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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”
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19 修復士と黒竜の<影>



「巨木がノーチェの呪い、に……」


 エイバが“呪い”に侵されていたことを聞き、クロウは不調のせいだけでなく、顔色を真っ白にしていた。


 ヴィゼは気遣うように、クロウの手のひらを握る力を強くする。


 クロウに告げなければならないのは、エイバのことだけではなかった。

 けれどもう、言わずにおくべきではない。


 ヴィゼはクロウの内心を慮りながら、もう一つの隠し事を打ち明けた。


「それだけじゃないんだ、クロウ。僕は……君に、エテレインさんに、嘘をついた。……アディーユさんも、“呪い”を宿しているんだ。彼女は望んで“呪い”を受け入れて、復讐を遂げようとしている。かの竜の、ノーチェウィスクの力を借りて……」


 クロウは目を見開いて、己の主を見返す。

 ヴィゼの瞳は、罪悪感で翳っていた。


「ごめんね」


 ヴィゼの謝罪に、クロウはふるふると首を振る。

 思い出したのは、あの夜の森でのことだ。

 アディーユの魔力を、知っている誰かの魔力に似ていると思った。

 それは、ノーチェの魔力だったのだ……。


 胸が軋む音を、クロウは聞いた気がした。

 握りしめた拳よりずっと胸が痛く、堪えるように背中を丸める。

 仲間たちの、エテレインの、笑顔が遠くなる……。


 ――けれどそれは、いつかやってくると知っていたことだった。


 クロウはゆっくりと顔を上げる。

 まだ完全に事体を受け入れられたわけではない。

 ヴィゼを疑っているというのではなく、気持ちの上で咀嚼できていない。

 だが一つ、確認しなければならないことがあったし、クロウからもヴィゼに話さなければならないことがあった。


「フィオーリ」


 呼ばなければならないと、クロウは一番目の己の<影>を呼んだ。

 彼女はクロウに応じて、すぐにベッド脇に姿を現す。


「……護衛殿のことはともかく、お前、巨木のことは知っていて黙っていたな?」

「……うん」


 ばつが悪そうな顔で、クロウの<影>は首肯する。

 ヴィゼは驚きの目で、そんな<影>を見つめた。


「何故」

「言う必要はないと思った。だってクロウは、気に病むでしょう。悪いのはクロウじゃないのに」

「そんなの……、お前、他の<影>を巻き込んでまで……、」

「メディオディーアもそうすべきだと言った」

「彼女も知っていたのか……」


 クロウは絶句する。

 あの頃クロウは修行に明け暮れていて、ヴィゼの護衛にと影に潜ませていたのは写し身たちだった。

 一番目の<影>であるフィオーリを中心に、彼女に指揮権を与えて他の<影>たちにも協力させていたのだ。


「ええと……、」


 成り行きに困惑しつつ彼女たちの会話を聞いていたヴィゼは、何となく事情を悟りながら、どう聞いたものか迷った。

 クロウ自身は全く知らずにいながら、その<影>たちはエイバの“呪い”のことを知っていた、というのを彼自身上手く受け止められない。


「すまない、あるじ。戸惑わせてしまった。……今度はわたしの話を聞いてくれるだろうか。わたしのアビリティの話だ」

「うん」


 彼女の<影>と“呪い”との関わりは、ヴィゼとしても非常に気になるところだった。

 クロウが“呪い”を宿しているというわけではなさそうだが、クロウを失う可能性に繋がりはしないかと考えただけで、胸苦しさを覚える。


「とはいえ、何と説明したものか……。あるじ、わたしの<影>は……その、これまでの黒竜なのだ」

「これまでの?」

「うん……、その、黒竜というのは、竜の突然変異のようなもので……、竜の中でも一頭しかいないものなんだ。その唯一が死ねば次が生まれるが、複数になることはない。そして次に生まれた黒竜は、前代の黒竜を<影>として引き継ぐ。代を重ねれば<影>は増えていく。わたしは十の<影>を持つ、十一代目の黒竜になるわけだが……。この説明で伝わるだろうか?」


