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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第5部 修復士とはじまりの場所
126/185

17 監視者と元部下



「――本日はここまでとしよう」


 実際に聞きたかったことは、ひとまず一区切りしたようだ。

 アフィエーミが無意識に肩の力を抜く前で、リーセンはずっと後ろで黙って控えていたゼエンを振り返った。


「その前に、ゼエン殿、何か聞いておきたいことなどありますか?」

「今のところは……」

「あ、あの!」


 穏やかに首を横に振ったところで、声を上げたのはアフィエーミである。


「ゼ、ゼエン様! お聞きしたことがあります!」

「アフィエーミ伍長、発言を許可した覚えはないが」

「も、申し訳ありません……」


 冷たいリーセンの声にアフィエーミは小さくなったが、ゼエンがリーセンを抑えた。


「構いませんよ。何でしょうかな」

「あの……」


 リーセンの顔色を窺いつつ、ゼエンを見上げるアフィエーミの目には、尊敬と、縋るような色があった。


「私は――私は、やはり納得がいきません。あの男の息子が、潔白なわけがない。国外追放だけで許されるなど、生ぬるい。だからあなたが……あなたのような方がわざわざ、あの息子についているのではないのですか。あなたも、あの男が許せない一人なのですよね? ゼエン様も、ご家族を……、アイザラのせいで失った、と聞きました。どうして、あの息子をのうのうと生かしておくのですか。それとも何か――」

「アフィエーミ伍長!」


 声を荒げて彼女を止めたのはリーセンだ。


「僭越に過ぎる。口を閉じろ」


 不満そうではあるが、アフィエーミは黙った。


 ゼエンは小さく溜め息を吐く。

 全く予想もしなかった台詞、というわけでもないが、実際に聞くことになるとは……。


「……確かに私の妹は、あの男に真っ当な人生を奪われました」


 変わらず穏やかな声でゼエンが言った内容に、リーセンがぎょっとした顔を向ける。

 二人の兵士も「これは聞いていいのか」という顔だ。


 しかし、これに関して(・・・・・・)、ゼエンに隠すつもりはなかった。緘口令が布かれているわけでもない。もちろん、積極的に広めたいわけではないし、容易に触れてほしいことでもないが。


 ゼエンの知名度に対して、このことは滅多に人々の口に上らない。

 それは、ゼエンがフルス国王の言わば「お気に入り」で、国王がゼエンを慮っていることが、関係者の口を重くしたからである。

 平民上がりで近衛師団長にまで登り詰めたゼエンは国民にも広く慕われている。そのゼエンの評判を傷つけることは好ましくない、という判断もあったようだ。

 ゼエンを英雄視しすぎる輩が暴走する可能性もある、とも当時は考えられていた。

 そうした諸々の思惑が重なり、ゼエンとかの領主の因縁を曖昧に隠している現状がある。


 この場にいるフルス兵士たちの仰天顔には、そんな理由があった。


 それはそれとして――、ゼエンは変わらぬ調子で続ける。


「ですが彼女の死に、ヴィゼ殿の責任は全くないのですなぁ」

「で、ですが、だとしても、どうして……」


 命令を忘れ、茫然とアフィエーミは問う。


「さて、どうしてだと思いますかな? アフィエーミ殿、もう少し客観的にうちのリーダーを見てみてほしいのですなぁ。きっと分かることがある、と思います。自分自身のことも、少し冷静に見てみるべきですな。あなたは、お姉さんのような人を守るために兵士になったのではないのですか? 今のあなたは、そうなれていますかな?」


 アフィエーミは、答えられなかった。


 今度こそ、この日の尋問はこれで終わりとなる。


 二人の兵士に後のことを任せ、ゼエンとリーセンはテントの外に出た。

 先ほどよりもずっと、静寂が耳に痛い。

 そのまま就寝、とも行かず、二人は話を聞かれないよう森の中に入った。


「すみません、止めるのが遅くなって余計なことを……」

「私が聞くと言ったのですから、あなたが謝ることはないのですなぁ」

「いえ、しかし――彼女は、思慮分別に欠けますな。全く……」

「まだまだ若いですからなぁ。今は頭に血が上っているのでしょう」


 声を潜めながら器用に怒って見せるリーセンを、どうどうとゼエンは宥めた。


「どうしてあなたの方がそんなに落ち着き払っているんですか」

「もう年だからでしょうかな」


 じとりとした目で睨まれて、ゼエンは苦笑する。


「落ち着いている、わけでもないのですな。あの方はもう一人の私のようなものです。見ているとどうにもむず痒い……」

「それにしても、甘くはありませんか。あのような助言を……」

「甘いどころかさぞ耳に痛かったでしょう。少しは大人しくしてくれれば良いのですが」


 それはゼエンが思うよりも冷たく響いて、リーセンはわずかに目を見張った。

 ふ、とゼエンは苦い笑みを浮かべたまま、続ける。


「私は、彼女を許しているわけではないのですな。頭に血が上っている、とは言いましたが、彼女はあまりにも短慮ですからなぁ」

「ええ。あなたはもっと怒ってよいと、おれも思いますよ」

「……ただ、」


 労わるような表情の元部下に、ゼエンは今度は困ったように微笑した。


「こちらとしても、彼女の姉君の生存を黙っているので、何とも……。きっと、知った時はこれ以上なく喜ばしいでしょうが、それから穴を掘って埋まりたくなるでしょうな、今の言動を思い返してしまえば」

