12 修復士と執着心
ヴィゼたちがテントを出る頃には昼食に程よい時間となっていたので、遺跡調査開始は午後からということになった。
昼食の準備が進められる間ヴィゼに訪れたのは、レヴァーレの説教タイムである。
妾疑惑の話が出た後の失言は、やはりまずかった――その自覚のあるヴィゼは、甘んじて叱責を受けた。
木立の中にヴィゼを引っ張り込みレヴァーレが語った内容は、こうである。
ヴィゼと件の女性の関係を疑うわけではないが、あの場での「彼女の手紙」発言は良くなかった。
昔の仲間とのやりとりがあるのも分かるが、妾疑惑の話の後で、彼女の手紙を保管しておりなおかつ文通を続けているという旨の発言は非常に誤解を招く。
もう少し違う言い方をしていればまだ良かったが、先ほどのヴィゼの発言はただでさえ惑いの中にあるクロウを動揺させるものである。
何もかもその通りだとヴィゼは悄然とした。
レヴァーレにくっついているセーラの視線も痛い。
「後でフォローせなあかんよ」
「うん……」
ヴィゼが反省も後悔もしていることはレヴァーレも分かっていたが、ヴィゼのあまりの迂闊さに、言わずにはおれなかったらしい。
ヴィゼがあからさまに肩を落としているのを見、程々のところで終わらせてくれた。
ヴィゼを応援し、クロウのことを大事に思うからこそのレヴァーレの言である。
ヴィゼは落ち込みながらも真摯に受け止めた。
「あるじ」
木立から出てきたヴィゼに、クロウがほっと安堵の顔を見せる。
レヴァーレに待機を願われて、木立に入る少し手前で待っていてくれたのだ。
念のため結界を張って話をしていたので、聴覚の良い彼女にも話は聞こえていなかったはずである。
だがクロウは、二人に何の話をしていたのかということは聞かなかった。
先んじてレヴァーレが、ヴィゼを連れ去る際「確認したいことがあってな」と言い残していたからだろうが、クロウのこの態度からその心を読み取れず、ヴィゼもまた惑う。
先ほどのテントの中でもそうだった。
どこかいつもと違う雰囲気は感じ取れるのだ。
だがその先が、分からない。
幸いにも軽蔑や嫌悪といった感情は見当たらないが……。
「交流も兼ねて、集まって昼食をとろうということになったようだ。皆あちらに」
「ああ、行かなきゃね」
頷きながらヴィゼは、遺跡周りに、遺跡調査員と、土木作業員との二つの輪ができているのを認めた。
フルス・モンスベルクの両調査員メンバーに作業員が加わって、人口密度はそれなりだ。
遺跡調査のメンバーが集まっている方へ歩き出しつつ、さてクロウにどう言ったものか、とヴィゼは考える。
伝え方を誤れば、余計に誤解を与えてしまうことになりかねない。
それはとにかく避けたかったが、一体どう切り出せば良いのだろう。
悶々としながら人の輪に近付いたところで、ヴィゼはエイバが手を振って合図してくれるのに気付いた。
「二人の分のメシ、預かってるぜ」
器用なもので、シチューの入った椀の上にパンが乗っている状態のものを二つ、エイバは片手で持っていた。
それらを危うげなく、ヴィゼとクロウに渡す。
「御大は?」
「あっちでフルスの兵士さんらに囲まれてる。大人気みたいだな。俺とレヴァも、フルス側の人間と顔繋いでくるのがいいだろ? お前らはこの辺でゆっくりしとけ」
「ああ……、うん。ありがとう。よろしく」
ヴィゼとクロウは、先ほどから悪目立ちしている。
アフィエーミが早々に騒ぎを起こしてくれたおかげで、ヴィゼのことはすっかり知れ渡ってしまったようだ。
クロウに向けられる視線も変わらず畏怖に満ちたものである。
無理に人の輪の中に入っていったところで空気を悪くするだけだろう。
昼食とともに少し外れたところに場所をとっておいてくれたエイバに、ヴィゼは感謝した。
「二人とも、後でな」
