20 修復士と仲間
部屋を出たヴィゼとクロウが食堂へ入ると、そこには全員が揃っていた。
<黒水晶>の仲間たち、エテレイン、サステナ、シュベルトにアルクス。
いないのはセーラと、まだベッドの中にいるラーフリールだけだ。
昨日の今日で、アルクスを除く全員が疲れた顔をしている。
仲間がよく分からない相手に攫われ、取り戻したものの意識がないままというのは、戦士稼業をしていても滅多にあることではない。
そういうわけで、<黒水晶>たちはベッドに横になったもののぐっすり眠ることなどできず、こうして早々に起き出してしまったのだった。
エテレインらも結局昨晩は宿には戻らず、<黒水晶>の本拠地に泊まっている。クロウを心配する余り遠慮をしていられなかったのだが、アルクスが<黒水晶>にエテレインを託して外に出ていた、ということもその後押しをした。
そのアルクスが再度<黒水晶>の本拠地を訪れたのは、つい先ほどのことだ。昨日の言動で特に女性陣から厳しい目を向けられても気にした様子もなく、「クロウ殿が心配で」と言い放ったが、その言葉自体には嘘はなかろうと、渋々招き入れられたのだった。
「クロやん!」「クロウさん!」「クロ!」
そんな風にクロウを心配する面々が集まっているところに、ヴィゼとクロウが揃って顔を出したので、食堂の雰囲気は打って変わって明るいものとなる。
エイバはばんばんとクロウの肩を叩き、ゼエンとレヴァーレとサステナはほっとした顔を見せ、エテレインは泣いてクロウに抱き着く。
アルクスは一人冷静さを崩さないし、シュベルトはいつも通りを装っているが、どちらも眼差しは少し和らいだようだった。
「皆、すまない……」
罪の意識でいっぱいになりながら、クロウは頭を下げる。
心配されるべきでないのに心労をかけてしまった、と思ったのだ。
その表情の暗さにまた心配をされてしまう始末で、非常に居たたまれない。
「安心したけど……、まだベッドで横になっとった方がええで。ヴィゼやんも」
「……先に、今回の件について説明させてほしくて」
神妙な顔つきのヴィゼとクロウの態度に、誰もが感じるところがあって、口を閉じる。
緊迫したような空気が流れ、困惑したようにエテレインとサステナは顔を見合わせた。
「あの、わたくしたちは席を外した方が……?」
「いや、レインたちにも聞いてほしい。……二人にも、関わりがあることだから」
クロウがそう言うと、二人はきょとんとした。
<黒水晶>メンバーも不可解そうである。
「とりあえず、皆、座って。多分長くなるから」
皆が着席する間に、クロウはアルクスとシュベルトに向けて概念送受で話しかけた。
『先に、アルクス殿には謝っておく。……すまない』
『それは……どういう意味です?』
『レインにわたしが竜であることを打ち明ける。アルクス殿のことまで言及するつもりはないが、同門の弟子、だからな。レインは……』
『気になさらないでください。彼女はきっと……、いえ、何でもありません』
アルクスは本心から気にしないようだ。
クロウは少しほっとした。
『お前、いいのかよ』
シュベルトが聞くのは、クロウに対してだ。
クロウは全く躊躇わず、とはいかなかったが実直に頷いた。
『いいんだ』
それから彼女はふとシュベルトに目をやって、気付く。
『お前、顔色が悪いな。わざわざ付き合う理由もないだろう。宿に戻った方がいいのではないか?』
『……宿じゃここほどウマいメシが出ねえだろ』
シュベルトは不愛想にそう返した。
クロウは昨日の事情を完全には聞いていないようだ、とヴィゼにちらりと視線を寄越す。
結局シュベルトはあの後ヴィゼと同様に寝込み、失った魔力の回復のため、<黒水晶>の客室を借りて一晩を過ごした。
シュベルトの顔色が優れないのは魔力が完全に回復していないせいなのだが、それについて恩着せがましく言うつもりはない。
ゼエンの朝食が目当てなのかとクロウに呆れられても、特に気にしないことにする。それも嘘ではなく、ここにいる理由の一つだった。
――よし。