「……とんでもない羞恥と後悔でしょうね……」

「相応の罰、とも思います。本当に必死で姉の行方を追っていたなら、追えないものではないですしなぁ。ですが、本当のことを知るのが恐ろしいということも、分かりますからな……」


 溜め息が暗がりに響く。


 野営地から十分な距離を取って、二人は立ち止まった。

 湿っぽくなった空気を払うように、リーセンは腰に下げてあった水筒をゼエンに差し出す。


「結構な年代物の酒です。格別ですよ。いかがです?」

「リーセン……」


 呆れた眼差しを向ければ、暗闇に慣れた目に、リーセンの悪戯っぽい笑みが映った。


「昼間は飲んでませんよ。これは仕事終わりにでもあなたと飲もうと思って持ってきていたんです」

「……では、有り難く、頂戴しましょう」


 ゼエンは受け取った酒をぐっと呷った。

 胸を焼かれるような熱さが広がり、水筒をリーセンに返す。


「……明日が心配になるほど強い酒ですなぁ」

「大丈夫ですよ、おれたちなら。……旨いでしょう」


 リーセンもぐびぐびと喉仏を何度か動かして酒を流し込み、満足そうに笑った。

 何度か水筒がゼエンとリーセンの間を行き来する。


「……それで、とりあえず、ですが、彼女に関して、昼間は引き続き任務に従事させます。夜は先ほどのように拘束しておくつもりです。さすがに一般兵と全く同じにはできせんので」

「そうでしょうな」


 少しして、真顔のリーセンが告げた決定に、ゼエンはひとつ頷いた。


「明日、まずは先ほど彼女が口にした人物について調べさせます。しかし、吐いていないこともありそうですし、どうにもまだ隠れてるのがいるようですからね。こちらとしても気を抜くつもりはありませんが、ご注意ください」

「向こうから近付いてくれると有り難いのですがなぁ」

「ええ。せっかくヴィゼ殿が放免としたのですから、ちょっと食いつくくらいしてもらわなければ」

「囮役とは考えていなかったと思いますが……どうなのでしょうな」


 ヴィゼがどこまで思慮をめぐらせているのか、長年同じ時間を過ごしてきたゼエンでも、十全な把握は難しかった。


「今晩のことを皆さんにどこまでお伝えするかは、隊長にお任せします」

「最初から私をメッセンジャーに使うつもりでしたな?」

「ははは、まあそうですが、明日も朝一から遺跡、遺跡、遺跡で話しかける隙もないのではないかと」


 リーセンがヴィゼの元をいちいち訪れて、人目を憚る話をするのを周囲がどう受け止めるか、という懸念もある。

 元々ゼエンはそうした摩擦を少なくするためにも同行しているので、言葉にからかい以上のものはなかった。


「確かに、そうですなぁ。リーダーには私から報告をしておきます」

「……あなたが誰かをリーダーと呼ぶのは、どうにも慣れませんね」

「そうですかな?」

「……呼び方を変えようとは思わないんですか」


 ゼエンは一瞬息を詰め、すぐに吐き出した。

 暗闇に広がった吐息の白さに、リーセンは頭を掻く。


「すみません、ぶしつけでした」

「いえ、」


 ゼエンは首を振った。


 リーセンは全ての事情を知っている。

 だからこそ、言わずにおれなかったのだろうと、ゼエンは理解していた。


 ゼエンとて、思っているのだから。

 願ってしまって、いるのだから。

 このいびつな関係を、変えたいと。


「……迷っている、ところでしてなぁ」

「……即断即決だったあなたが」

「やはり、もう年、なのでしょうな」


 どこか疲れたように呟くゼエンを、暗闇の中、リーセンは目を凝らして見つめる。


「どうすべきなのか、何が正解か、分からないのです」


 この森の暗闇の中で一人、いつまでも彷徨い続けているかのようなのだ。


「――でも、本当は、何をどうするか、決めているんじゃないですか」


 茫洋と、森の奥に視線を向けていたゼエンに、どこか穏やかな笑みを含んだ声が届く。

 少し目を瞬かせて、ゼエンは視線をリーセンに戻した。


「どうすべきかは、分からない。でも、どうしたいかは、分かってるんですよね。ヴィゼ殿についていくかどうかって時と、同じ顔してますよ、隊長」


 リーセンは懐かしげに目を細めている。


「そこですぐさま走り出さないのは確かに年かもしれませんが、変わってませんね、本当に」


 どうしてか、どこか嬉しそうに言うリーセンに、ゼエンは茫然とした。

 やがて、心に落ち着いたものがあったように感じて。


 ただ、ゼエンはこう返した。


「そこは、そんなに年じゃないと否定してほしいところですなぁ……」




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