46 修復士と遺跡の最奥
その後、気持ちを落ち着けた二人は、遺跡の消滅について具体的なことを話し合った。
「少しくらい猶予を置いた方がいいか?」
「いや、もうスパッとやっちゃおう。ずるずる先延ばしにしそうだから」
「残しておきたいものは……」
「全部残しておきたくなるから中途半端は止めよう。まるっとなかったことにしよう」
ヴィゼはそう言ったが、顔には苦渋の色がたっぷり乗っていて、クロウは申し訳ないやら呆れるやらだった。
ヴィゼが血の涙を流しかねない様子なのをどうしたものかと思っていると、<影>からの囁きがクロウに届く。
「え……、だが……」
クロウの顔色が変わったことに、ヴィゼはすぐに気付いた。
「どうしたの?」
「あるじ、その……、もうひとつの部屋を、あるじに見てもらってはどうかと、その、フィオーリが」
ヴィゼは訝しげにひょいと眉を上げる。
「まだ部屋があるの?」
「研究所長の私室が、この隣に」
ヴィゼは息を呑んだ。
「……それは、僕が入っていいものかな」
そもそも遺跡の他の私室には侵入を果たしているので、今更である。
だが、フィオーリの恋人だった男性の部屋――と知ってしまった後だ。躊躇も生まれるというものだった。
「フィオーリは見てほしいと言っている」
「クロウは?」
「正直あまり賛成できないのだが……、私の勝手を通させてもらうのだし、この遺跡に関してはフィオーリが所有者のようなものだからな」
クロウは嘆息して、一方の壁に歩み寄り、そっと触れた。
上階と同じく、部屋のドアが開く。
「あるじ、入ってくれ」
明確な返事がなくとも、ヴィゼが「見たい」と思った気持ちはクロウに筒抜けだったようだ。
ヴィゼは少しばかり決まりの悪さを覚えながらも、促されるまま隣室へ足を踏み入れる。
研究所長、と言われて贅を凝らしたような部屋を想像していたが、目の前の部屋も遺跡の他の私室とあまり変わり映えしないシンプルなものだった。
上階の部屋より少し広いようだが、本棚のせいでむしろ狭く見える。
本棚以外の家具もデスクにイス、ベッドと小さなチェストのみで、ヴィゼは何となく親近感を覚えた。
「欲しいものがあれば、あるじにもらってほしいそうだ」
「えっ」
ヴィゼは結構な勢いでクロウの方を振り返った。
「……確認するまでもないことだろうけど、それは、僕個人の所有にして、イグゼさんたちに見せるのは駄目、なんだよね」
「そうだな」
「うーん、ものすごく申し訳ない……」
などと言いながら、ヴィゼはふらふらと本棚に向かって歩き出している。
「……でも、どうして僕に?」
「あるじなら、大事に、有効に使ってくれるだろうと。……本当に何もなかったことにするのは、やはり、寂しいものだものな」
それでもクロウはこの遺跡をなくす意思を変えはしないし、フィオーリもそのこと自体は反対していなかった。
ただ、ひとつだけでも、形ある何かを残したいと思った、のだろう。
「……彼女自身は、いいのかな」
「あるじ。フィオーリは……、もう、」
クロウはそれ以上のことを言えなかった。
だが、ヴィゼはそれだけで察してくれたようだ。
「ごめん、余計なお世話だったね」
「いや……」
「……ね、クロウ」
「うん」
「ここにあるもの、全部普通に読めるんだけど」
上階の資料が資料だっただけに、ヴィゼにはそれがひどく衝撃的だった。
「ここは部屋自体を厳重に封じているからか、中身には変に手をつけていないようなんだ」
「なんてことだ……」
ヴィゼは次から次に手を伸ばしながら、膝をついて神に感謝を捧げたいような気持ちになった。
「……クロウ、朝まで時間をもらってもいい?」
クロウは了解して、後ろからヴィゼを見守ることにする。
『……本当にいいのだろうか?』
『少なくとも、あの研究資料がないことは確認済。大丈夫だよ』
不安を零せば、<影>からは宥めるような声が返ってくる。
『あるじには今回ひどいことしちゃったし、これくらい得るものがないと。クロウも出し惜しみしちゃってるしね』
『出し惜しみなどと言うな! 全く……』
クロウは憤慨し溜め息を吐いたが、それでもまだ、じわじわと喉元を上がってくるような胸騒ぎがある。
『……わたしは、怖い』
ここにあるものを手にすることで、よりヴィゼが、昔ここで死んでいった男に近付いてしまうように思えてしまって。
――差し出すことなど……、できはしない。
クロウがヴィゼに心の全てを渡してしまったら。
ヴィゼはますます、過去に殺された男と重なってしまう。
ヴィゼが言ったとおり、クロウはヴィゼが奪われることを許すつもりは皆目ないが。
それでも――怖い。
『……うん』
<影>たちは、そんなクロウの気持ちを理解していた。
彼女たちもクロウなのだから、それは当然なのだけれど、それでもクロウは、寄り添ってくれる彼女たちに励まされる。
『わたしたち皆で、あるじを守ろう。今度こそ絶対に、失わない』
決意を新たにクロウは頷いて、それから朝まで、彼女はヴィゼを見守り続けたのだった。