10 修復士と消えない遺恨①
リーセンに案内され、<黒水晶>メンバー、それに今回の調査の代表イグゼ・ストゥーデも共に、ひとつのテントに入った。
コレールは<黒水晶>の代わりに現場に残り、研究者たちの護衛を指揮しつつ荷解き作業を手伝っているため、この場にはいない。
テントは、八人が入っても十分に余裕のあるものだった。
中央にはテーブルも置かれている。
それを囲むように置かれた簡易なイスに、順番に腰掛けていった。
外は静かだが、回復した者たちから少しずつ作業に戻っているようである。
クロウの殺気が尾を引いてるらしい――必要な言葉以外なく黙々と作業は進められているようだった。
「飲み物を持ってこさせます。お待ちください」
リーセン用――指揮官用のテントは、声が外に漏れないようになっている魔術具だ。
それ以外にもいくつか機能が組み込まれているようで、リーセンに許可を得たイグゼとヴィゼは、待つ間テントを見て回る。
モンスベルクにも類似のものはあるが、それだけに相違点が余計に興味深いようだ。
その頃にはすっかり、イグゼのテンションは元通りだった。
「さて、どこからお話したものか……」
飲み物が運ばれてきたので、全員が腰を落ち着け、リーセンに注目する。
リーセンが部下に外の見張りや作業の手伝いを命じたので、この場にいるのはヴィゼの事情をよく知っている八人だけだ。
ストゥーデも代表者として、リーセンからか既に色々と聞いているらしい。
件の領主のことを知っていて、それを態度に全く出さずにいてくれることが有り難い、とヴィゼは思う。
「ヴィゼ殿の恩赦に関して不満を持つ者がいるだろうということは、皆さん考えられていたことと思います」
率直に、リーセンは言った。
冷気がテント内を漂ったが、束の間のことで、何事もなかったかのように話を続ける。
「今回の遺跡調査に<黒水晶>が参加するとお聞きし、我々はメンバーの調査、不穏分子の動きの確認を進めてまいりました。最早かの男の死から十年が経ち、またヴィゼ殿の功績が認められてきたことにより、不穏な企みはごく少なく、事前に潰すことが叶ったのですが……」
「功績、ですか」
ヴィゼが不思議そうに呟くと、
「あの男の手から多くの領民を救ったという功績です」
生真面目な顔でリーセンは答える。
「かの元領主をその座から引きずり下ろしたことはもちろん、あの男が処刑と決めた者たちを逃がしその命を救ったこと、領民を魔物たちから守ったこと、書類の改竄により領民の過酷な税負担を減らしたこと、などですね。本来ならば改竄などは認められることではありませんが、そもそも領主の行いが不当なものでしたし、当時それがなければ多くの領民が命を落としていたことでしょう」
「それは、仲間たちの協力があったからこそできたことですよ」
ヴィゼは父領主の元で許されないことをしてきたと自嘲していたが、やはりヴィゼはヴィゼだった、と<黒水晶>の仲間たちは腑に落ちる気持ちだった。
しかしヴィゼ自身は、己のしてきたことが認められない。
ヴィゼは犠牲を出してしまったし、多くを見捨てた。
確かに成し遂げられたこともある――最終的に領主を処刑台に送った――が、それも思いを同じくする人々がいてくれたからこそだ。
だからヴィゼは、己の功績などというものを、認められはしなかった。
神ならぬ人の身で、全てを救うなど不可能だと分かってはいても。
「仰る通り協力者たちの力もあったでしょう。ですがあなたが救い手であることも、確かなことです」
そんなヴィゼに、きっぱりとリーセンは告げる。
ほんの一瞬リーセンの視線がゼエンに流れたが、それに気付いたのはゼエンと、そしてクロウだけだった。
「……続けましょう。調査を進め、アフィエーミ伍長の経歴についてはすぐに判明しましたが、それだけならば監視、いざという時の制止役をつければ良いだろう、という結論になりました。メンバーを変更するにも、腕の立つ女性兵士で遺跡調査に送れる者となると限られてしまい、そうした判断になったのです」