レヴァーレは周囲の視線に顔を顰めたが、すぐに気持ちを切り替えたようで、去り際、励ますようにヴィゼとクロウに微笑んだ。
「それじゃあ、食べようか」
「うん……」
自分たちの分の昼食を受け取りに行くエイバたちの背を見送ると、ヴィゼはクロウを促し、敷いてある布の上に並んで腰掛けた。
遺跡の白い輝きを見つめながらの昼食は、思いの外悪くないものだ。
周囲の視線も、予想よりもずっと敵対的な感情は少なそうで、そこまで気にならなくなってくる。
ヴィゼに向けられるものも、どちらかと言えば同情めいたものが多いようだった。
それを嬉しいとは思わないが、剣を向けられることと比べれば害がないので有り難い。
アフィエーミの姿は、さすがに見当たらなかった。
テントの中で食事をとらされているのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながらパンをのみ込み、ヴィゼはクロウを窺った。
せっかくクロウと二人なのだ。先ほどの失言を挽回するチャンス、と上手い台詞を思いつかないまま、思ったのだが――。
そこでようやく、クロウが俯きがちに食事を進めていることに気付いた。
「……クロウ? どうかした?」
「――いや、」
声をかけられ、はっとクロウは顔を上げた。
気まずそうに口元をもごもごさせた後、小さく彼女は言う。
「その、あるじ、すまない……」
「え?」
「さっき、あの女にしたことが悪かったとは思っていない……が、その、結果的にあるじの邪魔になってしまったか、と……」
ヴィゼはわずかに瞠目した。
どうやらクロウは周囲の反応を気にしたようだ。
「邪魔になんてなっていないよ。大丈夫」
「そうか……?」
「むしろこれから、やりやすいと思うよ。敵意を持っている相手でも、余程じゃないと手を出そうなんて思わないだろうからね」
「だが、協力していくのなら……」
「それに関しても想定内だよ。そもそも僕への悪感情がもっとひどいと思ってたくらいだから。イグゼさんたちもちゃんと分かってくれているし、ストゥーデさんもリーセンさんも協力的だし、何の問題もないよ」
その言葉に嘘はない。
あっけらかんと答えたヴィゼに、クロウは安心したようだった。
「クロウこそ、嫌な思いを我慢してない?」
「わたしか? わたし自身は特に……。慣れた視線だ」
慣れ、という単語にヴィゼは眉を顰めた。
クロウの淡々とした言葉は、諦めを通り越して、痛みを感じなくなってしまったような無関心さがあった。
おそらく――クロウが慣れたのはナーエでのことだろう。
ヴィゼと出会うより前、力のない幻獣たちは彼女を怖れ、遠ざけた。
それは本能的に仕方のないことではあるが、その上同族からも疎まれ、あってはならない存在とされた彼女は、本当の独りで――。
そんなクロウが、世界を恨むでなく、周囲を厭わしく遠ざけるのでなく、こうしてヴィゼの隣で気遣いを見せてくれることがどれほど貴いことか、とヴィゼは目を細めた。
幸せにしたい、と心から想う。
奇跡のように、貴いこの存在を。
ヴィゼが、幸せにしたい。
「クロウ――」
「うん、」
「好きだよ」
唐突な告白に、クロウは喉に野菜を詰まらせるところだった。
「な、な、なんだ急に!? 今はそんな話はしていなかっただろうあるじ!」
「そう思ったから。いや、いつでもそう思っているんだけど……」
みるみる赤くなるクロウに、ヴィゼの中で愛しさが増した。
悄然とした空気を払えたことが嬉しい。
クロウがヴィゼのことを思って落ち込んでくれたことが嬉しい。
こうして、ヴィゼを意識してくれていることが見て取れて、嬉しい。
――クロウがもっと、僕でいっぱいになればいい……。
そんなことを、思った。
己の貪欲さを、ヴィゼは自覚している。
こんな男からはクロウを引き離してあげるべきだ、とすら、考えるほど。
