44 修復士と遺跡の中核
次の瞬間には、ヴィゼの目に映る光景は黒から白に変わっていた。
眩しさに、ヴィゼは目を瞬かせる。
「……っ、ここは――」
「遺跡の一番下にある部屋だ」
ヴィゼは光に慣れてきた目で、自身のいる場所を確認した。
この遺跡で見慣れてしまった、ひたすらに白い部屋である。
ここも自動的に明かりが灯るようになっているのか、それともクロウが照明をつけたのか、部屋は皓皓と明るい。
しかしこの部屋の壁には、他の部屋と違って様々な色の貴石が埋め込まれていて、宝石を眺めるための場所のようにさえ見えた。
「最下層? でも……」
遺跡周りの土を圧縮する際に遺跡の高さは確認したはずだが、とヴィゼが怪訝さを隠せずにいると、クロウは申し訳なさそうに告げる。
「ここは特に厳重に隠されている。相当の魔力を対価にしなければ見えないはずだ」
「……それだけの場所なんだね。ここは――、もしかして、こここそが、遺跡の中核――?」
クロウは神妙な顔で頷く。
そっとヴィゼの手を離し、彼女は壁際に歩み寄った。
「そうだ。あるじたちは、この遺跡を管理する部屋があることを考えていたが……、ここがその制御室とでもいうべき場所だ」
ヴィゼはぐるりと部屋を見渡す。
赤や青、緑に黄と、貴石が瞬いてヴィゼを見返していた。
「どんな風に制御を……、いや、今は、それより……、」
混乱している頭を落ち着けるように、ヴィゼは息を吐いた。
「クロウ……、説明を、お願いしていい?」
二人きりだ。
真名で呼んでも良いのだが、ヴィゼはそうしなかった。
できなかった、のかもしれない。
目の前のクロウから、拒絶の雰囲気を感じて。
それに。
誰かに、見られているような。
見守られているような。
そんな、不思議な気配を感じたような気がして。
そんなヴィゼの逡巡に気付かずに、こくり、とクロウは頷いた。
元よりそのつもりで、ヴィゼにここまで足を運んでもらったのだから。
「とはいえ、どこから話したものか……」
クロウは呟き、言葉を探した。
「まず……、この遺跡は、あるじも分かっている通りのものだ。大異変前の人間の、魔術に関する研究所、だな」
うん、とヴィゼは幾分緊張気味に頷く。
「当時ここは、魔術研究の最先端だったらしい。選りすぐりの魔術研究者がここに集い、次々と新しい研究成果を世に出していたとか」
「当時からすごい場所だったんだね」
ヴィゼは感心の声を漏らす。
「……クロウ、早速話の腰を折るようで悪いんだけど」
「なんだ?」
ヴィゼが分かりやすく挙手し、クロウは首を傾げた。
「クロウはそれを、どこで知ったの? ここにある記録、とか?」
「いや、」
クロウは決まりの悪そうな顔で、首を振る。
「すまない、あるじ。今回、この遺跡に関することで、謝らなければならないことがたくさんあるのだが……、実は、この遺跡のことは最初から、知っていたんだ。師に、聞いていて」
「白竜に……。でも、白竜もその、さすがに五千年は生きていない、よね」
「そう……、そうだな。だが、白竜には代々受け継いでいる知識がある」
ヴィゼは反射的に、その知識が喉から手が出るほど欲しいと思った。
「何よりここは、白竜と黒竜にとっても縁の深い場所で……。だから師は、わたしに教えてくれていたんだ」
屋上に特別な入口があるくらいだ。
研究員と竜の間には、余程の信頼関係があったのだろう。
当時の一般的な人間と幻獣がどのような距離感でいたのかは分からないが、それが多数の例のひとつでは決してなかっただろう、という想像は容易い。
「当時の白竜と黒竜は、ここの人々と親交が深かったんだね」
クロウは首肯した。
「この研究所の所長と――黒竜は、恋仲だった」
「……!」
決して予想外のことを聞いた、というわけではなかったけれど、ヴィゼは息を詰めていた。
「白竜は黒竜の親友で、その研究所長とも友人の付き合いをしていたそうだ」
だが、とクロウは続ける。
