう、囁いて。
ヴィゼはすぐに、眠りに落ちたのだった。
ヴィゼを寝かせて、クロウはテントを出た。
ヴィゼのことは<影>に任せ、朝食の準備の手伝いでもしよう、とレヴァーレを見つけて近付いていく。
「クロやん、ヴィゼやんは?」
「テントで寝ている」
「寝込むほどショックやったんか……」
寝不足なのだとは言えない。
クロウはそっと目を逸らした。
「ま、疲れも溜まっとるやろうしな。しばらく寝かせとこか」
「う、うん……」
「クロやんは、ヴィゼやんの側におらんでええんか?」
「落ち着かないから、いい……」
「好きだよ」と、当然のごとく言ったヴィゼを思い出し、クロウはぼそぼそと答えた。
誤魔化すように、「何か手伝えることは?」と聞く。
「――後から焼こかと思とったんやけど」
レヴァーレは何かを察したようににこにこと笑ってパンを示し、クロウは早速出来合いのパンを人数分温めていった。
普段なら冷たいままなのだが、遺跡消失とその余波で余裕ができたため手をかけようということらしい。
フルスの調査メンバーには特に畏れられているクロウであるが、今までも食事や治療の手伝いを何度かしていたので、若干遠巻きにされながらもその場に受け入れられていた。
手伝いながら、クロウは周囲の音を拾う。
昨晩、ここにいる者たちを全員眠らせるという手段に出たが、それについて言及する者はいない。
クロウが使ったのは、白竜の遺した精神に作用する魔術具だったのだが、上手く作用してくれたようだ。
多少違和感があっても、遺跡消失でそれどころではなくなっている、ということもあるのだろう。
いざとなれば全部遺跡のせいにするつもりであったのだが、これならば問題なさそうである。
遺跡消失のことに関しても、クロウやヴィゼを疑う者が出るとは考えづらかったが、やはり今のところそんなことを言い出す者はおらず、ほっとした。
その疑惑の可能性をなくすために全員を眠らせたのだから、そうでなくては困るのだけれど。
――また、皆に隠しごとができてしまったな……。
焼き網の上に置いたパンが焦げないように見つめながら、クロウは後ろめたさを自覚した。
しかしそれは間違っていると、すぐに思い直す。
仲間たちは、遺跡のことをクロウだけで背負おうとすることこそ叱責するだろうけれど、隠しごとそのものを責めるようなことはしないと。
それでもクロウは、遺跡を消滅させた己の責は、自分だけのものだと、それを譲るつもりはなかった。
人に恨まれても、白竜に悲しい顔をさせてしまっても、決めて実行したのはクロウだったから。
そんな風にどこかぼんやりとするクロウを気にしたのか、朝食が出来上がるとレヴァーレは宣言した。
「久しぶりに女子会しよ!」
それを多くの者が聞いていて、二人が食事を手に野営地の隅に向かっても他に声をかけてくる者はおらず、エイバも苦笑気味にひらひらと手を振って二人を見送る。
「レヴァ、女子会って……」
「ええやろ。クロやんと二人でゆっくり話すような時間、しばらくなかったし」
「確かに……」
状況が状況であるし、ここまでの往路は何やら気を遣われてヴィゼと二人きりになることこそ多かったが、レヴァーレと二人だけになる機会はそうなかった。
「……クロやん、なんやお姉さんに相談したいこととか、ない?」
イス代わりの木材にちょこんと腰を下ろしたところで、隣から微笑んで顔を覗き込まれ、クロウはどきりとする。
医療術師だから、というのもあるだろうし、天性のものもあるのだろうが、レヴァーレに優しく微笑まれると、全てを受け入れてもらえそうで、何もかも話してしまいそうになる。
エテレインたちがいる時はテンションが上がっていて遠巻きにしたくなるくらいなのだが、とクロウはその笑みに抵抗するように思った。
「……レヴァの方こそ、何か話したいことがあるんじゃないのか」
わざわざ女子会と言ってクロウを連れ出したのはそういうことだろう、とクロウは察していた。
そして大抵、レヴァーレが「女子会」と言う時はヴィゼとクロウの話になるということも分かっていて、クロウは身構える。
そうしなければ、話すべきでないことまで話してしまいそうで。
「んー、一昨日、男連中の前では聞けんかったことはある、かなぁ」
話しながら二人は、パンの上に、ハムエッグとそれに添えられた野菜も乗せて、頬張った。
なくなるのは、あっと言う間だ。
「……聞けなかったこと?」
うん、とレヴァーレは頷いたが、続くまでにしばらく間があった。
朝食を全て咀嚼してしまってから、一息吐いて、レヴァーレは口を開く。
「あんな、余計なこと、かもしれんけど」
レヴァーレは迷うようにもう一度、言葉を止めて。
「……クロやんがな、手紙を受け取りに行ってくれたやろ。あの、お姉さんに」
「うん」
「嫌やったんやないかな、て思て」
「レヴァ、」
クロウはかすかに目を見開いて、仲間を見た。
「他の皆には、言えんやろ。やから――、やけど、うちにはな、愚痴とか、そういうのがあるんなら、吐き出してええんやで。うちなら、クロやんの気持ち、知っとるし」
レヴァーレはずっと、クロウの気持ちを、心配してくれていたのか。
込み上げてくるものを、クロウはぐっと堪えた。
ここのところ、毎日のように、この感覚を味わっている。
「……嫌では、なかった」
「そう、なんか」
思いやりを示してくれる仲間に、隠せず、クロウは本音を吐露する。
