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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第5部 修復士とはじまりの場所
141/185

32 修復士と黒竜の傷



「――クロウ、その手、どうしたの」


 杖を脇に抱えたヴィゼが、手を伸ばして触れたのは、指輪ではなくクロウの手のひらの方だった。


「どうもしていないが……、」

「これ、返り血じゃないよね」

「おい、怪我してんのかよ」


 ヴィゼは指輪をクロウから取り上げ、隣に立ったエイバに渡した。

 クロウの手のひらは血に濡れている。

 手の甲ならば返り血だと判断したかもしれないがそうではない上、オーガの血は体と共に消え失せてしまった。

 そこから示される答えはひとつだ。


「ああ、そういえばさっき、オーガを倒した後に少しバランスを崩して……」


 この足場の悪さである。

 バランスを崩して手をついた先に何かで手のひらを切ってしまっていたのだろう。

 それどころではなかったので、全く意識に上っていなかった。


「大丈夫だ。その――」


 クロウは部屋の外の耳を気にした。

 続く言葉を、概念送受に切り替える。


『もう治っているし、気付かなかったくらいだ』


 人化の魔術を使っているとはいえ、クロウは竜だ。

 魔力の多さもあって、常人の何倍も傷が癒えるのは早い。

 実際に、いつの間にか負っていた傷は既に塞がっている。


 けれどヴィゼは固い表情のまま、クロウの手を離さなかった。


「……痛かったりしたら、言って」


 ごめん、という言葉を呑み込んで、ヴィゼは腰のポーチから小さなタオルを取り出すと、クロウの手を拭った。


 戦士である以上、身の危険とは隣り合わせである。

 それを理解していて、ヴィゼはクロウと共に戦っているというのに。

 クロウを頼りにしているのに。


 ――傷一つも許せないという、矛盾。


「あるじ、汚れるぞ、そんなこと、」


 しなくてもいいとクロウは手を引こうとしたが、ヴィゼがそれを許さないと言わんばかりに力を強めたので、途方に暮れてしまった。

 戸惑いの眼差しでエイバに助けを求めてみるが、彼は肩を竦めるだけだ。


 ヴィゼは丁寧にクロウの手から血の跡を拭きとっていく。

 あるじにこんなことをさせてしまって、とクロウは落ち着かなかったが、それだけ心配させてしまったのだ、と分かってしまって抵抗を諦めた。


 ――わたしのことより、自分のことをもっと気遣ってほしい……。


 真剣な眼差しのヴィゼを、クロウはそっと見つめる。


「殺せ」


 と、死を目の前で望まれて、ヴィゼは平然としている。

 だが、内心ではどう感じているのか。

 分からなくて、もどかしかった。


 ヴィゼのその平静さは、ナーエで虐げられることに慣れてしまったクロウと同じで、フルス時代に培われてしまった諦めと慣れから来るものだ。

 ヴィゼも何も思わないわけではないのだが、被害者の気持ちが分かってしまうこともあって、あの父領主の息子として生を受けてしまったからには当然と受け止めるようになってしまったのだった。


 そんなヴィゼを仲間たちが知れば叱っただろうが、この状況で問いかけることもできず、クロウは落ち着かない気持ちでヴィゼを見つめる。


「……うん、大丈夫そうだね」

「だからそう言っている……」


 クロウはつい、拗ねたような口調になった。


「……見てるだけで何もできなかったから、これくらいはさ」

「あの状況で魔術士であるあるじが何もしなかったのは正しい判断だった」


 魔術を放てばクロウも巻き添えになる可能性が高かったし、この魔術具に溢れた部屋でそんなことをしたら何が起きたか分からない。

 手近なゴブリンに攻撃するくらいならできただろうが、それによって大量のゴブリンがどう動くか……。

 ヴィゼやエイバが状況を注視していたのは正解だった。


「魔物には問題なく対処できたし、刺客も捕まえたし、皆無事だ。あるじが気にするようなことは何もない」


 クロウはきっぱりと告げる。

 ヴィゼはそれに少し目を見張ってから、「うん」と素直に頷いた。

 ありがとう、と決まり悪げに彼は微笑して、


「――それじゃ、いい加減出ようか。エイバ、彼のことをお願いしていい?」

「りょーかい」


 倒れ伏す男を指してヴィゼが言えば、エイバはちょっと嫌そうな顔になった。

 だが置いていくわけにもいかないので、渋々男を肩に担ぐ。


「そういえば、出入口、開いたままだね」


 タオルをポーチにしまい、ヴィゼは遅まきながらそれに気付いた。


「ああ……、」


 クロウは相槌を打って、


『<影>に開けさせている。何か言われたら適当に誤魔化してほしい』


 そう、ヴィゼとエイバにだけ打ち明けた。


 なるほど、とこっそり頷きながら、ヴィゼたちはようやく部屋を出る。

 全員が部屋を出たところで、三つの出入口は同時に閉まった。


 それを背後に、ゼエンやリーセンが気遣わしげな顔で三人を迎える。


「ご無事ですかな」

「クロウのおかげでね」

「皆さん申し訳ありません、本当に何と申し上げたらいいのか……」

「いえ……」


 リーセンは疲弊した顔で頭を下げた。

 研究者の男を結局ヴィゼたちに対処させてしまったことへの詫びだ。


 隣にいるアフィエーミはその手を拘束されている。

 男に唆されて行動に移そうとした、それを咎めてのことだが、逆らう様子もなく悄然と佇んでいた。


 その姿に、ヴィゼはかける言葉を持たない。


「それより、早く皆と合流を――」


 ヴィゼが言いかけた時。

 彼のポーチから、唐突に()が溢れ出した。


「え……!?」

「あるじ!?」


 それは一瞬でヴィゼを包み込むように広がり、クロウは慌ててそんなヴィゼに手を伸ばして――。


「リーダー!?」

「ヴィゼ!!」

「ヴィゼ殿!?」


 そして光は、現れた時と同じように唐突に消えた。


 ヴィゼとクロウの体が、力を失いゆっくりと床に沈んでいく。

 魔術なのか――ゼエンとリーセンが急いで差し伸べた手に、二人の体はあまりにも静かに落ち着いて。

 ヴィゼの手の中にあった杖も、音も立てずに床に横たわった。


「リーダー! クロウ殿!」

「おい、どうしたんだよ!」


 声をかけ、肩を揺さぶるが、二人はぴくりとも動かない。

 エイバとゼエンは顔を見合わせ、茫然とするしかなかった。




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