アルクスに断りを入れたので、そういう意味での気兼ねはなくなった。
クロウは深呼吸して、ヴィゼを見上げる。
見返してくれるヴィゼの瞳は覚悟を宿していた。
先ほどまで繋いでいた手を今は離しているけれど、その温もりはすぐそこにあって、クロウは逃げ出さずにいられる。
「昨日のことだけど……、」
ヴィゼとクロウは腰を落ち着けられずに立ったまま、ヴィゼが口火を切った。
しかしクロウがその袖を引いて、言葉を止める。
「あるじ、わたしから」
「だけど……」
「大丈夫」
その力強さに抗えず、ヴィゼは続きをクロウに託した。
「昨日、わたしが攫われたのは……わたしが竜だからだ」
まさかそんな打ち明け話から入るとは思わない。
<黒水晶>メンバーは絶句し、クロウを見、そしてエテレインたちを見た。
エテレインもサステナも、よく聞こえなかったかのような顔をしている。
「レイン、侍女殿、隠していてすまない。わたしは人間ではない。竜なんだ」
クロウは頭を下げ、そして袖を捲って腕を見せた。
魔物を一刀両断にしているとは信じられない、白く華奢な腕である。
クロウは魔術式を宙に踊らせ、ほんのわずか、変化を解いた。
白い腕に、黒い鱗が現れる。
それは仲間たちも見たことのないもので――クロウの本体は見たことがあるが、一部のみ変化させられるとは知らなかった――その腕に視線が集まる。
信じられないが信じるしかないといった状況で、エテレインとサステナはごくりと息を呑んだ。
それ以外の反応は全く思いつかないというように、茫然としている。
「アルクス殿たちが追っていたモノは、竜の“呪い”を宿したものだったんだ。それも、黒竜の“呪い”だった。遥か昔の黒竜の。わたしの中には、代々の黒竜の欠片がある。だから“呪い”はわたしを自分の一部と間違えて、ひとつになろうとわたしを攫った」
「“呪い”……」
エテレインたちはそれについても知らない。
今度はヴィゼが口を開いて、彼女たちにクロウの写し身についてと“呪い”の説明をした。
“呪い”という物騒なものにクロウが攫われたと知り、エテレインの顔色が悪くなる。
「クロウさん、大丈夫なのですよね?」
「ああ、見ての通りだ。……レイン、すまない」
先ほどからクロウは謝罪ばかりである。
竜であることを隠していたから、だけではないことを、直後にエテレインは知ることになる。
「その“呪い”についてですが、実はエテレインさんたちには言わずにいたことがあります」
つらそうなクロウの肩に手を置き、今度はヴィゼが続けようとするクロウを止めた。
「アディーユさんのことです」
その前置きに、エテレインは体を強張らせる。
「彼女が強力な魔術具を手に入れたとお伝えしていましたが、あれは嘘です。アディーユさんが手にしていたのは……、“呪い”、でした。クロウを攫ったものと同じ、黒竜の“呪い”です。……申し訳ありません」
「――え、」
エテレインの表情が凍りついた。
サステナは口元を手のひらで多い、その後ろにただ立ち尽くす。
「おい、ヴィゼ、お前それ……」
「ごめん、黙ってた。……もう一つの“呪い”のことも、僕はずっとずっと黙ってた」
思い詰めた目で、ヴィゼは仲間たちを見た。
ゼエンを、レヴァーレを、そしてエイバを、見た。
「エイバ、エイバに憑りついていた“呪い”も、同じ黒竜のものだったんだ」
ヴィゼは、クロウの肩に置いた手に、強く力を込める。
「ごめん、僕が……、僕が、全部、悪かった」
クロウを取り戻したことを悪いこととは思っていない。
だがそれに皆を巻き込んでしまった。
黙って、騙して、傷つける結果になった。
全部自分のせいだとヴィゼは謝った。
クロウが悪いとは思ってほしくなかった。
ただそれだけを、願った。
「……僕たちは、ここを出ていくよ。本当に、ごめん……」
「…………」
氷のような沈黙が、その場を支配した。
静まり返った食堂にしかし、似つかわしくない朝の鳥のさえずりが聞こえてくる。
それを契機にしたように、深い溜め息がエイバの口から洩れた。
