37 修復士と家族の告白
「ヴィゼ殿はあの時、十二、十三、という少年だったのですよ」
携帯食料を齧る合間に、リーセンは言った。
言葉自体は主にアフィエーミに向けたものであろうが、ゼエンたちがいるので改まった言葉遣いを選んだようだ。
「あの領主と、それに迎合する大人たちが権力を握る中で、単純に逆らうことなどできなかったでしょう。ヴィゼ殿の母親も平民の出で、後ろ盾もなく、教育さえ必要最低限のものだったという話です。その中で彼はあれだけのことをした……」
「それは……、それで、本当の話とは信じられませんが……」
アフィエーミも食事の段階に至り、ようやく腰を下ろしていた。
足を抱えるようにして、彼女ももそもそと食事を口にする。
「……彼のことを……、教えてもらっても、いいですか」
アフィエーミには、もう何が本当か分からない。
あの領主に大切なものを奪われたと、アフィエーミを仲間だと言ってくれた人々が告げたこと。
ヴィゼを恨んでいるはずだと思っていたゼエンが、ヴィゼの仲間たちが、リーセンが告げること。
そして、アフィエーミがここで見たヴィゼの言動。
一体何を信じればいいのか。
分からなくて、アフィエーミは絞り出すような声で頼んだ。
それに、リーセンは<黒水晶>の面々から許可を得るように三人の顔を見回して。
「それでは食事の間、私が知っていることを話しましょう。書面上のことばかりではありますが……。逆に言えば、証があるもの、ということでもあります」
前置きして、リーセンは話し出す。
彼の知っているヴィゼのことを。
聞けば聞くほど、アフィエーミの胸は締めつけられた。
アフィエーミとほとんど同い年の少年が、母親だけを頼りに生きて、母親を失って、たったひとり、父親に道具のように扱われながら、領民を助けようと努力して、そして……。
――私には、何もできなかったのに……。
全員の食事が終わる頃には、アフィエーミは膝を抱えるだけ抱え込み、縮こまってしまっていた。
「その話だけ聞くと、ヴィゼが国外追放になったのってむしろやりすぎじゃねえかと思えるが……」
「刑を執行する必要が、あったのです。ヴィゼ殿がレジスタンスの主力として水面下で動いていたことはレジスタンスや一部の領民しか知らないことで、何も知らない者は何もないでは納得しなかったでしょうし、ヴィゼ殿への見当違いの恨みを落ち着かせるためにも避けられないことでした。ヴィゼ殿もそうすべきだと仰り、協議の上国外追放になったのです。こちらとしても、本当なら国外追放は特にしたくなかったことですよ。ヴィゼ殿ほどの戦力を国外に出すなど……」
「なるほど」
実際にはフルス王国は国外追放にしてほしいというヴィゼの意思を尊重したわけで、むしろ破格の扱いとも言える。アフィエーミの手前、ここでは言えないことであるが。
「それで、フルスを出る時に御大が……」
レヴァーレは複雑な目でゼエンを見つめる。
エイバ経由で、レヴァーレも監視役の話は聞いていた。
レヴァーレまで伝わることはヴィゼもゼエンも承知のことで、エイバもそれが分かっていたから話していたのである。
「償いを、と思ったのですなぁ」
「償い?」
アフィエーミが伏せていた顔を上げる。
「はい。監視役という名目で、私はヴィゼ殿についていくことになりました。けれどそれは、ヴィゼ殿に納得いただくための方便で……。お二人は、お分かりだったと思いますが」
ゼエンの告白に、リーセンも肯定するように頷く。
そうだろうと思ってはいたが、はっきりとそれを聞き、エイバとレヴァーレはほっとした。
「妹の死を知り、私はこれまでと同じように国に仕えることはできない、と思ったのです。家族一人守れなかった私が、これから何を守れるというのかと……。そして、陛下にそれを率直にお話ししました。地位を返上し、今後はヴィゼ殿についていかせてほしいと」
いつもと同じ、穏やかな語り口。
しかしそこに、ただならぬゼエンの想いを感じ、仲間たちは気遣わしげな表情を浮かべる。
「陛下は私の思いを汲んでくださり、勝手な振る舞いを許してくださいました。私は後をリーセンに託し、ヴィゼ殿についていくことにしましたが、案内役や世話役ではヴィゼ殿は遠慮するばかりでしたので……、陛下が私のことは監視役だということにしたのです」
「そっちの方を嫌がるもんじゃねえか? 普通……」