「でも……、少し」
「うん」
「少し、つらかった、かもしれない……」
フルスでヴィゼを支え続けた女性。
今は幸せな家庭を築き、日々を穏やかに過ごしている。
そのパートナーがヴィゼであったかもしれない、とクロウは何度も想像した。
想像して、つらく、苦しくなった。
その想像は、決してありえなかった可能性ではないのだ。
彼女はかの領主の処刑を見届けて、ヴィゼに手を差し伸べたのだから。
――国外追放にならないよう仲間たちと嘆願する。
だから共に行こうと。
これからもずっと一緒にいようと。
ヴィゼは、迷っていた。
迷って、けれど、独りでいく道を選んだ。
クロウを――ルキスを選んでくれたのだと、今ならば、分かる。
だからこそ、つらいのだ。
クロウが可能性を奪ってしまったことが。
なくなった可能性を、喜んでしまっている自分の身勝手さが。
その身勝手さを嫌悪して、クロウは絶望する。
やはり自分はヴィゼには似つかわしくないと。
だからヴィゼに取り戻させようとして、けれどできなくて。
その醜さに気付いて、結局はいつか、ヴィゼは離れていってしまうのかもしれない。
それがきっと本当は正しいことなのに、それを考えただけで、クロウの目の前は真っ暗になる。
「あるじは、彼女の隣で、穏やかに暮らしていたかもしれない」
「クロやん、」
「他の女性だって、あるじは、選ぶことができる。それで、幸せに……」
レヴァーレはぎゅっとクロウの手を握った。
「それを見守っていこうと、ずっと、思ってたんだ……」
「うん」
「それなのにあるじは、わたしのことをって……」
「うん」
クロウはそうしてずっと、袋小路の中にいる。
昨晩はそこから引っ張り出されそうになって、何とかその小路にしがみついた。
苦しいはずのそちらの道にしがみつく自分は、なんと滑稽なのだろう、と自嘲する。
けれど、どの道を選んでも。
結局、苦しく、つらいのだ。
――だけど、わたしのことは、いい。
それよりも、クロウが見つけなければいけない道は、選ばなければいけない道は、ヴィゼが最も幸せになれる未来で。
だが、それもだんだん、分からなくなってくるのだった。
「どうしたら、いいんだろう……」
「クロやんは、どうしたいん?」
「あるじを幸せにしたい」
クロウは即答した。
レヴァーレはそれに、苦笑を浮かべる。
「……だから、嫌われようとしたんだ」
「……は!?」
「できないと思っていた。そんなこと、怖くて、自分からなんて、」
「そう、やな」
「でも……、何とか、勇気を振り絞ったんだ。だけど、失敗した」
「そやろな……」
ヴィゼとクロウは一体何をしているのだろうか。
レヴァーレは問い詰めたくなったが落ち込んでいる様子のクロウにそうするわけにもいかず、ぎりぎりと奥歯を噛みしめるような気持ちだった。
「……失敗したのに、ほっとしてるんだ。馬鹿だろう?」
「クロやん……」
レヴァーレはそっとクロウの頭を撫でた。
労わるように、慰めるように。
とにかくクロウは、ヴィゼのために頑張ったようだ。
頑張る方向性を思い切り間違えたようだが。
だが、ヴィゼは間違えなかったようだ。
猛攻している割に、言葉がまだ足りていないところもあるようだが。
――全く、目の離せん二人やなぁ……。
「あんな、クロやん」
レヴァーレはクロウの頭を撫でながら、口を開く。
「前にも言ったかなと思うけど、うちは、クロやんにも、ヴィゼやんにも、どっちにも幸せになってほしい。そんで、ヴィゼやんの幸せについても色々言ってきたけどな……、とりあえずそれは参考意見としてもらうとして」
「……うん」
「うちはな、クロやんが……、つらかったり、苦しかったりしても、それでもヴィゼやんの幸せを真剣に考えてくれとるのがな、すごく、大切なことやと思うし、クロやんがそうしてくれるのが嬉しい」
クロやんがずっと苦しいのは嫌やけど、とレヴァーレは挟んで、続ける。
「それでこれからも、色々迷ったり、悩んだりして、クロやんなりに、ヴィゼやんの幸せのこと、考えてほしい。焦らずに、ちゃんと、答えを見つけてほしい。クロやんの幸せについても同じに、な。……勝手な気持ちやけど、そう思う」
「勝手、なんて……」
「ふふ、うん、ありがとな」
クロウのフォローに、レヴァーレは少しだけ笑って。
「……それにな、そうやないと、クロやんも自分で納得しきらんやろうし。そしたら多分、クロやんもヴィゼやんも、どっちも幸せから離れてしまうんやないかな」
「……うん」
頷いてから、もう一度呑み込むように、クロウはうん、と言った。
「うちもな、できることは少ないけど、これからも相談にのるし。愚痴かていくらでも聞くし。やから――」
うん、とクロウは再度しっかり首肯する。
「……ありがとう、レヴァ」
「どういたしまして」
クロウはわずかに潤んだ瞳でレヴァーレを見上げた。
感謝の言葉を受け止めながらも、レヴァーレはもっと力になれればいいのにそうできない自分を歯痒く思う。
――お願いやから、二人が揃って笑う未来を選んで……。
レヴァーレはぎゅっとクロウを抱きしめた。
クロウは驚いた顔をしたが、その抱擁を受け入れる。
その抱擁は、一瞬で。
それから二人は、しばらくとりとめのない話を続けた。
その間もクロウは、レヴァーレが言ってくれたことを、ヴィゼの幸せを、考え続けていたのだった。