42 <黒水晶>と開示の夜②
「レヴァ? ……そろそろ寝るか?」
「うー、うん。……けど、もう一個だけ聞いといてもええ?」
「なんだ?」
エイバ相手の時とは打って変わって、クロウの声は穏やかだ。
「クロやんは、昔のヴィゼやんの……その、レジスタンス? の仲間さんのことも、ずっと、守っとったん?」
聞くべきことなのか、どう聞いたものか、少し迷って、それでもレヴァーレは口に出した。
クロウの向こう側で、ヴィゼがはっと目を見張るのを、レヴァーレは認める。
表情が変わったのはヴィゼだけではなく、ゼエンやエイバも同様であった。
「いや……、」
果たしてクロウは、首を横に振る。
「多少気にしていた、という程度だな。彼らを人質に、あるじを狙って来る者もいるかもしれないと……、警戒していた。それで、ちょっとした仕掛けをしておいたくらいだ。それに、きちんと居場所を追っていたのはごく一部の者だけで、そう長く気にしていたわけでもない。フルス国の監視兼護衛もしばらくついていたし、結局のところあるじがフルスを離れたことで、変に火が立つようなことにはならなかった」
「そっかぁ。……でもやっぱ、クロやん、気にしてくれとったんやな。なんちゅうか……、ありがとな」
レヴァーレがさらにクロウの頭をかき回すようにしながら言えば、クロウは困ったように首を傾けた。
振動が手元まで伝わって、カップを脇に置く。
揺れる中身を見下ろしながら、クロウは言った。
「礼を言われるようなことではない。私が守ろうとしていたのはあるじだけで、そのために勝手にやっていたことだ。師にも手伝ってもらっていたし、あの頃やっていたことは、わたしの修行代わりでもあったから……」
「そうかもしれんけど、それでも、クロやんはヴィゼやんの身だけやのうて、その周囲も、ずっと守ってくれとったわけやろ。結果的に、でも」
「……」
温かなレヴァーレの眼差しに、クロウは居心地が悪そうに身じろぐ。
「それが、嬉しい。ヴィゼやんは、うちらにとっても大事なリーダーやからな」
「だな」
「はい」
エイバとゼエンも、レヴァーレに同意する。
ぐ、とクロウは言葉を失い、助けを求めるようにヴィゼを見上げた。
ヴィゼもどこか困ったような顔で、けれどその瞳には柔らかな色を浮かべて、クロウを見ている。
レヴァーレがそっと腕を引いて、それに促されるように、今度はヴィゼが、腕を伸ばした。
「あるじ、」
「……僕が一番、お礼を言わないとね」
艶やかな黒髪に指を滑らせて、ヴィゼは言う。
「ずっと……、いつも、本当に、ありがとう」
「あるじ、」
「――好きだよ」
万感が籠ったようなその言葉は、ほとんど無意識にヴィゼの口から零れ出た。
服に覆われていないクロウの肌が、瞬間的に真っ赤に染まるのが、全員の目に、映って。
「……!」
クロウは反射的にヴィゼの手を振り払うと、テントから転がり出るように逃げ出てしまった。
全員からの感謝の眼差しに加え、ヴィゼから愛の告白を受けて、耐えられなくなってしまったのだ。
「クロウ……!? っと、皆、先に休んでて!」
慌てながらもヴィゼは一言言い置いて、クロウを追ってテントを出る。
二人の姿がなくなってからも、残された三人はそれをしばらくの間目で見送って。
「……どうなりますかなぁ」
「ヴィゼに分がある、と思いたい……」
帰ってきた二人が結ばれている未来を、三人は期待した。
「レヴァ、狙ってたのか?」
「そういうんや、ないけど。ただ、ちゃんと皆で、分かっときたかったし、分かってるていうこと、分かっておいてほしかった……、ちゅうか」
レヴァーレは感情を上手く言葉にできず、首を傾ける。
