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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第5部 修復士とはじまりの場所
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05 黒竜と臆病者



 部屋を出たヴィゼが自責の念を覚える一方、ドアを閉めたゼエンも、憂鬱そうな溜め息を吐き出していた。

 また言いそびれてしまった、と思ったのだ。

 肩を落としたままベッドに入ろうとして、再度ドアがノックされる。

 近付いてくる気配がなかったので驚きつつ、ゼエンはもう一度ドアを開けた。


「……すまない、こんな時間に」


 そっとそこに佇んでいたのは、風呂上がりのクロウだった。

 髪の水気が完全に拭い去れてはいない姿は、無防備そのものである――実際には、無防備どころかその防御力は到底人間の及ぶところではないが。


「話をしたいのだが、いいだろうか」


 ゼエンはヴィゼの顔を思い浮かべ、束の間迷ったが、クロウを部屋に招き入れてドアを閉じた。

 できればドアは開けておきたかったが、どうやら彼女も誰にも聞かれたくない話をしたそうだ。


 ――今晩はえらく人気者になったものですなぁ。


 心の中でひとりごちて苦笑する。

 先ほどまでヴィゼが座っていたイスをクロウに勧め、自身もまたイスに腰掛けた。


「……その、本当にすまない。眠るところだっただろう」

「いえ、お気になさらず」

「明日はラフと過ごすだろうから、今日しかないと思って……」


 そんな風に謝罪をしてから、クロウは本題を切り出す。


「フルスのことが聞きたいんだ」


 真剣で深刻な眼差しだ。


「あれからもう、随分と経つが……、あるじに悪意や敵意を持つ者が完全にいなくなったとは言えない、と思う」

「そうですな……」

「<黒水晶>が遺跡に行くことを知って、動き出す者もいるかもしれない。調査員として潜り込んでくるか、待ち伏せして襲いかかってくるか……。偶然鉢合わせるということも、考えられなくはない」


 ゼエンは苦く頷く。

 ゼエンも当事者であるヴィゼも、懸念していることだった。


 あの領主の非道を思い出せば、それだけのことをする者がいまだ存在していても決して不思議なことではない。

 かの領主が処刑され、虐げられていた人々もほとんどはその恨みを晴らすことができたはずである。

 だが、それだけでは気の収まらない者たちもいた。

 領主に与していた者全てに鉄槌をと主張し、国外追放など生温いとヴィゼへの処罰に反対していた者たちが。

 領主の行いを思えば、その気持ちはよく分かるのだが、しかし――。


「実際……あるじがフルスからここに来るまでの道のりで、あるじを狙った者がいた。それも一人や二人ではなかった」

「!」


 ゼエンは息を呑む。


「クロウ殿が、返り討ちに?」


 首肯するクロウの瞳には、いまだ燻る怒りの炎が見え隠れしていた。


「あの時のことがあるからこそ、油断できないと思う。対策は万全にしておきたい。御大が持っている情報があれば、教えてほしい」


 この時ようやく、ゼエンはクロウがずっとヴィゼと――<黒水晶>と共にあったのだ、ということを実感したように思った。


 ヴィゼが無事にモンスベルクへ辿り着けるよう、ゼエンは元部下の厚意に甘え、密かに護衛を頼んでいた。

 彼らが相手をしたのは、たった一組の暗殺集団。

 フルス国内の動きを辿れば他にも敵は現れていいはずなのに、ゼエンが把握できたのはそれだけで、おかしいとは感じていた。

 クロウが現れ、そのアビリティを告白した晩に、もしかしたらとは考えていたのだが、どうやら本当に彼女が力を貸してくれていたようだ。


 このこと以外でも、クロウは<黒水晶>を守るために動いてくれていたのだろう。

 思い返せば、思い当たることがいくつかあった。

 そう、ゼエンは目を細める。


「……恩赦の件であちらに連絡する際に、できるなら調査メンバーの名簿を送ってもらえないかと頼んでおきました。もうひとつ……件の領主に恨みを持つ人間に不穏な動きがないか、その動向は常にチェックしてもらっております。何かあれば連絡が来るでしょう。問題がありそうならば皆さんとも情報を共有したいと考えております」

