13 修復士と遺跡の結界①
「ヴィゼ殿! ヴィゼ殿!」
クロウが何とか昼食を食べきり、ヴィゼが結局フォローのタイミングを失い悶々としているところへ、目を輝かせたイグゼが走り寄ってきた。
「食事は終わりましたか? 今、フルス側の事前調査員も合流しまして、結界についての報告があるのです。ヴィゼ殿も是非こちらへ!」
ようやく「待て」が解除されたイグゼは、ヴィゼを押し倒さんばかりである。
それに苦笑して頷くと、ヴィゼとクロウは食器を返却し、研究者たちの集まる輪に加わった。
「この結界ですが、まず、一切の物質を通しません」
研究者たちの中心で報告を行うのは、モンスベルクとフルスの宮廷魔導士二人だ。
モンスベルクの宮廷魔導士は、朝方森で合流した人物である。
「結界に土の付着はあるものの、中に一切入り込んでいないのはご覧の通りです。様々な素材を試してみましたが、何の変化も見られません。オリハルコンやミスリル、高位の幻獣から作り出された武器でさえ傷の一つもつけられませんでしたし、わずかな揺らぎも生じませんでした」
それに、感嘆のような、呻くような声が上がる。
この辺りまでは、イグゼ経由でヴィゼも聞いていたことだ。
「次に、魔術で攻撃してみた場合ですが……、ご覧ください」
宮廷魔術士が結界の上に水を生み出す。
それは攻撃と呼べるほどのものではなかったが、"それ"を知るには十分だった。
「おお……っ!」
どよめきが上がる。
結界に触れた水が、一瞬にして消えてしまったからだ。
「そしてこちらは、川で汲んできた水になりますが――」
続けて、水筒の中の水が結界にかけられた。
すると今度は、結界の上に水たまりができる――つまり、水は消えなかったのだ。
「どういうことだ、これは……!?」
驚きも露わな声が上がったのも当然で、魔術で生み出したものとそうでないものに差はない、というのが今の常識だからである。
もちろん魔術士の実力等により、生成された物が不十分なものとなることはある。
しかし、十全に生成されたものは本物と全くイコールである、とされていた。
それなのに、結界は明らかに二つを区別しているのだ。
「炎などでも同じような反応が起きます」
「おそらくですが、この結界は魔術的に生成したものとそうでないものを判別しているのでしょう……」
この場に集まった研究者たちは選りすぐりである。
今の光景を見たならば言われずとも明らかなことだった。
「問題はそれをどう定義しているかだ。我々には、魔術的に生み出した水と自然界に元々存在する水との区別などつかない。どう違うというのだ?」
一人が難しい声で告げる。
他の者も同じように考えているのだろう、険しい表情だ。
その中でイグゼだけが表情を輝かせているのが異質である。
「素晴らしい! 過去の人々が保有してきた知識はいかほどのものだったのでしょうね。魔術式がどこかに刻まれているはずですから何が何でも見つけなくては……」
ヴィゼもそれに同意見だった。
だが、その魔術式を見つけるためにもこの結界をどうにかしなければならない。
いまだ地中に埋まっている壁面部分に魔術式があるならば結界越しに見ることができるだろうが、おそらく容易に見える場所にはないだろう。
元々感知できないようにしてあった結界であるが、だからといって魔術式を露わにしてしまっていれば、万が一の時敵に結界の情報を全て与えてしまい、結界の意味がなくなってしまう。
「攻撃の規模は、どの程度まで試してみたのでしょう?」
「国の許可を得まして、ほぼ最大火力を試してみましたが……」
宮廷魔術士たちは顔を曇らせる。
互いの軍事力の限界を見せ合うことなど言語道断なので手加減はもちろんしただろうが、それでも相当の攻撃を加えたはずだ。
ふむ、と顎に手を当てて、ヴィゼはちらりと傍らのクロウに視線を向けた。
試しにクロウに魔術を使ってもらうのはどうだろう、と考えたのだ。
この場で最も魔力を保有するのはクロウである。
クロウの本気であれば、結界を破壊できるかもしれない……。
しかしヴィゼはすぐにその考えを捨てた。
試す価値はあるが、失敗すれば綻びを増やしてしまうだけだ。
成功したとしても、その魔術で建物ごと破壊してしまう可能性がある――どころか、この辺り一帯が消し飛んでしまうかもしれない。
いずれにしろ、非難されてしまうのはクロウだ。
ヴィゼが責任を取るつもりでいても、どうしても矢面に立たせることになるだろう。それは避けたかった。
何の問題もなく成功して結界だけを消し去ってしまえる可能性はもちろんあるが、リスクが高すぎる。
人間からしてみれば強すぎる彼女の力を、あまり頼り過ぎたくない、という思いもある。
ヴィゼは当然、クロウを頼りにしているし、頼りにしてほしいというクロウの想いも分かっている。
