04 修復士と監視者
クロウが食堂を出ていくのを見送りながら、エイバは後ろ頭をがしがしと掻いた。
「……邪魔したか?」
「ううん……、依頼の話をしていただけだから」
答えるヴィゼはしかし、耳元を赤く染めている。
――何をやってんだ、こいつらは……。
ヴィゼからクロウに告白したと聞かされた時と同じことを、エイバは思う。
それを聞いた瞬間は「とうとうか……」と晴れ晴れとした気持ちになったものだが、続けて「これから頑張って口説くよ」などとヴィゼが言い出したのには愕然としたものだ。
ヴィゼが想いを告げたなら、後は落ち着くところに落ち着く、というのが彼と仲間たちの見解だった。
それなのに、クロウがヴィゼの想いに応えないなど想定の範囲外である。
――またなんか難しく考えてるんだろうが……。
クロウがヴィゼの告白に頷かなかったことを、当初は内心責めたものだ。
竜である、ということを気にしているのだろうとは見当がつく。
だが彼女は、皇帝と番った白竜の弟子だ。
上手くいった前例があるのだから躊躇うことはないだろう、とも思う。
だが一方で、“呪い”となった黒竜は、恋人を同族に殺されている……。
ヴィゼもそのことを気にしているようだった。
もちろんヴィゼ自身に害が及ぶことを心配しているのではなく、クロウがそのことで思い詰めているのではないかという心配だ。
告白のタイミングがタイミングだっただけに余計である。
それでもヴィゼは、一刻も待つことはできないと想いを告げた――。
その後のクロウは、どうにも臆病な小動物のようだった。
ヴィゼの言動に赤くなったり青くなったりと落ち着く暇もなさそうである。
最初こそどうしてと詰るような気持ちだったが、最近では逆に、可哀想になってきて見ていられない。
ヴィゼの鈍感ぶりをむしろ呪ってしまうほどだ。
いっそクロウの本心をヴィゼに伝えた方が良いのではないかと思うのだがさすがに出来かねて、<黒水晶>全員でもどかしくも二人を見守っているというのが現在の状況だった。
「……今回の依頼は、不安要素が多いから」
エイバたちのやきもき具合を知らず、そう続けたヴィゼの顔色は、ほとんどいつも通りになっていた。
エイバも真顔になり、声を潜める。
「あいつが一番気にするとしたら、お前のフルス行きだろ。……何かあると思うか?」
「十年も経っているし、そうそう僕の名前と顔を知っている人がいるとは思えないけど……、どうだろうね」
ヴィゼは苦く笑った。
「……やっぱ変装でもしてった方がいいんじゃねえの?」
「調査で何日も行動を共にするだろうから、その手は使いづらいかな。しかも<黒水晶>はそこそこ名が売れているし、多分バレる」
「で、お前に行かないっつう意思はないと」
「残念ながら。……皆には迷惑かけて申し訳ないけど」
「ま、それはいつものことだから、気にすんな」
「……フォローになってないよ」
そう抗議するヴィゼの笑みからはしかし、苦さが少し抜けていた。
「……とりあえず、これで終わり」
本日の買い物の成果をひとまずテーブルに整然と並べ終え、ヴィゼは軽く息を吐く。
「明日は荷造り頑張らないと」
「だな。ま、クロのおかげで忘れ物しても何とかなるのが有り難い」
「そうだね」
クロウはそのアビリティで、<影>と自分の位置を入れ替えることができる。<影>同士の入れ替わりも可能だ。
本拠地に<影>を一人残しておけば、入れ替わることで忘れ物があってもすぐに回収できるのだった。
「それじゃ、今日こそは早く寝ることにするよ」
「ははは、今夜こそ興奮してますます眠れなかったりしてな」
「……笑い事じゃなくそうなりそうで怖い。さすがに二徹はきつい……」
眉間に皺を寄せたヴィゼにもう一度エイバは笑って、おやすみとその背を軽く叩いた。
エイバに就寝の挨拶を告げ食堂を出たヴィゼだが、すぐに部屋に向かうことはせず、ゼエンの部屋のドアをノックした。
そもそもは風呂上がりにゼエンの元へ向かおうとしていたのだが、食堂にクロウの姿が見えたので寄り道をしたのである。
「御大、少しいいかな」
「はい」
声をかけると、少ししてドアが開いた。
「ごめん、寝てた?」
「いいえ、ちょうど手紙を送ったところでした」
手紙とは、フルス国王に送るものであろう。
どうぞ、といつもと変わらぬ穏やかな調子で中を示され、ヴィゼは素直に従う。
