31 修復士と襲撃の復讐者②
「まさか……っ!?」
襲撃者をしばらくの間閉じ込めておける強度の結界を生成したはずだ――ヴィゼは声を上げた。
そう易々と壊せるものではないのに何故、と見つめる先で、その理由はすぐに判明する。
ガシャンガシャンとけたたましい音がして棚がなぎ倒され、そこにいたのは――オーガであった。
かなりの巨体で、部屋の中では随分と窮屈そうである。
怒り心頭といった様子のオーガは、大声で唸ってはその手の棍棒をぶんぶんと振り回した。
ヴィゼたちは慌てて出入口の方まで後ずさる。
「綻びか!?」
「いや、これは、召喚……!?」
とにかくこのままにしておくわけにはいかない。
逃げたところで追いかけてきそうであるし、無茶苦茶にされた魔術具が今にも何かしらの反応を起こすのではないかと恐ろしかった。
「行け、化け物! あいつを殺せ!」
オーガの後ろで男が一人、顔を歪めて怒鳴る。
戦闘員ではない、研究者の男だった。
男の周りには、魔力を封じていた貴石がいくつも転がっている。
「さっさと、あいつを……!」
その言葉が理解できているのか、いないのか。
その声が気に障ったのか、それともただ一番近くにいる者を標的にしたのか。
振り返ったオーガの棍棒が、その男をめがけて振り下ろされた。
男はあまりにも予想外といった様子で、対応する素振りもない。
「――な、」
「ちっ」
舌打ちし、一瞬でオーガの元へ移動したのはクロウだ。
オーガが棚を倒したため、先ほどまでの狭さを気にせず本来のスピードを発揮し、クロウはオーガの腕を斬り落とす。
落下した腕と棍棒が、下に落ちた棚の一部や魔術具に当たって大きな音を立てた。
クロウはそのまま、オーガに叫び声さえ上げる暇も与えず、隙だらけの首を狙い剣を振るう。
オーガの首は跳ね上がって天井にぶつかって落ち、斬った箇所からは勢いよく血が噴き出した。
しかし返り血は、誰にも降り注ぐことなく掻き消える。
それはオーガの死体も同様で、それがぐらりと倒れ込もうとした最中に光を帯びたかと思えば――消えてしまったのである。
それは、落ちたオーガの腕も同様に。
「な……!?」
男も驚愕の表情を浮かべていることから、彼の仕業でないことは分かる。
――遺跡の機能の一つなのか……?
誰もが茫然としている中で、動いたのはクロウだ。
男を確保しよう、と近付いたのだが、狼狽えた男が咄嗟に投げつけたものが床に転がる貴石にぶつかり、そして。
「クロウ!」「おいおいおいおい!」
部屋に続いて現れたのは、大量のゴブリンだ。
ゴブリンたちは何やら浮き足立つ様子で、その体で部屋中を満たしてしまった。
それだけの数がいるため、部屋はぎゃあぎゃあと彼らの鳴き声でいっぱいになる。
それに押し出されるようにヴィゼとエイバは開いたままの出入口から通路に出たが、クロウはゴブリンに囲まれてしまっていた。
「アフィエーミ伍長! アレを使え! 今がその男を殺す好機だ!」
ゴブリンの向こう側で男が叫ぶ。
茫然とするばかりだったアフィエーミは、名指しされてびくりと肩を揺らした。
部屋を出たヴィゼがすぐそこにいるのを、彼女は見つめる。
「アフィエーミ伍長!」
リーセンの制する声は、彼女の耳には遠かった。
すぐ側にヴィゼが――彼女の敵がいる。
魔物がいて、あの恐ろしい黒い少女は足止めされていて。
彼女の視界にはヴィゼだけが映りこんでいた。
片方の手が、もう片方の指に嵌められた指輪に、触れて。
「――止めなさい」
彼女のその手に手のひらを重ねて止めたのは、ゼエンだった。
「きっと後悔します」
ゼエンの瞳に射抜かれ、アフィエーミは動けなくなる。
――いや、動けないのは、ゼエン様のせいでは、ない……。
「――でも、私は……、姉のことを、忘れられない……! 許すことができない……! あなたのようには、なれないんです……!」
渦巻く気持ちは涙となって、振り絞った言葉と共に外に出た。
アフィエーミの中にある迷いを見たのか、こんな時であるのに、ゼエンは微笑めいたものを口の端に乗せる。
「私も同じです。許したことはありません、ただの一度も。だからこそ、いるのですな……ここに」
「それは――どういう」
ゼエンの真意が全く分からなくなって、アフィエーミは瞳を揺らす。
「おい、お前たち、そこにいる奴らを殺せ!」
そんな一幕をよそに、ゴブリンに囲まれた男はなおも喚いていた。
ゴブリンの声に負けないよう張り上げた声は、非常に聞き苦しい。
そんな男の声にゴブリンたちが戸惑いから覚めようとする――その前に。
「うるさい」
クロウは今度こそ、男の首元に剣の柄を当ててその意識を刈り取り、男を黙らせた。
オーガと同じように首を斬り落としてやっても良かったのだが、そうしなかったのはヴィゼがアフィエーミを殺させなかったことを覚えていたからだ。
ヴィゼの本意でないことをするつもりはないし、下手に命を奪うと正当防衛とはいえ非難の声は避けられない。
そう考える冷静さは、一応残っていた。
けれど怒気が完全に抑え込めているかというと、否だ。
部屋中にクロウの殺気が満ちて、ゴブリンたちは人間たちを襲うどころではなくなっていた。
竜の威圧に、彼らは身を縮め蹲る。
弱者が強者に首を垂れるような図を気にせず、クロウは剣を持っていない方の手で、足元に転がり落ちている指輪を拾った。
それは先ほど男が投げつけた指輪だ。
クロウはその指輪を手に不機嫌そうにゴブリンたちを一瞥し、概念送受を使って告げる。
『しばらくまた、眠っていろ』
クロウはそれから、指輪を使った。
次の瞬間には、部屋を埋め尽くしていたゴブリンはまるで幻のように消え失せている。
男の指輪は、魔術具であった。
同じ機能の魔術具を白竜の元で見た覚えがあったので、それがどういうものか、クロウには分かったのだ。
「はぁ……」
一瞬で静かになった空間に、クロウの溜め息が響く。
彼女が剣を鞘に戻すと同時に、彼女から溢れる殺気もしまいこまれた。
「クロウ! 大丈夫!?」
ゴブリンが消え、血相を変えたヴィゼは部屋に飛び込んだ。
大丈夫、とクロウは頷く。
ヴィゼに何事もなかったことは分かっているが、頷くクロウもヴィゼに怪我がないかをその目で確かめた。
「一体何がなんだったんだ……?」
首を捻りながら、エイバもヴィゼに続く。
床に物が散乱しているので進むのに難儀するが、ヴィゼは彼らしくなく魔術具を足蹴にし、クロウの元へ辿りつくことを優先した。
「これが切り札だったようだな」
クロウは指輪を掲げて示す。
「どうやら魔物をここに封じていたようだ」
「なるほどなぁ。召喚じゃあなかったわけか」
指輪と倒れ伏す男を見て、エイバは嘆息した。
一方、クロウの手元を凝視したままヴィゼは束の間固まっていた。
魔術具をよく見たいのだろう、とクロウはヴィゼの方へ手を伸ばしたのだが――。