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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第5部 修復士とはじまりの場所
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03 黒竜と憂鬱



 ――明日は、手紙を書かないといけないな……。


 結局その日、<黒水晶>メンバーは出立に備えての準備に追われる一日を過ごした。

 その夕食後、食堂の普段使っていないテーブルの上、何となく今日買ったものを広げて整理していたクロウは、ぼんやりとそれに思い至る。


 エテレイン、シュベルト、アルクスには所在を教えておいた方がいいだろう、と。

 特にエテレインには、教えておかなければ大変なことになる……。


 クロウはそっと溜め息を吐いた。


 しばらく<黒水晶>がキトルスを留守にすると知ったエテレインの反応を想像したから、ではない。


 今回の依頼にはどうにも気の進まない理由がいくつかあって、それがクロウの憂鬱を誘っているのだ。

 クロウにとっては<黒水晶>加入以来初めての遠征、それが不安の一つであるが、それはささいなこと。


 彼女の胸を、塞ぐのは……。



「荷物は明日でいいのに」


 背後からかけられた声に、クロウはどきりとした。

 声に責める色はない。

 疲れを労わるような、柔らかな声音だ。

 大切な人の気配が近付いて、クロウは緊張に身を固くした。


「……袋から出すだけでも、と思って。風呂の順番を待つ間だけ」


 振り返らずに、クロウは答える。

 その言葉に嘘はなかった。

 待つ間部屋に戻っていても良かったのだが、落ち着かずにこうして荷物に手を伸ばしてしまったのだ。


「そっか」


 とだけ言って、ヴィゼはクロウの隣に並ぶ。

 入浴を終えたばかりのヴィゼからは、石鹸の匂いがしていた。


「少し手伝おうかな」

「……うん」


 できれば断りたい気持ちの方が強かったが上手く言葉に出せず、クロウはただ小さく首肯した。


 ――「僕は君のことが好きだよ」


 幾度も頭の中で再生した声が、また蘇る。

 胸をぎゅっと掴まれるようで、クロウは思い出す度に、目の奥に熱を感じた。


 本当に、とはあの後何度か問いかけた言葉だ。

 ヴィゼはクロウに信じてほしいと、「本当だよ」と優しく繰り返した……。


 ヴィゼの気持ちをクロウはもう、疑っていない。

 だからといってヴィゼのように、自分の想いに素直になることが、クロウにはできなかった。


 ――わたしは、竜だ。――黒竜だ。


 その事実が、彼女の本心を閉じ込める。

 クロウはヴィゼに、人並みの幸せを得てほしかった。

 自分ではそれは、ヴィゼに与えることはできないと、クロウは思い込んでいた。


 そんな彼女に、ヴィゼは告げる。

 その胸に宿る熱情を、その瞳に声に、隠そうともせずに。


 ――「うん。竜のクロウも、すごく綺麗だよね」


 遠回しな拒絶の言葉を口にしても、そうして絶対に折れてくれないのだ。

 むしろくじけそうなのは、クロウの方だった。


 クロウの方こそ、かれこれ何年も片想いを患ってきた身である。

 その相手からひたむきな愛の言葉を告げられて、揺らがないはずがない。

 応えたい、と思わないわけがない。


 けれどクロウが想いを返してしまったら。

 ヴィゼは――。


 クロウはこくりと息を呑み込んだ。


 ――わたしは拒み続けるしかない。


 それは彼女の中で決定事項である。

 零れそうになる想いに必死で蓋をして、クロウは頭を切りかえようとした。


 ――今は、他に聞かなければいけないことがある。


「……あるじ」

「うん?」

「本当に、行くのか。この、依頼」


 フルスに、とクロウはこの時口にできなかった。

 けれどヴィゼは察して、一瞬、手が止まる。


「……うん。行くよ」


 声に迷いはない。

 ヴィゼはあちらで何が起ころうとも行く、と覚悟を決めているのだ。


「クロウは……気が進まない? あそこでは、クロウも、」


 ヴィゼは眉を顰めた。

 父領主の命令で、兵士たちがクロウに――小さな黒竜に刃を向けた時のことが、鮮明に思い出されたからだ。


「……無理しなくて、いいからね」

「あるじが行くなら、行く」


 過去のことを思い出したのは、クロウも同じだった。

 フルスの兵たちが、ヴィゼを組み伏せていた、あの光景。

 許せなかった。