「しばらくは監視がついて当然、と考えていたようですなぁ。実際、監視……と言いますか、そうした役目も含んだ護衛を、配置しておりましたし」
「ははぁ……、まあ、あいつらしいか。当然だと思っていたからそれで受け入れたわけだな」
「ええ……、」
幾分呆れまじりにエイバは納得した。
「しかし、何故、彼だったのですか?」
さらに何かを言いかけたゼエンを遮るように、アフィエーミが声を上げる。
「あなたは人々から、頼られ、期待されていた。償いというのならば、国に留まり他の方法でいくらでも何でもできたはずです。わざわざ彼についていくことの何が……、」
「そうですなぁ」
ゼエンは目を細め、ヴィゼを柔らかに――どこか寂しげに、見下ろした。
「最初は、ヴィゼ殿を導かなくてはならないなどと……、傲慢にも考えておりました。ヴィゼ殿のなしたことを知っていたというのに、一方で私もあの男がヴィゼ殿の父親であることを、切り離して考えていなかったのでしょう。しかしヴィゼ殿は……大人以上に、大人でした。優しさや気遣いを当然のように持ち、聡明で、ひたむきで……。一途すぎて暴走することもありますが――」
と、クロウにちらりと目を向けて、ゼエンは困ったように微笑する。
「驕っていたことを、恥ずかしく思ったものです。それから私は、ヴィゼ殿を支えることだけを考えるようになりました。彼の力になることが、私の償いだったのです」
「ゼエン様! どうして――」
アフィエーミは苛立ったようにゼエンを呼んだ。
ゼエンの考えが、彼女には全く分からない。
はぐらかされている、と思った。
信じられない、とも思った。
近衛師団長だった男が、全てを捨てて、どうして犯罪者の息子に肩入れするのか。
「すみません、迂遠でしたな。ですが私も、なかなかにずっと、口にすることができなかったことなのです……。許されないと、思っていたのです」
「許されない?」
リーセン以外の三人が、訝しげな瞳をゼエンに向けた。
リーセンはゼエンを励ますように彼の隣で、ただじっと、ゼエンの言葉に耳を傾けている。
全員の注視を浴びながら、ゼエンは何とか、絞り出すように口にした。
「ヴィゼ殿は……、あの子は、私の……、甥なのです。妹とあの領主との間に生まれた、私に唯一残された――血の繋がった、家族なのです」
遺跡の通路に、沈黙が落ちた。
エイバとレヴァーレは瞬きも忘れてゼエンを見つめる。
アフィエーミは、ゼエンと横たわるヴィゼを何度も交互に見やった。
「……いや、実は御大がヴィゼの父親なんじゃないかとか、疑っていたりもしていたんだが……、そうか……」
エイバの言葉に同意するように、レヴァーレも頷いて見せる。
「そうだったら良かったと、何度も思ったものです……。そうであれば、ヴィゼ殿をあの男の血から解放できたのですが……」
「御大が伯父さんて言うたら、それはそれでヴィゼやんが気にするの、マシになると思うけど……、」
「そう、かもしれませんなぁ……。ですが、私には言えませんでした」
再び、問う視線がゼエンに向く。
ゼエンは訥々と告白を続けた。
「妹を助けにも行けなかった私が、今更のこのこと現れて、何を言えたでしょう。本当に肝心な時に力になれなかった人間が、これからは家族として共になどと、都合が良すぎる。私には、言えませんでした。本来ならきちんと告白し、ヴィゼ殿から罵られ蔑まれることこそが私の償いだったのかもしれません。しかし私は、臆病でした。受けてしかるべき嫌悪や軽蔑を怖れたのです。何より、今度こそ守りたいと思った。だからヴィゼ殿を騙してでも――側にいることを選んだのです。それこそが、ヴィゼ殿の望んだことでもありましたから……」
ふ、とゼエンは息を吐く。
そして、ぽつりと声が響いた。
「……そう、だったんだね……」
声の持ち主は、ヴィゼだった。
彼はすぐ側にあったゼエンの腕を、まるで逃がすまいとするかのように掴むと、ゆっくりと起き上がる。
その隣でクロウも、静かに上半身を起こしていた。
「ヴィゼ、クロ!」
「大丈夫なんか!?」
「大丈夫」
驚きと安堵を満面に浮かべる仲間たちに、ヴィゼとクロウは頷きかける。
実を言うと少し前から意識は戻っていたのだが、アサルトの忠告通りゆっくり目を開こうとしたところで、何やら邪魔できない雰囲気で話をしていると、息を潜めることにしたのだ。
目を見開くリーセンにも少し頭を下げて――、ヴィゼはゼエンの顔を覗き込む。