「……ヴィゼ、お前、そこだけは本当に、いつまで経っても治んねえのな」
その瞳は怒りを宿してヴィゼを見据える。
決別の覚悟で、ヴィゼはエイバを見返した。
許してくれとは、言えなかった。
「腹が立つぜ、本当に――」
つかつかとエイバはヴィゼに近寄り、その胸ぐらを掴んだ。
その暴挙を、この時ばかりはクロウも止められない。
蒼褪めて狼狽えるばかりである。
「歯ァ食いしばれ」
ヴィゼはその言葉に従い、歯を食いしばった。
自分の身にこれから起きることはよく理解していたが、目は閉じずに受け入れる。
エイバは全く躊躇しなかった。
勢いよくエイバの拳が振りかぶられ、ヴィゼは左頬を思い切り殴られる。
ドアに背中を叩きつけられたヴィゼは、痛みに呻いた。
クロウはそんなヴィゼに駆け寄って、ふらつくその体を支える。
泣きそうな顔のクロウに、ぎこちなくヴィゼは微笑んだ。
「お前、いい加減にしろよ。いつもいつもお前はそうだ。なんでも全部自分だけで抱えこみやがって……。挙句の果てには、出て行くときた」
エイバは忌々しげに舌打ちした。
「だがなあ、そもそもてめえは、なんも悪くねえだろが! クロもだ! 全部を全部自分のせいにして、お前らはドMか、そうでなけりゃ楽したがりの臆病モンだ。自分で抱えとけば誰かの迷惑にはならねえ、分かってもらおうって手を尽くさなくていいってな。だがな、それじゃあなんで俺らはいんだよ、仲間だろうが!」
叫ぶように言い切って、エイバは足りずに続けた。
「避けようともせず殴られやがって……、ますます腹が立つぜ。これで終わりみたいな顔してんじゃねえよ。なんで勝手に終わらせようとすんだ。いい加減信じろよ。期待して裏切られんのが怖いのだって分かるさ。だけどヴィゼ、お前は何年俺らといるんだ。そりゃちょっとくらいグチグチ言うこともあるかもしれねえけどな、お前らの抱え込んでるもの分けられたって簡単には折れねえし、離れてだってやらねえよ」
捲し立てられる言葉を聞きながら、ヴィゼとクロウは茫然とエイバを見つめる。
軽蔑したと裏切り者と罵られ、追い出されることばかり考えていたのに。
けれど、これは。
エイバの、真意は。
「分かったか」
「分かっ、た……」
ちゃんと分かっているかは怪しかったが、圧倒されるように二人は頷いていた。
その少し後ろに控えるレヴァーレとゼエンは、怒っているような、仕方がないと呆れているような目で、二人を――三人を、見ていて。
「全く、リーダーの秘密主義は困ったもんや。けどエイ、これはちょっとやりすぎやない?」
「足りないくらいだと思うがな」
レヴァーレが治療しようと手を伸ばす。
ヴィゼは断ろうとしたが、有無を言わさず手をかざされた。
「まぁ、確かになぁ……。結構がっかりやったで。二人とも悲壮な顔しよってからなぁ。うちらそんなに薄情やと思われとったんか、って思たわ……。そりゃショックはショックやったし、黙っとったんも分かるけどな……」
はぁ、とレヴァーレは吐息を零した。
「うちらにも足りんかったんやろな。信じてもらえるよう努力するとか、信頼を示す、とか。やっとったつもり、になっとっただけやったんやろな。これからはもっと二人にも自信持ってもろて、仲間から簡単に見捨てられることなんかない、て思ってもらわなな」
ぐさりぐさりとレヴァーレは追撃し、二人の胸をさらに抉った。
「御大も、文句があるならちゃんと言っておけよ」
「お二人が十分代弁してくださいましたからなぁ」
ゼエンの立場では、エイバとレヴァーレのようには怒れない。
そんな資格はない、とゼエンは思っていた。
「お二人ともありがとうございました。リーダーとクロウさんを、私では引き留められなかったかもしれませんから。そうならずに良かったと思っています。私は仲間を、この居場所を、できることなら失いたくないと考えておりますからなぁ」
意図せず、それはヴィゼとクロウに止めを刺す。
二人は揃って膝をつき、深く頭を下げて、仲間たちに今度こそ、己の非を謝罪した。