01 修復士と研究者の依頼
小さな物音がした。
常人であれば気付かない距離のそれに、クロウはそっとベッドの上で目を開く。
音は、毎朝聞こえてくるものと同じ。
誰よりも早く目を覚ましたゼエンが、仲間たちのためにまめまめしくキッチンで働いているのだ。
時刻は未明である。
暗闇の中上体を起こしたクロウは、冬の冷え切った空気に身を震わせた。
彼女の体は寒暖に強いが、感覚がないわけではない。
ベッドを抜け出したクロウは身なりを整えると上着を着こみ、部屋を出た。
「御大、おはよう」
食堂の暖炉には火が入れられ、部屋を暖め始めている。
それを横目に通り過ぎたクロウがキッチンに顔を出すと、いつも通りの穏やかさでゼエンは挨拶を返してくれた。
そのままクロウは、ゼエンの手伝いを始める。
慣れた手際でくるくると動いていると、一つの気配が近付いてくるのを感じた。
「おはよう」
やがて食堂に現れたのは、ヴィゼである。
夜更かしが多いせいもあって朝に弱いヴィゼが、自らこの時間に起きてくるなど滅多にないことだ。
仕事が入っている時でさえ、誰かしらに起こされるのが常なのである。
クロウは目を丸くしたが、ゼエンは驚きもなくヴィゼを迎えた。
「昨晩はよく眠れましたかな?」
「全然……」
よく見れば、ヴィゼの目の下にはうっすらとクマがある。
どうやら早起きをしたわけではなく、ずっと起きていたらしい。
心配になって眉根を寄せると、そんなクロウにヴィゼは微笑みを見せた。
心臓が跳ね、久しぶりにちゃんとヴィゼの顔を見たと気付き、クロウは視線をそらしてしまう。
ヴィゼの顔をまともに見られない。
あの、告白の夜から、ずっと。
「おっヴィゼ、さすがに今日はちゃんといるな!」
次いでやってきたエイバがヴィゼの背中をひとつ叩き、続くレヴァーレが苦笑を浮かべる。
そんな二人も、いつもより早い起床時間だった。
それは、クロウやゼエンも同じ。
今日は朝から、客人が<黒水晶>を訪れる予定なのだ。
その客人に<黒水晶>の新参であるクロウは会ったことがないが、古参メンバーとは懇意の男である。
名はイグゼ。
考古学、そして魔術研究の第一人者であると、クロウは教えてもらっていた。
国立考古学研究所の一つに所属し、大陸の中でもトップレベルのその機関で、主要な研究者として名を馳せている、という。
そんなイグゼとヴィゼたちとの付き合いは、<黒水晶>結成間もない頃から続いているものだ。
きっかけは、ヴィゼが作成した魔術具である。
それに興味を持ったイグゼがヴィゼを訪れ、意気投合。
その後、<黒水晶>は護衛としてイグザに指名してもらうなど、何かと世話になっているのだった。
今回イグゼが<黒水晶>を訪れるのも、依頼のためだ。
新しく発見された遺跡の調査の間、護衛と探索における戦闘員として<黒水晶>を雇いたいという話である。
その詳細を、ということなのだが、イグゼはヴィゼと同様――いやそれ以上に「研究馬鹿」であって、己の研究のこととなると周りが見えなくなる。
新しい遺跡が見つかったとなれば、抱えている仕事を放り出し約束の日より前に突撃してきてもおかしくない。
そう、付き合いの長い<黒水晶>の面々は考えていた。
それは避けられたようだが、彼ならば常識など忘れたような時間にやってくる。
古参メンバーの意見の一致により、<黒水晶>メンバー(セーラを除く)は早起きを決めたのだった。
「お久しぶりですな、ヴィゼ殿!」
実際に、イグゼは太陽が姿を現すより前、さらに言うと<黒水晶>メンバーが朝食に手をつけるより前に、<黒水晶>本拠地にやって来た。
しかも護衛すら置いて、暗闇の中馬車を無理矢理走らせてきたという無茶ぶりである。
「イグゼさん、お久しぶりです」
ヴィゼはイグゼの常識外れの行動には慣れている。
それよりも、彼との再会を喜ぶ気持ちの方が大きい。
イグゼが待ちきれなかったという様子で目を輝かせ、ヴィゼの手を両手で握るのを、ヴィゼも強く握り返した。
――聞いていた人物のようには見えない、な……。
仲間たちと玄関ホールで客人を迎えたクロウは、その黒瞳で早朝の客人を少し離れたところから見つめる。
小太り短躰をよれよれとした衣服で包んだイグゼは、どこにでもいそうな中高年男性の典型のような風貌の持ち主だ。
栗色の口髭だけが、何故かしっかり整えられている。
生き生きとしたブラウンの瞳が印象的だった。
「皆さん、お久しぶりです。今回もよろしくお願いします」
ヴィゼ以外の<黒水晶>の面々とも笑顔で握手を交わしたイグゼは、クロウを目の前にして目を見張った。
「! あなたが<黒水晶>の新メンバーの方ですね」