リーセンは合間に水分を取りながら説明を続ける。
「しかし、当時よりヴィゼ殿を処刑すべきと主張していた一派の者が妙な動きをしていると、その後も色々と報告が上がってきまして……。その内の一つとしては、彼らが密かに調査メンバーの者と接触し、都合の良いことを吹き込んだようだと」
「さっきの女に、か」
「接触自体は他の者ともあったようですが、彼らの言を鵜呑みにし、火種を抱え込んだのは彼女だけ、でしょう。念のため他の者にも目を光らせていますが、彼女のような行動に出るほどの動機を持つ者はいないはずです。メンバー総入替ということも考えたのですが、日程的にも不可能で……。もっと早くに気付けていれば良かったのですが」
申し訳なさそうにリーセンは言う。
面倒ごとの種となっているのはヴィゼの方である、という自覚があるため、むしろヴィゼの方がそんなリーセンに頭の下がる思いだった。
<黒水晶>の今回の調査への参加が本決まりになったのは半月前のことなので、フルスの対応は後手に回らざるを得なかったはずだ。
それに、ゼエンがいるにしろ、ヴィゼは一介の――と形容するとやや語弊があるが――魔術士である。
一方のリーセンは国王に最も近しい一人だ。こんなに気兼ねしてもらう必要はないのだが、とも思った。
「実のところ、そうした事実が出てきた時には、私は休暇をとってこちらへ向かっておりました。職務ではなく、だん……ゼエン殿にお会いしたいと。そんな私を陛下の命が追いかけてきまして、休暇は取り消され、今回の調査隊の戦闘員指揮――それによる兵士たちの監督を任されることになったというわけです」
「わざわざ休暇を、この時期に?」
「動いていなければ、いつゼエン殿に会えるか分かったものではありませんでしたから。立場上、そうそう国境は越えられませんし。陛下のお望みでもありました」
眉根を寄せたゼエンに、リーセンはそう返した。
「陛下から、お言葉を賜っています。この遺跡調査を終えてからで構わないので、顔を見せてほしいと」
「それは……」
ゼエンは困ったような顔になる。
ゼエンがそのままフルスに戻ってしまう可能性を浮かべ、エイバとレヴァーレは瞳に不安の色を乗せた。
それに対し、「行っておいでよ」と言ったのはヴィゼである。
ゼエンは「皆と共に」と言ってくれた。
ヴィゼはその言葉を、思いを信じていた。
だがもし仮にゼエンが前言を翻したとしても、それがゼエンの意思ならばそれを尊重したい、というのがヴィゼの気持ちだ。
「もちろん、御大が行きたくないなら、連れて行かせないけど」
それにエイバたちはうんうんと頷く。
ゼエンはどこか面映ゆそうに微笑んだ。
「……それでは、この仕事が一段落しましたら、向かうことといたしましょう」
「ありがとうございます! 陛下もお喜びになるでしょう。皆さんも是非ご一緒に。歓迎いたします!」
ひとまずゼエンの了承を得て、リーセンは安堵と喜びに厳つい顔を綻ばせる。
「それでは一刻も早く遺跡調査を進めるために、ますますアフィエーミ伍長の件をさっさとどうにかしなくてはなりませんね。――ヴィゼ殿、イグゼ殿、率直に伺いますが、お二人はどうお考えですか」
そう問いかけたリーセンは、打って変わって固い表情になっていた。
それも当然のことだ。アフィエーミの行いは、国際問題に発展して全くおかしくないものだった故に。
イグゼはモンスベルクの貴族であり、考古学・魔術学の権威である。
そのイグゼが護衛として調査員として雇ったヴィゼに害を為そうとした、という行為は、イグゼを傷つけようとしたことと同義。
未遂だったとはいえ、フルスにとって嬉しくない状況になってしまったと言える。
「……僕からは、特には。とりあえず、同じことのないようにしていただければ」
「ヴィゼやん、それは甘すぎやない?」
