11 修復士と消えない遺恨②
リーセンは腹を括ったように、話し始めた。
「伍長の聞かされた話、ですが……。彼女の姉が領主に拐かされたというところは皆さんご存知のようですね。それはその通りの非道があったのですが、その後、ですね。領主は息子に――つまり、ヴィゼ殿にですね――その娘を妾として与えたというのです。ヴィゼ殿は彼女に無理を強いて――最終的にはその命を奪ったと……、伍長はそう聞かされたようです」
まさかの話に、セーラはレヴァーレから転がり落ちそうになり、レヴァーレとエイバは目を点にしてヴィゼを見やる。
イグゼやストゥーデも、思わずといった様子でヴィゼを見ていた。
その視線の先のヴィゼと言えば、荒唐無稽と笑うか呆れるかでもすれば問題ないというのに、まるで心当たりがあるかのように蒼褪め、ぎこちなくクロウに視線を向けている。
そのクロウには――表情がなかった。
かといって、殺気を振りまいているということもない。
それが逆に、どこか恐ろしくもあった。
「――皆さん、今の話はリーダーを陥れようとする輩が誇張したもの、なのですなぁ。もう少し詳しい話を聞きたいところではありますが」
ゼエンの穏やかな声が、氷を溶かすかのようであった。
全員がほっと肩の力を抜く。
「せ、せやったな! 妾とか、ヴィゼやんと縁遠すぎる単語が出てきてむっちゃビックリしたわ……」
全くだ、とイグゼやエイバが同意する。
だが、ヴィゼの顔は冴えないままだった。
「……いやそれが、全くの事実無根じゃないんだよね……」
「はぁ!?」
まさかの発言に、すっとんきょうな声が重なる。
「あー、思い出した。あの人の妹だったのかぁ……。あんまり似てないし、気付かなかったな……」
ヴィゼは頭を抱える。
遠い記憶が、蘇ってきた。
――妹がいるの。やんちゃな子でね……。
柔らかな声が、懐かしむように教えてくれた夜があったのだ。
――アフィエーミっていうの……。
どこかで聞いた名前だと、思ってはいたが。
ヴィゼは喉の奥で唸った。
「ちょちょちょちょっと待て! お前! 一体どこまでが本当でどこが嘘なんだ!?」
エイバが前のめりになる。
ヴィゼは嘆息交じりに答えた。
「あの元領主が拐かしてきた娘を、僕に妾として与えようとしたのは事実だよ」
「けどそん時、ヴィゼやんは十を少し過ぎたくらいの年やろ? そんなん……」
「あの男は女好きだった。だから僕がそれで喜ぶって、疑いもしなかったみたいだね。使える魔術士を繋ぎ留めておく一環として、その手段を選んだ」
ヴィゼは吐き捨てるように言った。
「僕としても断ることはできなかった。全く必要とはしていなかったけど、断れば彼女は酷い目に合されていただろうし、手懐けられている振りをする必要があった。あの時はまだ――逆らうなんて、無理だった」
ヴィゼは昏い目でテーブルを見つめた。
まるでそれに、過去が映し出されているかのように。
「……だけど、彼女と実際にそういう関係にはなっていないよ。その――そういうコトをした振りみたいなことはしなくちゃいけなかったけど」
言ってしまってから、ヴィゼはまたはっとクロウを見つめる。
「本当に何もなかったから!」
「うん……、大丈夫だ、あるじ。ちゃんと分かっている」
力強く弁明するヴィゼに、クロウは微笑した。
それは「本当に?」と問いかけたくなるような微笑みだった。
エイバやレヴァーレもフォローしたいが何も言えず、モンスベルクの人々の動揺を横目に見て、沈黙を保っていたストゥーデが発言する。
「ヴィゼ殿が無体を強いたというところは嘘であるとして、その女性はやはり、領主の手によって亡くなってしまっているのですかな」
「いえ、ご存命です」
即答したリーセンに、「ん?」と疑問の声が複数上がる。
「ちょっと待て、領主がいなくなったのはもう何年も前のことだろ。その姉はとっくに解放されてるはずじゃねえか。なんで妹は姉が殺されたとか誤解してんだ?」
「それは――」
ヴィゼとリーセンが視線を交わし、そんな二人にゼエンが告げた。
「良いのではないですかな。ここにいる方々は簡単に情報を漏らしはしないでしょうし、こうなってしまうと彼女に出てきていただくことになるかもしれません」
「そう……だね」