「彼は若くして亡くなってしまった。殺されたんだ」
やるせない溜め息を吐きながら、クロウは告げた。
もしかするとクロウは、「彼も」と言いたかったかもしれない。
ノーチェウィスクとその恋人の悲劇を脳裏に過らせ、ヴィゼはそう思った。
「殺したのは、人間だ」
だが、この遺跡――研究所でのことがノーチェウィスクのものと異なるのは、その点だった。
「彼は鬼才の持ち主だったという。当代随一の魔術使いで、魔術研究者で……、そんな彼を妬み、その功績を横取りしようとした人間たちが、彼を手にかけたんだ」
「人間たち……、」
「そう。一人や二人ではなかったらしい。しかも彼らは盗んだ研究成果を使うべきでないことに使った……」
クロウは言葉を探るように、一旦口を閉じた。
「――彼らのやろうとしたことは、やったことは、決して……許されないことだった。少なくとも、黒竜や白竜にとっては。彼女たちは協力して人間たちを止め、彼の成果で傷つくものを増やしてはいけないと、また人が過ちを犯さないようにと、この研究所を封じた」
クロウがひどく慎重に言葉を選んでいることが、ヴィゼには分かった。
それには触れず、ヴィゼは先を促すように言う。
「その封印が、今になって揺らいでしまったわけだね」
「そう……、なのだが、あるじ、すまない」
「うん?」
「結界がわたししか通れないのも、研究資料がほとんど読めないようになっているのも、罠も……、過去の白竜と黒竜がそうしたからだ」
「あー……」
何と言ったものかと、ヴィゼは苦笑を浮かべた。
おそらくずっと、クロウはヴィゼたちを見守りながら、申し訳なさでいっぱいになっていたのだろう。
それに気付かなかった悔しさの方が、ヴィゼの中で強かった。
「クロウが謝ることじゃないよ」
「だが……、」
「過去の二頭がやったこと、だろう?」
「それはそうかもしれないが、<影>のこともある……」
当時の黒竜を<影>として持つからこそ、クロウは余計に複雑なのだろう。
「<影>のこと――、誰、とか、聞いていい?」
「――フィオーリだ」
クロウは一瞬躊躇って、答えた。
フィオーリ。
彼女はクロウの<影>の中でも特に個性的で、ヴィゼは翻弄されがちであるが――。
そうか、彼女なのか、とどこか腑に落ちるような思いがあった。
クロウ自身であるのに、どこかクロウを姉のように見守っている、過去の黒竜。
「……思ったより意地悪なんだ」
「……フィオーリが?」
ヴィゼがつい漏らしたコメントにクロウは少し首を傾けてから、その言葉の意味をしっかりと理解して、そっと視線をそらした。
「多分……、人をおちょくるような封じを考えたのは、白竜の方だと思う……」
自己弁護というより、白竜の方がそういう性格だという認識がクロウの中にはあるようだ。
「復讐心もきっと、あって……」
「それは、そう、だろうね」
「だが、人間へ期待した気持ちもあっての封じだったはずだ」
「それが――研究所を破壊、ではなく封印にした理由、ということなのかな」
「……思い出の詰まった場所を壊せなかった、というのも、あるのだろうが」
クロウは建物全てを見通すように、天井を仰いだ。
「白竜も黒竜も、ひどく迷ったのだろう、な……。恋人を友を亡くして、怒りや悲しみのままに破壊することは容易い。だがそれをしてしまっていいのか……。ここが人の欲に利用されるだけでなく、いつか人や世界の役に立てる日が来るかもしれない。そんな未来の可能性が少しでもあるなら――、その方が、彼も報われる……」
ふ、とクロウは嘆息する。
「……結局のところ、全て、力ある竜故の、傲慢なのかもしれないが」
そんなことはないと、ヴィゼは口にできなかった。
そんなヴィゼを、クロウは真っ直ぐに見つめて。
「……あるじ、わたしは、それを重々承知の上で、言う。この遺跡を……、わたしは、消してしまおうと、思う」
固い決意の表情で、彼女はそして、そう告げたのだった。