「ヴィゼやんも、そうやけど……、クロやんに、もっと報われてほしいな、て」
全て言葉にしなくとも、その思いは他の二人にも十分伝わった。
三人はそれぞれに、出ていったクロウとヴィゼを脳裏に浮かべ、その幸せを、願った。
「クロウ――」
クロウは見張りの目を避けて、森の中へ入っていった。
どこまでも走っていきたいような気分だったが、ヴィゼが追いかけてきていることも分かっていて、逃げ続けることはできずに、立ち止まる。
「……」
ヴィゼの気配が、すぐ後ろにする。
けれど顔を見ることができず、クロウは俯いたまま、夜の冷気で体の熱を冷ましていった。
「クロウ、」
恥ずかしいような照れ臭いような、困ったような悲しいような、どこかぐちゃぐちゃな気持ちで、クロウはヴィゼの声を聞く。
ヴィゼも困っているようだが、どうしていいのか、クロウにも分からなかった。
――あんな風に、言われてしまったら。
気持ちを抑え続けることが、できなくなってしまう……。
「……すまない、」
長い沈黙の後、ようやくクロウは小さく言った。
「手は、大丈夫だったか?」
「全然問題ないよ」
クロウが少し落ち着いたことが、ヴィゼにも分かったのだろう。
静かな動作で、ヴィゼはクロウの前に立つ。
顔を覗き込むように屈みこまれて、止めてくれ、と思った。
「クロウ……、ルキス」
ヴィゼは言い直して、もう一度、告げる。
「好きなんだ」
「……っ、それは、もう、言わないでくれ……」
ヴィゼは、謝ることは、しなかった。
そうすべきではない、と思って。
「――じゃあ、今だけ、我慢するよ」
「これからも、にしてほしい……」
「それはできない相談だなぁ」
先ほどからクロウは、ぎゅっと目を閉じたままだ。
ヴィゼの顔を見ることが、怖かった。
「あのね……、ルキス」
そんな彼女に、ヴィゼは囁く。
「本当に、ずっと、ありがとう。側にいてくれて、僕のことを大事にしてくれて」
「あるじ、」
「僕は……人間で、竜と比べたら無力だけど……、ルキスの隣にいてふさわしいくらいに、僕も、これからも、頑張るから」
「あるじは――、もう、十分、すごい、人だ」
「そう、かな? ルキスがそう思ってくれているのは、嬉しいけど。でも、もっと頑張りたいんだよ。今回も、君に守られるばかりで」
そんなことはない、とルキスはふるふると首を振った。
「……無理は……しないで、ほしい」
「それは、僕もお願いしたいな」
許されているように感じて、ヴィゼはそっとルキスの手に触れた。
「隣に立って戦うことも、無上の喜びなのに……、傷の一つも、許せないんだ」
切なさの滲む台詞に、思わず、ルキスは目を開けてしまう。
暗闇の中、まっすぐ見つめてくるヴィゼの瞳と目が合って。
離せなくなった。
白い吐息が、混じり合うほど、近付く。
このまま、と、彼女は思って、けれど。
――いけない。
ルキスはぎりぎりのところでしゃがみこみ、膝を抱えて、それ以上を許さなかった。
「ルキス、」
「駄目だ、あるじ……。駄目なんだ」
ルキスは涙が滲むのを自覚した。
また顔が、上げられない。
「あるじが、死んでしまう」
「ルキス?」
「それは……、駄目だ」
譫言のように、彼女は繰り返した。
「わたしは、黒竜だ」
ヴィゼは困惑する。
彼女が、竜であるということより、黒竜であるということを、気にしているようだからだ。
「だから、駄目なんだ……」
震える声で、言い聞かせるようにルキスは言う。
「あるじ、」
縋るような声でルキスは呼んだ。
「死なないで……」
懇願が、闇に零れ落ちる。
ヴィゼは揺れる心を押し殺しながら、彼女が落ち着くまで、ずっと側に寄り添っていた。