「そう、か」


 クロウはそれを聞いて、少し肩の力を抜いたようだった。


「さすがは御大だ。抜かりがない。わざわざ訪ねる必要もなかったな」


 そしてそう、苦笑する。


 やはりクロウは全てを知っている、とゼエンはその様子から理解した。

 知っていて、黙ってくれている。

 ヴィゼとゼエンの関係を質したエイバに、何も言わずにいてくれたように。

 彼女はこうして、ずっと守ってきてくれたのだ。

 ヴィゼを――<黒水晶>を。


「いえ……、朝方の私の言葉が足りなかったのですなぁ」

「全員の前では、まだ話さなくてもいい、と考えたんだろう。……あるじも」


 クロウの言う通りである。

 積極的に隠す意図はなかったのだが、情報が確定してからでも遅くはないと考えていた。

 いずれにせよ遺跡調査に行くことは決定事項である。

 杞憂になるならば余計なことは言わなくて良い、と判断した。


 エイバやレヴァーレは、彼の領主を実際には知らない。

 虐げられた人々の姿を知らない。

 それはわざわざ教えたくなるようなものではなく、知らずにいられるのならばその方が良い、とゼエンは考えていた。

 それはヴィゼも、クロウも同じであるようだ。


「では、連絡が来たら教えてもらえるか」

「もちろんです。よろしくお願いしますなぁ」

「……それはわたしの台詞ではないか?」


 きょとんとクロウは首を傾けた。


「それでは夜も遅くなってきたし、お暇する。時間をとらせてしまってすまなかった」


 もう一度謝って、クロウは立ち上がる。

 去りかけたクロウを、ゼエンは立ち上がって呼び止めた。


「クロウ殿」

「うん?」

「一つ、余計なことを申し上げることを許してください」

「御大?」


 ゼエンは何も言うつもりはなかった。

 言う資格もないと思っていた。

 けれど、この時、言わずにはおれなかったのだ。


「クロウ殿……、あなたこそヴィゼ殿の隣にふさわしい方だと、私は考えております」


 リーダー、ではなくあえて「ヴィゼ殿」とゼエンは呼んだ。

 クロウもまさかこの時にゼエンがそれに言及するとは思ってもみないことだったのだろう。

 虚を突かれ、二の句が告げないでいる。


「もちろん、あなたの意思に反することを無理強いしたいのではありません。……ただ、伝えておきたかったのです」


 しばらくクロウは硬直していたが、やがて俯き小さな声で言った。


「御大には……、一番反対されるものと思っていた……」


 そんなそぶりを見せてしまったことがあっただろうか。

 ゼエンは困惑して、小さくなっているクロウを見つめた。


「普通の幸せを、捨てるということだ。わたしといっしょになる、ということは」


 ――それはもう今更ですなぁ……。


 おそらく、エイバもレヴァーレも同じ感想を持ったであろう。


「御大は、本当にそれを許せるのか?」

「――」


 御大は、とクロウは少し力を込めたように聞こえた。

 ここでようやく、ゼエンはクロウの意図するところを察した――ように思う。

 それは一瞬でも、ゼエンがその言葉に心を揺さぶられたからだった。


「御大は、本当は、あるじに、」

「クロウ殿、私が心より願うのはヴィゼ殿が自由に生き、自分自身の幸せを掴むことです。ヴィゼ殿が道を踏み外さない限りは……、私はただヴィゼ殿が求めるものに手を伸ばすならば、それを支えていきたい、と思っております」


 実際のところヴィゼの背を押したのはゼエンである。

 ゼエンにはその自覚があった。


「いや、どう考えても道を踏み外していると思う」

「わたしの基準では全く問題ありませんなぁ」


 真顔で反論されて確かにと思ったが、顔には出さなかった。

 クロウは恨めしげにゼエンを睨む。

 暗澹たる顔をされるよりは良い、とゼエンは甘んじてその眼差しを受け止めるが、またクロウは俯いてしまった。


「……わたしではあるじを幸せにできない」


 無力感に打ちひしがれるような声だった。

 そんなことはない、とゼエンは眉を寄せる。

 ヴィゼが生きているのは、笑えているのは、クロウがいるからこそであるのに――。


「それに……、」


 言いかけて、クロウは口を噤んだ。

 彼女の中には、自分を否定する材料ばかり、豊富に揃っているようだった。

 彼女ほどの実力者が、どうしてここまで自信を持てないのか。

 その半生を聞いているゼエンはその理由を理解しつつも、他の仲間たちと同様もどかしかった。


「ヴィゼ殿は、クロウ殿がいさえすれば勝手に幸せになります」


 言い放つと、クロウは目を丸くして顔を上げた。

 わずかに潤む瞳に、ヴィゼに知られるとまずいことが増えてしまった、とゼエンは思う。


「ですのでクロウ殿は、まずご自身の幸せを考えてください」


 クロウは茫然としていたが、やがてかすかな微笑を見せた。


「……レヴァたちにも同じことを言われた。まさか御大にまで言われるなんてな……」

「気を悪くされましたか?」

「いや……」


 クロウはふるふると首を横に振った。


「ありがとう」


 だがクロウは、決して己の気持ちを口に出すことはせず、前向きな言葉を零すこともしないのだった。


 そして今度こそ「おやすみなさい」とクロウはどこか逃げるようにゼエンの部屋を出ていき、残されたゼエンは嘆息する。

 逃げていくようなクロウの背に己を重ねて。

 関係が変わることが恐ろしくて、踏み出せずにいるのは、ゼエンの方だった。




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