22 貴族の娘と友の竜
クロウはベッドの中で寝返りを打った。
あれから、何事もなかったかのように、とはいかなかったが普段通り朝食をとり、その後はレヴァーレに安静を言い渡されて、こうして自室で横になっている。
だがどうにも、落ち着かなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃなのだ。
昨日のノーチェウィスクとの邂逅を思い出し、ヴィゼから聞いた話を脳内で再生し、今朝叱られた記憶に頭を抱え、去って行ったエテレインの背を脳裏に浮かべ……。
考えることも思うこともたくさんあって、次々に溢れ返るようで、クロウは堪らずに、抑え込むようにぎゅうと膝を抱え込むようにした。
そうしてしばらくした時である。
部屋のドアがノックされ、クロウは顔を上げた。
「クロやん、起きとる?」
「うん……、」
肯定を返しながら、クロウは動揺していた。
ドアの外にレヴァーレと、あと二人――エテレイン・サステナの気配があったのだ。
思わず転がり落ちるようにベッドから出て、クロウはドアを開ける。
「すみませんクロウさん、お休みのところ……」
「い、いや」
どっどっどっ、とクロウの心臓は嫌な音を立てていた。
エテレインは申し訳なさそうな顔をしている。
そんな顔をすべきは、クロウの方なのに。
「あの、わたくし、ちゃんとお話ししなければと思いまして」
「うん」
どんな言葉も受け入れる覚悟で、クロウはエテレインを見上げた。
もう二度と<黒水晶>の扉を彼女がくぐることはないかもしれない、とまで思っていたのだ。
これが最後になるのかもしれないし、わざわざ戻ってきてくれたエテレインの言葉だ。それがどんな内容であっても、拒絶などできるはずがない。
仲間たちに散々言われた後であるが、クロウはやはり悪い方向に考えて悲壮な決意を固めた。
そんなクロウの目の前で、エテレインも深呼吸し、心を決めて、口に出す。
「クロウさん……、わたくし、クロウさんに諦めたくないと思ってもらえるようなひとになりたい、と思います」
「う……ん?」
クロウは首を傾げた。
エテレインの宣言の意味が、上手く受け止められない。
「正直なところ、まだショックも混乱もあるのですけれど……。アディーユのことも、今の彼女がどうなってしまっているのか……考え始めたら、じっとなんてしていられなくなりそうで」
「レイン……」
「でも、わたくしはそれでも待つと決めたのです。約束した通りに待つことしか、わたくしにはできません」
儚げに微笑んだエテレインに、クロウは顔を歪めた。
「わたしを責めて、詰ってもいいんだぞ」
「アディーユのことではクロウさんには感謝しかありませんから、それは難しいです。ですが、そうされた方が嬉しいですか?」
「……嬉しいのは、今まで通り……、レインと友だちでいられたら、それだけで……、でも、迷惑だろう」
「いいえ」
その願いを口に出すことが、許されるのか。
クロウは自問しながらも、こうして向かい合ってくれるエテレインに対し、素直な気持ちを告げた。
エテレインは嬉しそうに顔を綻ばせて、膝を曲げる。
クロウにより、近付くように。
「……わたくしも、実は自信がなくなって。クロウさんを好きなことに変わりはないと思ったのですけれど……でも本当に、そうなのかって。わたくしはあまり幻獣や魔物のことを知りません。だから今はよく分かっていなくて、これまで通りにできても、もしかしたらだんだん、駄目になることもあるのかもしれない、とか……、そんなことを、考えて。それで、実際に竜のクロウさんに会ってみたら分かるかもしれないと思って、でも本当に駄目だったらクロウさんに悪いですし……、さっき期間限定の護衛に頼んで竜の姿を見せてもらいました」
「え」
頼んだのか、とクロウは思った。
そしてアルクスはその頼みに応えたのか……。
「それで、ですね、その、少しは……いえ、結構、怖いというのはあったのですけれど、嫌ではなかったんです。むしろとても綺麗で……、クロウさんはもっとずっと綺麗な竜なんだろうと思いました」
「あ、りがとう……?」
返答に迷って、クロウは首をまた傾げた。
「それで、わたくしが一番ショックで悲しかったことはなんなのか、分かって」
「うん」
「わたくしは……、クロウさんがわたくしのことを諦めてしまっていることが、悲しくて、つらかったんです」
「……!」
「クロウさんは、わたくしとの関わりを断ち切るおつもりだった」
「レイン、」
「わたくしはそれが嫌でした。……<黒水晶>の皆さんと同じ、ですね。わたくしはクロウさんと並んで戦ったり、皆さんのようにはできないですけれど、でも、わたくしもクロウさんが好きなんです。いっしょにおいしいものを食べに行ったり、お洋服を買いに行ったり、他愛のないことをお話ししたりしたい。ずっとずっと、そんな風にお友達でいたいんです。だから……、どうか、簡単に手を離さないで。わたくし、手を伸ばし続けますから。諦めませんから。今すぐは無理でもいつか、クロウさんに諦められないような女になりますから」
拒絶されるのは怖い。
だから傷つく前に手を離してしまうというのは、とてもよく分かるのだ。
エテレインも、怖かった。
自分の言い分も、勝手なものだと分かっていたから。
それでも、エテレインは諦めたくなかった。
クロウという友を、諦めたくなかったのだ。
青の瞳がその思いを切に宿して、揺れる。
綺麗なのは、エテレインの方だ、とクロウは思って。
「……もう簡単なんかじゃない、手を離すのは。だけどわたしは、黒竜だから。そのせいでレインや皆が傷つくのは、嫌なんだ……」
生まれついてから、ヴィゼに出会うまで。
クロウはずっと忌まれ、嫌われ、蔑まれてきた。
つらくて、悲しくて――死を願いながらも生き延びてしまった。
生き延びたから、ヴィゼに、白竜に、仲間たちに出会うことができたけれど。
皆のおかげでクロウは今、幸せというものを知ることができたけれど。
だからこそ、温かいものをくれた皆を、クロウのせいでつらい目に合わせるなどということは、どうしても許せないことだった。
だから手を、離さなければと思って。
けれど、それこそもう許されないことなのだと……クロウは思い知らされていた。
「ごめん、レイン……」
「いいえ」
離れようとして、でもできなくて。
泣き出しそうな顔で謝るクロウを、エテレインはそっと抱擁した。
クロウの手が恐る恐る、エテレインの背に回る。
この小さくて、実は大きいのだろう友を、失わずにすんだ、とエテレインは安堵した。
そんなエテレインの後ろ、ドアの外には、いつの間にかレヴァーレやサステナ以外の面子も揃っていて、二人に温かな眼差しを向けている。
やがてエテレインはそれに気付いて、照れ臭そうに笑うと、少し体を離した。
「あの……でも、お詫びをしてくださるなら、クロウさん」
「ん?」
もじもじと、エテレインは続ける。
「えっと、ですね、クロウさんの写し身を、お一人、いえ、一体と言うべきなのでしょうか、わたくしに預けては……」
クロウは思わず声に出して笑った。
「悪いがレイン、詫びはそれ以外で頼む」