35 修復士と皇帝の選定①
ヴィゼとクロウはアサルトと向き合い、三人はようやくきちんと名乗りあうこととなった。
「まずは名前を聞かせてくれ」
と言われ、ヴィゼとクロウは端的に己の名のみ口にする。他にも何か言うべきかとヴィゼは迷ったが、ひとまず余計なことをいうのは止めておいた。
二人の名を聞いたアサルトは、どこか見透かすような目をして満足そうに笑う。
「改めてこっちも名乗るか。俺はアサルト。皇帝をやってたこともあるが、その辺は気にせず話してくれ。もう死んでる身だしな」
「死んでいる……、では、あなたは一体?」
普通の人間は当然ながら五百年も生きられない。
だからアサルトが死んでいるというのは意外でも何でもないことだが、では何故死んでいるはずなのにヴィゼたちの目の前に存在しているのか。
“呪い”の存在が脳裏を横切り、ヴィゼの顔は強張った。
「死ぬ前にアサルトが遺した、魂のひと欠けらだ。だから正確に名乗るなら、俺はアサルトの一部分、だな。アサルトは俺と、それから大量の魔力を、お前さんたちが持っている箱に封じ込めた。そっちの――ヴィゼがさっき言った通り、この空間は、あの箱の中なわけだ。厳密に言うとちょっと違うんだが、その辺の細かい説明は今はいいだろう」
どうやら目の前の存在は、“呪い”とは似て非なるもののようだ。
ヴィゼの懸念を杞憂にして、アサルトは告げる。
「気にしているだろうから言っておく。アサルトは死んでいて、俺に肉体はない。ここにいるお前さんたちも、魂だけの存在だ」
あの時もそうだったのかな、とヴィゼはノーチェウィスクとの邂逅を思い出した。
しかし、魂だけ、と言いながら、装備品その他がそのままここにあるのはどうにも腑に落ちない――と言って裸では困ってしまうが――、これも魔術によるものなのだろうか。
自身の手の中にある杖を握り、その感触が変わらないことを確かめながら、ヴィゼはアサルトの言葉に耳を澄ませる。
「それで、お前さんたちの体は現実世界――お前さんたちがさっきまでいたと認識している場所にある。魂がここにいるから、眠っているような状態になっているはずだ。お前さんたちが戻れば自然に目覚めるから、そこは安心していてほしい」
さらにアサルトは続けた。
「で、ここと外――現実では時間の流れが違う。俺たちのこの会話も普通に話しているようだが、実際には概念送受と同じだ。通常の発声のような時間はかかっていない。ここで余程何かない限りは、お前さんたちが目覚める時、そんなに時間は経っていないはずだ」
それを全て鵜呑みにしてしまってよいのか分からないが、信じるほかない。
ヴィゼは頷いた。
「前置きはこんなもんで、本題に入ろう。お前さんたちを――お前さんたちの魂をわざわざこの場に呼んだのは、箱の持ち主を選定するためだ」
「……完全にそちらの都合ではないか」
「まあそうだ。だがそっちにだって箱を開けた責任ってものがあるだろう。開けたいと思った理由だってあったはずだ」
アサルトは太々しく笑う。
「……後で、というわけにはいきませんか? 仲間も一緒で、心配させてしまっていると思うのですが……」
「悪いがそれはできない。選定の機会は基本、一度きりだ。余程の事情があれば考えなくもないが、そこまで余裕がないわけではないだろう?」
本当に余裕がなければ腰掛けてすらいないだろう。
ヴィゼは仕方ないと諦めて頷いた。
「選定と言っても話をするだけでそう時間はとらない。諦めてくれ。……それで聞きたいんだが、二人が持ってる箱はケルベロスのやつに預けてあったものだろう。あの城には魔物討伐にでも入ったのか」
その辺りもアサルトには分かっているようで、ヴィゼたちはケルセンの城に行くことになった経緯に始まり、そこから芋蔓式にヴィゼが召喚魔術を求めていたことやクロウとの出会いまで、あれやこれやと端折りながらも話すこととなった。
――さすがは元皇帝、と言っていいのかな。聞き上手というか、話させ上手というか……。
と、ヴィゼは妙なところで感心する。
「随分と苦労してきたみたいだな」
話を聞いたアサルトはそう漏らしたが、それ以上はヴィゼたちの過去について触れなかった。
アサルトの反応が過剰でないのは、ヴィゼたちにとって有り難いことである。