「すげえ剣幕だったしな。手ぇ出してくれたんだし、メンバーから外してもらうべきじゃねえのか」
レヴァーレとエイバの意見も最もであるが、ヴィゼは「うーん」と唸る。
「そうしてもらいたいとも思うんだけどね……。情状酌量の余地があるし、未遂だったわけだし、あんまり大事にはしたくないなって」
ヴィゼのその言葉を甘さと見るか、優しさと見るか、それとも罪悪感ゆえのものと見るか。
複雑な視線がヴィゼに集まるが、続く彼の言葉はテントの中の感傷的な思いをぶち壊すものだった。
「大事になると――つまり、彼女を送り返すとかいうことになると、それに人員と時間を割くことになって、調査にも遅れが生じるかもしれないし。もっと悪いと、原因となった僕が調査に口を出しにくくなるかもしれない。それは正直、困る」
「それは確かに!」
テント内に微妙な空気が流れたが、すかさず同意したのはイグゼだった。
ストゥーデも何やら同意する風である。
「何もなかったことにするのが一番、ということですね!」
「けどよ、あの女の動向に気を配っとくのも大変じゃねえか?」
「それはある。でもいずれにせよ――リーセン殿やストゥーデ殿の前で言うのもなんですが――フルスメンバーへの警戒は続けなくちゃいけないし。逆にやらかすかもって分かってる方がやりやすいよ。それに、彼女がいてくれたら、敵が新手を送りつけてくることはなくなる――かも」
「かもかよ」
「役に立たないな、って強敵を送ってくる可能性もなくはない」
「どんな場合でも、あるじを害そうとするものはわたしが倒す」
被害者のヴィゼが意見を述べ、イグゼが賛成し、クロウがとてつもない説得力を持って何かあればどうにかすると告げたので、「それならそれでいいか」といった雰囲気が漂う。
リーセンとしてもその結論は願ってもないことだが、懸念はまだ強く、容易には頷けない。
「私の立場から申しましても、大変有り難い申し出ではあります。再発防止に努めることはもちろんですし、二度目は決して許しはしませんが。……しかしやはり、不安要素を残しておくのは心配です。彼女の場合、動機が動機ですから、同調する者が現れるかもしれません。……いえ、現れたとしても何もできないとは思いますが……」
クロウに目を向けたリーセンは苦く笑う。
リーセンも現在のフルスにおいて最強と呼ばれる一人であるが、ヴィゼが狙われた際に見せたクロウの動きには全くついていけなかった。
こんな少女がと思えば悔しくもあり、憤りもある。
見事と感嘆する思いもある。
その心境が、唇の端に現れていた。
「ただ、ヴィゼ殿にとっては動きづらいことになるかと」
苦い笑みを消したリーセンは、神妙な顔になる。
それにイグゼが首を傾げて問いかけた。
「しかし、加害者女性が吹き込まれたことは、事実無根のことなのでしょう? そう言っておけば周囲が惑わされることはないのでは?」
「事実無根……、と申しますか、事実を誇張したこと、とした方が正確かもしれません」
リーセンは答えにくそうに言う。
イグゼはますます困惑した。
「私も簡単に聞いただけですが……、加害者女性はその姉君を拉致されたとか。それをどう誇張されたのでしょう。それ自体にはヴィゼ殿は関わりなかったのではないですか? 情状酌量の余地を明確にするためにも聞いておくべきかと考えますが……、いかがでしょうか。リーセン殿とヴィゼ殿が、よろしければ」
イグゼは事情を聞いておかなければならない立場である。
そこにきちんと配慮を入れるところがイグゼの良いところだ。
「そうですね。把握しておいた方が良いように思います。リーセン殿、教えていただけますか?」
「……ええ、はい、では」
歯切れの悪くなったリーセンを、ヴィゼは不思議に思う。
この時ヴィゼは、完全に油断していた、と言えよう。
こうも簡単に話を促すべきではなかったのだ。
リーセンの迷う素振りに、もう少し疑問を持つべきだったのである。