彼女の幸せを本当に考えるのならば、あまりにも利己的に過ぎるヴィゼは、彼女の隣にいるべきではないのだろう……。
恋情を全く隠さないヴィゼだが、実のところ、告白すべきでなかったと悔やむことは多々あった。
クロウの戸惑う顔に迷いが生じたことも、一度や二度ではない。
ただでさえ彼女は、彼女がヴィゼといることが、ヴィゼにとって良いことなのかどうかと考えているふしがある。
ノーチェウィスクという過去の黒竜が恋人を殺されていることを考えれば、たとえクロウがヴィゼに同じ想いを抱いてくれるようになったとしても、手を伸ばしてくれるかどうか。
しかしそんな風に彼女が想っているだろう、いつか想ってくれるだろうと考えることで喜んでいるのだから、どうしようもない。
クロウに――ルキスにこれ以上苦しんでほしくないと願いながら、ヴィゼのことでだけはその胸を痛めてほしいなど。
そんな自分を知っていたから余計に、これまでのヴィゼはルキスへの恋情から――劣情から、目を背け続けていたのかもしれない。
こんな自分が、これ以上彼女を奪うことはいけないことだと。
彼女に拒まれ、失うことになるのなら、蓋をしておかなければならないと。
拒絶と喪失が、怖くて、何よりも恐ろしくて、無意識に目を背け続けていた。
だが――臆病な自分を守り、目を背けた結果彼女を失ってしまうのでは、誰かに奪われてしまうのでは、本末転倒だ。
ヴィゼはだから、決めてしまった。
さらに強く、彼女を縛ることを。
彼女の全てを、自分のものとすることを。
そもそもヴィゼは、クロウと再会する前から、彼の黒竜を取り戻してその後、側から離す気など毛頭なかったのだ。
たとえルキスに拒まれたとしても、彼の黒竜を逃すことはもう二度と許さない。
そのつもりでいたというのに、クロウと出会い、ヴィゼは揺らいだ。
純粋に慕ってくれる瞳が変わってしまうことを怖れた。
嫌われたくないからと、伸ばした手を引き戻そうとして――。
けれど、そんなことは端から無理だったのだ。
再度彼女を失ってから気付くなど、どこまで自分は愚かだったのかと、ヴィゼは自嘲する。
――もう絶対に、離さない。彼女の全部が、僕の……。
だがもし、彼女がヴィゼのその想いを否とするのなら。
彼女はヴィゼを、殺さなくてはならない。
ヴィゼは、ルキスとの契約時に、ほとんど条件らしい条件を記さなかったけれど。
契約解除だけは、許さなかった。
二人の契約が終わるのは、ヴィゼが死んだときだけだ。
だから、ルキスは、ヴィゼから離れたいのならば、彼を殺すしかない。
そしてそれさえも、ヴィゼにとっては本望なのだ。
かわいそうに、とヴィゼは胸の内で呟く。
恥じらうように頬を赤く染める彼女は、可憐で、美しかった。
歪んだ想いを秘めた自分が、彼女の隣に居続けるなど、あまりにも烏滸がましい。
分かっている。
それでもヴィゼは、もう決して彼女から手を離さない。
そう決めた。
何百年でも、何千年でも、絶対に側にいる――。
「……うん。いつだって好きだから。だから、ありがとう。クロウが、そうやって気にしてくれるのが嬉しいんだ。さっきも言ったけど、クロウが本気で怒ってくれたことも、嬉しかった。僕にとって、それ以上のことはないよ」
言わずにはおれないような気持ちになって、ヴィゼは改めて告げた。
酷い男だという自覚がヴィゼにはある。
けれど彼女を幸せにしたいという気持ちも、本物だ。
その力がヴィゼにあるのかどうかは分からない。
だが、だからこそ――きちんと想いを伝えていきたいと思った。
そんなヴィゼに対し、クロウはもう何も言葉にできず、ただ顔を真っ赤に染め上げている。
そんな二人を、周囲の者が打って変わって生温い目で見つめていたのだが、気配に敏感な二人も、その時には全く気付いていなかったのだった。