だが、その力ばかりを欲しているように見えてしまうのは嫌だった。
――それに、多分この結界に魔術は効かない――
この結界は、魔力を吸収している。
きちんと検証したわけではないので断言はできないが、ヴィゼはそう考えていた。
というのも、彼が本拠地に設置している結界もそうだからである。
彼の作った結界は、魔術で生成したものを消し去って吸収するようなことはできないけれども。
結界は――結界も、強力であればあるほど魔力が必要になる。
本拠地の結界はヴィゼが拘りに拘って作り上げたもので、消費魔力も相当だ。ヴィゼ一人で維持するのは不可能なくらいで、不足分を周囲の魔力で補っていた。
魔力、と人が呼ぶエネルギーは、全てのものに宿っている。
その魔力を根こそぎ奪ってしまうと、そのものの劣化を招いたり、その領域の魔力バランスを崩したりすることに繋がってしまうが、各々から少しずつ魔力をもらう分にはほとんど影響を与えない。
その辺りの調整は難しい部類に入るが、ヴィゼは慎重にコントロールしていた。
目の前の結界は、同様に周囲から繊細な魔力補充を行っているのだろう。
そうでなければ、この結界が本当に五千年間存在し続けているとして、今頃消滅している方が世界の理に適っている。
余程の魔術士が作り上げたものであるかもしれないし、ヴィゼの知らない古文字・魔術がある可能性も否定しきれないが、魔術で生成した水が消えた理由はそうだからではないか。
周囲の魔術を吸収する、だけでなく。
魔術により生じさせたものを分解し、魔力を奪い吸収する。
それによって、結界の寿命をさらに長く伸ばす。
とはいえ、魔力の吸収にも上限はあるはずだから、クロウに試してもらう価値はやはり、あるのだが。
――何となく、何をしてもこの結界は保ちそうな感じがある……。
全くの直感であるが、ヴィゼは思った。
それでは、クロウの剣で斬ってもらうのはどうか。
そう考えてしまって、ヴィゼは自身の思考に嫌気が差すのを感じた。
失言の上、これである。
そもそもヴィゼのわがままに付き合わせるように因縁の地に足を運ばせてしまっているというのに、その上その力を利用しようとするようで、不快感を覚える。
しかし、最もな思いつきではあるのだ。
ヴィゼは溜め息を吐いた。
「珍しいですね、ヴィゼ殿もお手上げということですか?」
イグゼの言は、「そうではないでしょう?」という期待と信頼を孕んだ反語である。
ヴィゼは苦笑した。
「あっさりと降参したくはありませんが、難物であるのは確かですね。ところで、この辺りの魔力に関しての調査ですが――」
「今日中に行いましょう」
「よろしくお願いします」
魔力を周囲から自動的に吸収する類の結界は特に古いものに見られるものだが、大抵の場合魔術式が隠されているため、その存在を知る者は多くない。
とはいえ国が強い結界を敷く場合等には使用されており、その知識はそれなりの力を持った国の魔術士であれば手に入れることができた。
その知識を応用して今回の結界をどうにかできないかと考えられなくもないのだが、それらの結界は、目の前にある結界のように魔術的に生成したものを分解したりはしない。
おそらく目の前の結界の解除には使えないだろう、とヴィゼは考える。
「これを使うのも久しぶりです」
魔力を吸収する結界の存在を知っているイグゼは、目の前の結界の正体の一部にきちんと気付いており、打てば響くように返してくれた。
周囲の魔力量の調査を行う心算を既に持ってくれていたようで、その手には魔力量を測定するための、細長い形状の魔術具がある。
一般には流通していないその魔術具は、イグゼが今回の調査にあたり、特別に国から許可を得て持ち出してきたものだった。
魔力量が好き勝手に誰でも読み取れてしまうと、国としては色々と困ることが出てくるので――魔術士は経験により何となく相手や物の魔力を感知できるようになるが――、普段はしまい込まれているものだ。
魔術具を使わず、古式魔術で魔力量を調べることも可能ではある。
しかし、必要魔力量が多い上、慣れていないと数値を見誤ったりするという代物で、非常に使い勝手が悪い。
上記と同様の理由で一般には公開されていないその魔術式を、実のところヴィゼは記憶しているが、できれば魔術具に頼りたかったので、有り難く思った。
――結界の機能の一つは、おかげで明確にできる、かな……。
「それでは、付近の魔力量に関してはイグゼ殿にお任せします。僕は――、遺跡の壁面を見られるようにしてみましょうか」
「それは助かりますが、土を転移させるのですか?」
「その手も悪くないですが、転移先という問題がありますので」
そう言って、ヴィゼは自らの考えをイグゼに伝える。
イグゼは目を輝かせて、ゴーサインを出してくれたのだった。