 ヴィゼを傷つけた者たちが。

 ヴィゼを守れなかった、自分自身が。


 ――今度こそ、絶対に、守る。


「あるじ。余計なこととは思うが、言っておく。遺跡ということもあるし、あちらではいつも以上に油断できないと思う」

「うん」

「絶対にわたしから離れないでほしい。あるじの側から離れるつもりはないし、<影>もいつもより側に置いておくが……」


 その言葉にしかし、返答がない。

 クロウがヴィゼを窺うと、隣でヴィゼは唖然としたような茫然としたような顔でクロウを凝視している。


「……あるじ?」

「…………ごめん。うん、了解、しました」


 何故かヴィゼは敬語で、しかも顔を隠すように片手で顔を覆った。

 急にどうしたのだろう、とクロウが心配になったところに、タイミング良くか悪くか、エイバの声が飛び込んでくる。


「おーいクロ、風呂空いたぜ……、っと」


 ヴィゼとクロウの間に妙な空気が流れていることにすぐさま気付き、エイバはしまった、と顔に書いた。

 その反応に溜め息を吐き、クロウはひとつ「分かった」と頷く。


 ヴィゼが全く隠さないので、ヴィゼがクロウを口説いている最中だということは、<黒水晶>メンバー全員が知っていた。

 一応見守ってくれてはいるのだが、何故か(・・・)全員が全員ヴィゼの味方のようで、そのこともまた、クロウを困らせている。


「あるじ、ありがとう。風呂をもらってくる」

「……うん、いってらっしゃい」


 ヴィゼの見送りの言葉を背に、クロウは食堂を出る。

 エイバとヴィゼが低い声で話し始める、その内容を聞くべきではないと、早足でそこから離れた。






『本当にいいの』


 脱衣所に入ったクロウの内から静かに声がした。

 気遣わしげな声は、<影>のものだ。

 それはクロウの迷いの声でもある。


『あの位置、間違いなく例の場所』

『全ての……はじまりの、場所』


 そうだな、とクロウは憂鬱に頷く。


 クロウの懸念は、ヴィゼをフルス方面へと向かわせることだけにあるのではなかった。

 イグゼが示した遺跡は、十中八九、クロウの知っている場所なのだ。

 といっても、クロウ自身はそこに足を踏み入れたことすらないのだが。


『あるじを止めるべき』

『あの場所そのものを壊しに行くことだって考えていい』


 <影>たちの声は正しい、とクロウは思った。


『だが、本当に危険な知識(・・・・・・・・)は消し去ってあるはず』

我々(・・)の魔術が今のヒトによって容易にどうこうできるとは考えられない』

『そもそもはヒトがつくったもの。ヒトがそれを見つけた。その歴史に介入するのは……、いや、これは今更か』


 <影>たちの言を聞きながら、クロウは服を脱いで簡単に整えた。

 <黒水晶>本拠地の浴室は、建物の大きさに比例して広い。

 脱衣所も十人は余裕で入れる大きさで、備え付けの棚に衣類を置いておけるようになっていた。

 着替えをきちんと収納しておいて、クロウは浴室に入る。

 体を洗うために座って、クロウは鏡の中の自分と目を合わせた。


『フィオーリ、お前の意見を聞きたい』


 ずっと沈黙を続けている、一番目の<影>にクロウは問いかける。

 しばし間があって、小さな声がした。


『……勝手だけど、できれば壊したくない』

『うん』

『でも、近付くのも怖い。……ほとんど覚えてなんかいないのに』

『……うん』


『今のが、正直な気持ち。それとは別に言うなら、あの時のわたしたち(・・・・・)は、ヒトに対して最大限の警戒をしてた。断言はできないけど、相当に守りを固めたと思う。そういう意味でも、あるじを危険に晒すことになる』


『だがあるじの望みは――』


『古の魔術の知識……』


 クロウと<影>たちの溜め息が重なった。


 既に依頼を引き受け準備を進めてしまっているので、反対意見は今更である。

 何より、魔術研究に熱心すぎるほど熱心な普段のヴィゼを知っていて、イグゼと遺跡の話で盛り上がっていたヴィゼを前にして、強固な反対などできようか。

 クロウの力さえ及ばないような相手ならば、どんな手段を使ってでも止めただろうが――。


『今のわたしならば、あの場所で皆を守ることができるはずだ』


 慢心するでなく、クロウはそう考えた。


『皆の協力は不可欠だが』


 頼む、とクロウは<影>たちに頭を下げる。

 <影>たちは苦笑しつつそれを受け入れ、クロウの中の意思は統一された。




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