何やら分かりあっている風情の三人に、それ以外は再度戸惑う。
「御大も知ってたのか?」
「詳しくは存じ上げませんが……。話を聞いている内に、当時のことを思い出しまして。……彼女は、実家に戻ることを拒んだのでしたな?」
「そうです。……領主に拐かされた、と申しましたが、娘の父親が領主側に金を要求したようで、騒ぎ立てるのを黙らせるために側近が金を渡したらしいのです。娘を守ろうとするどころか酷い目に合うと分かっていて売った父親に、娘は失望したのですな。二度と親元には戻りたくないと、死亡したことにしてほしいと希望され、我々はそれを受け入れました」
十年前に実際に在った悲惨な現実に、最早暗い溜め息を吐くばかりで言葉の出ない一同であった。
「それじゃそれを伝えて、一件落着、にはできひんの?」
「問題は今ここに、それを証明するものが何もないということです。話だけで納得するなら良いのですが……。本人に実際に来てもらうにしろ、言伝をもらってくるにしろ、日数がかかりすぎます。それにまだ、件の父親がご存命ですので、了承してくれるかどうか。それでも現在、彼女の元に人を向かわせてはいますが」
リーセンの言葉に、面々は何とも言えない表情を浮かべる。
「……それならばそれに関しては、こちらは待つしかありませんか」
「つうかヴィゼ、こういう時こそ<ブラックボックス>として何かないのかよ」
「使えそうなものは本拠地に置いてきちゃってるよ。彼女からの手紙とか、文通道具とか、帰れば――あ、」
そこまで口にして、ヴィゼはクロウの<影>が本拠地に残っていることを思い出した。
同時に、それ以上に自分が危険な言をぽろりと零してしまったことにも気付く。
「文通……?」
「ああ、うん……、彼女も反領主の仲間の一人だったから……、時々連絡を取り合ってる……」
何故か睨みつけてくるのはレヴァーレである。
気まずげに目を逸らしながらヴィゼは、横目でクロウの反応を窺った。
元々口数の多くないクロウだが、先ほどからの沈黙は、どこかいつもと違っているように感じる。
――軽蔑、され、た……?
そう考えてしまい、ヴィゼは青くなってテーブルの下で拳を握る。
告白のせいで困惑させてしまっているとはいえ、こんなことで誤解されて嫌われてしまいたくはなかった。
『――あるじ、どうする』
胸が潰れるような感覚。
そこに概念送受で問いかけられ、ヴィゼは肩を揺らした。
いつもならば瞬時にその意味を理解しただろうが、今はその問いかけの意図が分からない。
いや、分かりたくない、と思ったのかもしれない。
『場所を教えてもらえるなら、その手紙を持ってくるが』
ああ……、とヴィゼは思わず小さく安堵の溜め息を吐く。
クロウはただ、ヴィゼのために動こうとしてくれているだけだった。
イグゼやリーセンたちの前で<影>のことは口にできないから、概念送受を使ってヴィゼだけに聞いてくれたのだ。
クロウはヴィゼのためを思って行動してくれているのに、自分ときたら、とヴィゼは今度は羞恥で埋まりたくなった。
それを表に出すわけにはいかず、ヴィゼはクロウにだけ分かるように一つ首を横に振る。
大丈夫、とだけ唇を動かして。
手紙は置いてきてしまった、と言葉にしてしまったし、肝心のものは鍵付きの引き出しの中だ。
何よりクロウにそれを頼むことは、決してしてはいけないことのように感じた。
「――ヴィゼ殿、いかがいたしますか。アフィエーミ伍長のことは、やはり……?」
ヴィゼとクロウの間にある微妙な空気に関しては、リーセンもこのテントの中の会話と雰囲気で察するものがあったらしい。
気遣わしげな、気まずげな様子で切り出してくる。
「……考えは、変わりません。僕としては、ひとまず放免としておきたいと思います」
「ヴィゼ殿がそれでいいのでしたら、私としても依存はありません」
ヴィゼとイグゼから再度そう告げられ、リーセンは「分かりました」と今度こそ頷いた。
「では、ひとまずアフィエーミ伍長に関しては警戒を怠らず使っていくことといたします。それ以外のメンバーに関してもお任せください。皆さんにこれ以上のご迷惑をおかけすることのないよう努めます」
「よろしくお願いします」
こうして、テントの中の会談は終わりを告げた。