話がしたいと思っているのを――しかもあまり他のメンバーに聞かれたくない話を――ゼエンは汲み取ってくれたようだった。
勧められて、ヴィゼは客用に備えてあるらしいイスに腰掛ける。
――そういえば御大の部屋に入ることってあんまりなかったな……。
調度品は落ち着いたもので揃えられている。
よく片付けられているが、ゼエンには友人・知人に加え信奉者も多いので、贈り物らしきものたちがそこここに置かれていた。
手紙を送ったところ、とゼエンが告げた内容を裏付けるように、書き物机の上にはペンが転がっている。
手紙の現物がないのは、その言の通り手紙を送った後だからで、つまり何かしらの魔術具を使ったのだろう、とヴィゼは察した。
これまでも、そうしてきたのだろう。
「……陛下は明日には書類を送ってくださるとのことです」
書き物机の前に置かれたイスを動かし、やや斜めながらヴィゼと向き合うように座って、ゼエンは告げた。
ヴィゼがいち早く聞きたい情報だろう、と考えたのだ。
「明日!?」
あまりの早さに、ヴィゼは開いた口が塞がらない。
「本当にそんなに早くどうにかなるの?」
「そもそも用意をしてあったようですなぁ」
ヴィゼは困惑した。
フルス国王が何故そこまでしてくれるのかが分からない。
いくつかその狙いを考えてはみたのだが……。
「……フルス王は、御大に早く戻ってきてほしい、って思っているのかな」
そんなヴィゼの言葉に、ゼエンはぱちぱちと瞬いた。
予期しないことを言われた、という表情だ。
どうやら違っているらしい。
ヴィゼは小さく安堵の溜め息を吐いた。
「――恩赦が出たら、御大はフルスに戻るのかなって考えたりもしてたんだけど……」
「……戻った方が、よろしいですか」
ゼエンの目には動揺の色がある。
想像していなかったゼエンの珍しい反応に、ヴィゼも慌てた。
「いや、そうじゃなくてさ! 今後も御大には<黒水晶>にいてほしいよ! でもほら、恩赦が出ることが御大の……役目の終わりになるなら、晴れて自由になれるわけで、もっと他に行きたいところとかあるんじゃないかとか、思ったり……」
「――私は自分の意思で今ここにいます。そしてこれからも、皆さんと共に戦っていきたいと……」
真っ直ぐな眼差しでゼエンは言う。
その揺らぎなさに、ヴィゼは何となく気圧されるような思いがした。
「それなら、良かった。実はそれが心配で……、確かめておきたくてさ」
ゼエンが<黒水晶>を大事に思ってくれているのは本当だろう。
けれど、ヴィゼは頷きながらも、本当にゼエンはそれでいいのかと思っていた。
ヴィゼから解放されたいと、ゼエンは思わないのだろうか。
それとも、最後のその時まで、ヴィゼが歪まぬよう見張り続けることこそ、彼の選んだ道なのか。
――僕にとっては、心強くて、頼もしいことだけど……。
ヴィゼの胸に複数の懸念がよぎる。
ゼエンが己の中に閉じ込めているかもしれない本心のこと。
そして――今のヴィゼが目指すもののこと。
それらはいずれ、<黒水晶>の未来に影を落とすかもしれない。
ヴィゼはいつもそんな心配ばかりをして、これまでは杞憂に終わってきたが、今回はどうなるか。
今その不安の芽を、摘んでおくべきだろうか……。
「……御大、あの、」
「……リーダー、」
思い切って口を開いたヴィゼの言葉と、ゼエンの呼ぶ声が見事に重なった。
「……ええと、ごめん、はい」
「いえ、リーダーからお先にどうぞ」
ヴィゼは出鼻をくじかれ、続けようとした言葉を喪失していた。
いや、単に臆病風に吹かれたのかもしれない。
もう少し時期を見計らおう、とヴィゼは気持ちを鎮めた。
「……や、急ぎの話じゃないし、また今度でいいや。御大こそどうぞ」
「……いえ、そうですな、長くなりそうなので、またゆっくりできる時にいたしましょう。リーダー、今日こそはちゃんと睡眠をとってください」
「うん……、それじゃ、さっさとベッドに入ることにするよ」
おやすみと互いに告げ、ヴィゼはゼエンの部屋を出る。
ゼエンが<黒水晶>に留まってくれることは嬉しい。
だが、悔恨のような感情がヴィゼの胸に渦巻いていた。
――<黒水晶>の中でも御大といる時間が一番長いのに……、僕はまともに御大と向き合ってこなかったんじゃないか……。
利用するだけ、利用して。
己の部屋のベッドに丸まったヴィゼは、その思いから逃げるように目を閉じて、いつしか眠りに落ちていた。