おそらくそれを、アサルトは理解しているのだろう。
「それにしても、まだ五百年か……」
アサルトの死後、五百年しか経っていないということを、彼は気にする。
「まだ」と口にしたアサルトの真意が分からず、ヴィゼは眉を寄せたアサルトを怪訝な顔を隠さず見やった。
「何か問題が?」
「いや、問題はない。この箱が開かれるならもっと先のことだろうと思っていたというだけだ。黒竜の手に渡っているというのも想定の範囲外だったが、あいつの縁者なら俺にとってこれ以上のことはない、とも言える。何も起こっていないというなら、起こっていない方がいいんだしな」
ヴィゼにはアサルトの言葉の意味がやはり分からない。
ヴィゼの表情を見て、アサルトはひょいと片方の眉を器用に上げた。
「その反応を見るに、お前さんは何も聞いていないようだな?」
「皇帝、いまだその時は遠いのだから、話す必要はない」
クロウの口調があまりにも冷たいものだったので、ヴィゼは驚いて隣のクロウに視線を向けた。
その視線に気付かないはずもなく、クロウはすぐにばつの悪そうな顔になる。
「あるじ……、その、都合の悪いことを隠そうというのではない……、あるじに話してもいいのだが、その、わたしはあるじに知ってほしくないのだ。……すまない、わたしの勝手だ」
ヴィゼは困惑した。
肩を落とすクロウに、アサルトは容赦なく言う。
「確かに勝手だな。……だが、その思いは理解できる。俺が俺だからなぁ」
「どういうことです?」
「んー、確かに今絶対話さないといけない、ってことではないからな。ここで俺の口から言うのは止めておこう」
アサルトはクロウに配慮することにしたようだ。
それは有り難いが、ヴィゼには腑に落ちないことばかりである。
「とりあえず、これからずっと先、大量の魔力が必要になるかもしれない、ってことだけ言っておく。だからアサルトは俺を遺した。で、俺はその時に目覚めると思ってた、って話だ」
「あなたがそうした、ということは……、白竜のためでしょうか。答えられない質問なら、答えずとも結構ですが」
ヴィゼが口にしてしまってから付け加えたのは、クロウを慮ってのことである。
アサルトは苦笑して答えた。
「そこは自明の理だよな。……いらん世話だと分かってはいたが、保険にはなるかと思ったのさ」
竜を愛する者としてアサルトと同じ立場であるヴィゼは、何となくだが理解した。
アサルトは白竜の力になりたくて、魔力を遺した。
それが自分や、自分の愛した竜がいなくなった後でも、役に立てるかもしれないと信じて。
それだけのことが、未来に起こるのだろう。
そしてクロウは、ヴィゼがアサルトと同じような行動をとるのではないかと、心配している。
それは決して、自惚れでも無用の心配でもない。
ルキスを求めて禁忌の召喚魔術に手を出し、今また、ヴィゼは許されざる領域へ手を出そうとしているところなのだ。
詳細を聞けば、きっと自分も何かをしないではいられなくなるのだろう。
実際、遠い将来のことであっても、何も知らないままでも、クロウのためになることがあるならばしたいと、今まさに思っているのだから。
しかし、とヴィゼはさらに思考する。
アサルトは、竜が箱を開けるように設定していた。
未来に何かが起きると言うが、そこから汲み取る限り、累が及ぶのは竜族、のようだ。そこには、アルクスやシュベルトのような、アサルトと白竜の子孫も含まれているのかもしれないが……。
ヴィゼが問題視するのは、何故、箱が黒竜の手に渡るのは想定の範囲外なのか、ということだった。
竜族の中で黒竜は虐げられる存在だが、だからといって断言するのか。
ヴィゼは胸に悪い予感を覚えた。
言葉尻を重く捉えすぎだろうか。
だが――。
「ま、ある程度理解してもらえたようで何よりだ」
まるでそれ以上のヴィゼの思考を止めるように、アサルトは手を叩いた。
「それで、これからのことなんだが」
アサルトが言うのは、箱をどうするかということだろう。
選定とやらはもう終わるのか、といち早く戻ることを考えながら、ヴィゼは肩透かしを食らったような気持ちになる。
けれどその思いも一瞬のこと。
続けられたアサルトの言葉に、ヴィゼは仰天させられることになる。
「箱は、ヴィゼ、お前に持っていてもらいたい」