ヴィゼの側にずっといてくれたたった一人の大人は、驚きと焦燥で言葉を失っていた。
ゼエンもヴィゼに打ち明けたいと――遠くない内に打ち明けようと、決意を固めていた。
しかしこんな形になるとは予期せぬことで、狼狽せずにはいられない。
仲間たちには腹を決めて話してしまったというのに、と徐々に落ち着いていく思考の中で、ゼエンは自嘲した。
「ヴィゼ殿……」
「そんなに他人行儀な呼び方じゃなくてさ、ヴィゼ、でいいよ。本当はずっとそう言いたかったんだけど……」
ヴィゼ自身、混乱している。
ゼエンが血の繋がった彼の伯父だったとは、予期せぬことだった。
いや――ゼエンが居てくれる理由を、ずっと考えないようにしていたのだ。
目を逸らしていた。
そして今、ゼエンの理由を知って、動揺し、困惑しながらも、ヴィゼも言わなければならないと――口を開く。
「ごめん、ずっと、つらい役目を御大に押し付けてた」
「そ、んな……」
「御大は……、僕の保険だった。僕が道を踏み外したら、御大が止めてくれる。あの男の被害者ならば、躊躇いなく、後悔なく、僕を――」
その期待の言葉を、ヴィゼは喉の奥に呑み込んだ。
「ずるい、考えだったよ。なんで御大がこんなに僕を気遣ってくれるのかとか、思っても、僕は、気付かないふりをした。自分の安心のためだけに――」
あの頃、ヴィゼは自分の言動一つ一つが恐ろしかった。
あの領主が死んだ代わりに、自分があの男のようになってはいないか。
そんな不安を度々覚え、その度にゼエンを窺って――、自分が道を踏み外していないだろうことに、安堵していたのだ。
今ではもう、そんな思いに囚われることはほとんどなくなったけれど。
それもきっと、ゼエンのおかげなのだ。
「ごめん」
ヴィゼは頭を下げて謝る。
「……僕はまた、同じように御大に甘えてしまうかもしれない。でも、御大――、できれば、これからも僕たちと……、その、一緒にいて、ほしい」
気付かぬ内に、ヴィゼは縋るようにゼエンの腕を強く掴んでいた。
逡巡の後、その手に自らの手を重ね、ゼエンも頭を下げる。
「謝罪をして、許しを請うべきは、私の方です。私はずっと、あなたを騙していました。申し訳ありません――」
「そんな、」
「あなたの母親を……、妹を、助けることもできなかった。いくら謝っても、足りるものではありません。それなのに、のうのうと、」
「それは言い過ぎだよ。その……、全く何も思わない、わけじゃないけど」
ヴィゼは吐露して、それから、悔しげに顔を顰めた。
「それに、母を……、母さんのことを助けられなかったのは僕も同じだよ。あそこから逃げることもできなかった。母さんが襲われた時も――何もできなかったんだ……」
「そんなことはありません。苦境の中、二人で寄り添い、支え合っていたのでしょう。私は、」
「国を、民を守っていた。そうだよね?」
「それは――」
「母さんだって、御大のことを恨んではいなかったよ。朧げだけど、覚えてる。母さんが昔、家族のことを話してたこと。……兄がいるって言ってた。すごい人なんだって。自慢げに、誇らしそうに、言っていたんだよ」
「――!」
ゼエンは再度、言葉を失った。
「何にも思うところがなかったわけじゃなかったと思う。だけど、御大のことを憎んだりなんか、していなかった。母さんは御大のこと、最後までちゃんと家族だって思ってたんだ。僕も……、今更、そうじゃないなんて思えないよ。今ここで、御大のことを聞く前から、御大は、僕の家族みたいなものだった。エイバやレヴァーレも、ラフもセーラも……、もうずっと、家族みたいに思ってたんだよ。だから――」
言い募るヴィゼに、ぐっと込み上げるものを呑み込むようにしたのは、ゼエンだけではなかった。
囁くように、ヴィゼの名を呼ぶ声が重なって、落ちて。
「はい、」
と掠れる声で、ゼエンは是の返事を、返す。
「……許されるのならば、これからも<黒水晶>の一員として、皆さんと共にいさせてください」
「うん」
ヴィゼは照れたように頷いて、ゼエンの手を握手の形に握り直した。
「改めて、これからもよろしく」
「ヴィゼ殿も、皆さんも……、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたゼエンに、仲間たちは温かい眼差しで頷く。
誰も彼も、その瞳をじわりと赤く染めていた。