「クロウという。よろしくお願いする」
「イグゼと申します。いやあ、噂には聞いていましたが、想像した以上に美しい方ですね!」
「噂……?」
「ええ、戦士たちに始まり、あちこちで話題になっておりますよ。とても強く、そして美しい、物語の中から出てきたような少女の戦いぶりが」
初耳だったクロウはぎしりと体を固まらせた。
ぎぎぎとレヴァーレを見れば、知っていたらしい笑顔だ。
隣のエイバはにやにやと、ゼエンは微笑を浮かべている。
ちなみに現在のクロウに対して、噂だけでなく二つ名も乱立していて、<黒水晶の剣><黒き死の疾風>に始まり、<黒い美少女><黒姫>などというものまであるのだが、人の悪い笑みを浮かべるエイバも客がいる前でそこまでは口にしなかった。
「ヴィゼ殿からのお手紙でもよくお名前が上がっていて、お会いしたいと思っていました。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ああ……、」
ぎこちなくクロウは頷く。
やはりヴィゼの方は見られない。
一体、ヴィゼは何と書いたのだろう……。
「それで、新しく見つかった遺跡ですが、とんでもないものなんですよ」
玄関ホールですぐにもイグゼの話は始まりそうであったがそれを制し、ヴィゼたちは食堂に移った。
目をきらきらと――ぎらぎらと、という形容の方が似合うかもしれない――光らせて、イスを勧める間もヴィゼらに与えず、イグゼは拳を振り回す。
「私も報告を聞いただけではあるのですが、おそらく――いやほとんど間違いなく、五千年前のものです。それがそのまま残っているようなんです! 歴史的な発見ですよ!」
「それは……」
「大異変前の、ということか……」
専門知識に疎いヴィゼ以外でさえ、それには目を見張った。
五千年程前に起こったとされる大異変。
大陸の大地の一部が消滅し、人類は滅亡しかけた、という。
多くの人命、物、そして古文字が失われ、復興には多大な時間が必要であったらしい。
大異変の原因、実際に何が起こったのかは今に至るまで不明のまま。
大異変前の世界が如何様であったかということも、また。
「まだ外から眺めている段階なので推測ですが、住居ではなく巨大な地下施設。防御結界の上に不可知の魔術をかけてあったようです。その徹底ぶりですから、きっと途方もないものが眠っているに違いありません」
「不可知の魔術? それでよく発見できましたね」
「真上で魔術士が魔物とやりあった際の衝撃で魔術が揺らいだようです。協会から報告があって、今は木を抜いて土を掘り返す作業を進めつつ、防御結界を解いている最中です。ただ、それが非常に難航しているようでして」
「そこも含めて、<黒水晶>に依頼を?」
「我々の到着時までに事態が変わっていなければ、お願いしたいと考えています」
五千年前の結界ともなれば、未知の古文字が使用されていて、それを破ることはひどく難しいだろう。
それは<ブラックボックス>という二つ名で呼ばれるヴィゼであっても。
それでもヴィゼは、楽しげに笑った。
望むところだ、と思ったのだ。
「ちょっと聞いていいか?」
どこか怪しげに笑い合うヴィゼとイグゼを若干遠巻きにしながら、エイバはひょいと挙手した。
「魔術の効果って、そんなにもつのか?」
「魔術式でちゃんと指定してそれに見合った魔力を差し出すなら、いくらでも。この場合は、想像もできないくらいの魔力を消費してるだろうね」
「ははあ……」
魔力のことはいまいちよく分からないが、仲間たちが魔術を使っているところを見続けてきたエイバとしても、そのすごさは理解できた。
「あ、うちもひとつ。イグゼさんを疑うわけやないんやけど、五千年前の遺跡て、どういうところから分かるん? まだ建物自体は結界の中なんやろ? その結界の出来とか?」
「ええ、それもあります。あれだけの結界は、大異変後の遺跡には今のところないですから。アサルトが関わってくるとその限りではありませんが。それに――どうやら見つかった施設は古白石で造られているようなんですよ」
大異変の際、建築技術等に関しても多くのものが失われたという。
五千年も経った今では技術の進歩も目覚ましいが、現代においても再現できないものがある。
その内の一つが、イグゼの口にした「古白石」などと呼ばれている建材、岩石だ。
それは一見単なる白い石なのだが、現在大陸で産出されるどんなものとも異なっており、その成分の解析も進んでいない。
ただ、強度・硬度があり、劣化しにくく、何よりも魔術との親和性が高い、といったことは分かっていた。
一部の貴族や富裕層が守護などのための魔術をかけ、己の城や屋敷に使用していたようだ。
大陸北部で稀に見つかることがあるが、南方では今のところ発見がないことから、消えた大陸の一部から採れるものだったのではないか、とも推測されている。
「やから大異変前の可能性が高い、て言えるわけか……」
なるほどとレヴァーレたちは頷く。
「それで、その場所は?」
そうした情報には強いヴィゼだが、それはまだ彼の耳には入ってきていなかった。
ヴィゼのその質問に何故か勢いを削がれた様子で、イグゼは古ぼけた革の鞄から、四つ折りにされた大きな地図を取り出す。
「――ここです」
イグゼが取り出した地図は、大陸の北東部を描いたものだった。
そこには、モンスベルク・フルスがあるのみだ。
二大国と呼ばれるその二ヶ国が、大陸の四分の一を支配しているのである。
イグゼはその二ヶ国の国境線となっている森を指し示した。
ちょうど大陸北東部を二等分するかのように南北に長く続く森の、そのやや北寄りの位置を。
「場所が場所だけに、フルス・モンスベルク両国から調査員が派遣されることが決定しています」
それにクロウははっと息を呑んだ。
反応を示したのは彼女だけでなく、その側でゼエンがかすかにみじろぐ。
「うーん、なるほど……」
イグゼが珍しくも躊躇うような表情をしている理由が分かって、ヴィゼは苦く笑った。
「よりにもよってというか、どうしたものか……」
「何がだよ?」
不思議そうな顔をするエイバに、ヴィゼは救われたような気持ちになる。
「いや……、一応、僕はフルスから国外追放された身の上なわけで」
エイバとレヴァーレが、その言葉に「あ」と口を開いた。
ヴィゼがモンスベルクに至った経緯を聞いたのはここ一年の内のことではあるが、すっかり失念していたらしい。
「国境線上ってのは……ダメか」
「あかん、やろうね……」
ヴィゼの来歴については、イグゼも知っている。
イグゼもこれで国の要人といっておかしくない人物だ。
ヴィゼと初めて接触した時にそうしたことはしっかりと調べたはずで、ヴィゼも隠すことなく「国外追放」と口にする。
そうして顔を見合わせる<黒水晶>に、イグゼは眉を曇らせた。
「変装か何かで誤魔化す……といった手段はとれませんか。今回の件、ヴィゼ殿には是非とも同行していただきたいのです。ヴィゼ殿にとってもこれ以上ない機会のはずです」
イグゼの<黒水晶>への依頼はその戦力を求めるものであるが、実際に彼が欲しているのはヴィゼの頭脳・知見で、護衛・戦闘員の依頼は建前に近い。
遺跡の探索に危険はつきもので、戦闘員としての兵士や戦士は国から派遣される。
イグゼに関していえば、国の研究者の中でも重要視されており、しかも貴族の出であることもあって、国もしくは家の手配した護衛がそもそも就いている。
これまでイグザはその身分を上手く利用し、私費でも護衛を雇うことで、ヴィゼを堂々と調査に連れて行くことに成功していた。
今回も同じように、というのがイグゼの希望だ。
「難しいお願いをしていることは理解しています。ですが、何とかしていただきたいのです。全ての責任は私がとります」
ヴィゼの素性を知って、それでもなお彼の能力を求めてくれるというのは――しかもこれだけ熱心に――、ヴィゼとしても有り難く光栄なことである。
ヴィゼは少し迷って、後ろめたい手段をとることを約束する前に、正当な手段での方策がないか、窺うような視線をゼエンに向けた。
「……御大、どうかな?」
「そうですなぁ、おそらく問題なく行けるかと思います」
「――え」
それはあまりにもあっさりとした答えだったので、ヴィゼもイグゼも聞き間違いかと己の耳を疑った。
「本当に?」
「百パーセント確実というわけではありませんが、何とかなるかと。少し時間をいただきたいのですが……、出発はいつ頃になりますかな?」
「できれば明後日、明々後日には。ですが、馬車の移動で現地に到着するまで半月はかかるでしょうから、最悪ヴィゼ殿とは現地で合流できれば……」
「分かりました。それだけあれば十分すぎるほどです」
穏やかに答えるゼエンに、イグゼは瞳のきらめきを復活させた。
「ゼエン殿、よろしくお願いいたします!」
「はい」
イグゼはゼエンの手を握ってぶんぶんと上下に振る。
若干置いていかれている<黒水晶>メンバーを他所に、依頼の話はこうして一応のところ無事にまとまった。
その後、細かい打ち合わせが終わってからようやく到着したイグゼの護衛を招き、すっかり遅くなった朝食を、<黒水晶>は起きてきたラーフリールと依頼人たちと共にいただいたのだった。