 自信なさげに眉を下げて問いかけて来るクロウに、ヴィゼは茫然と頷いた。

 クロウの言葉を信じられないわけではない。

 だが、そんなことがあるのか、と思ったのだ。


 人間の常識では、死ねば体は地に還り、魂は天に還る、という。

 それでは幻獣はどうなのだろう。

 その生死は人間とは全く異なる理で動いているのだろうか。

 それとも同じでありながら、黒竜においてはその生の残滓が残るということなのか。


 ただ一つ、ヴィゼには腑に落ちたことがあって、<影>たちに個性や意思があるように見え、それぞれの魔力が少しずつ異なっているのは、だからなのだろう。


「完全に理解できたとは言えないけど、大丈夫。つまり、ええと、……僕たちが出会ってきた“呪い”は、ずっと昔の黒竜だった、ということになるのかな」

「そう、だな。ノーチェは……、四千年程前の黒竜らしい。彼女はそこで、非業の最期を遂げたという」

「非業の……」

「あまり聞いていて気持ちの良い話ではないが……」


 気遣う眼差しに、ヴィゼは大丈夫と頷いた。

 彼女のことを、ノーチェウィスクのことを、知っておきたいと思った。

 それを話すクロウとて、快いものではないのだろうが、それでも。


「……彼女は人間の男と恋仲だったのだ」


 しかし最初の一言がそれで、ヴィゼは動揺した。

 気持ちの良い話でないというのはそういうことなのか、と思ったのだが、違った。


「しかし周囲の竜たちは反対した。最終的には……、彼女の恋人を殺害すらした。その当時黒竜は貴重な存在だと敬われていたから、竜たちは余計に許せなかったのだ。その関係を」


 クロウはあえて、感情を排して語る。


「彼女は悲しみ、激怒した。怒りに我を忘れた彼女は、同族を次から次に手にかけた。黒竜は魔力こそ他の竜に劣るが、アビリティを使うことで抵抗を許さず同族を殺すことができたんだ。皆殺しを避けるべく、竜たちは一致団結してノーチェを止めようとした。最後には、一対多数で彼女を殺したんだ。その攻撃で、彼女の肉体は散り散りになった。それが“呪い”として、今も残っている――」


 何ということだろう――。


 ヴィゼはセーラから教えられた黒竜の話を思い出していた。

 あれはきっと、ノーチェウィスクのことだ。

 そう確信して、腸の煮えくり返る思いがする。

 卑劣なやり方で黒竜が仲間たちを殺した、とセーラは言っていた。

 一体どちらが卑劣なのだ。

 そもそもの元凶は竜たちの行動であるのに、全て黒竜のせいにして、そして。

 今代の黒竜であるクロウさえ、苦しめた……。


 竜族滅ぶべし、とヴィゼは怒りを滾らせたが、今は“呪い”の話だ。

 深呼吸をして怒りを胸の奥に沈める――だが完全には抑えきれず、発した声は低くなった。


「……クロウは、彼女が“呪い”になっていたことも知っていたんだね」

「すまない……」


 謝るクロウは悄然と肩を縮めている。

 ヴィゼはすぐに反省して、安心させるように微笑んだ。


「ううん、ごめん。責めてるわけじゃないんだ。ただ、前の代の黒竜を引き継ぐと言っていたから、クロウには“呪い”の影響はないんだよね、って確認をしておきたくて」

「あ、ああ……。それは大丈夫だ。引き継ぐと言っても、記憶や感情がそのまま残るわけではないし、わたしの肉体は全く別個のものだ。記憶は……、全く残らないわけでもないようなのだが、その、漂白されていると言えば伝わるだろうか。だからわたしも<影>のノーチェも、そうした意味では“呪い”とは全く繋がりがない。師もそこは太鼓判を押してくれていた」

「白竜も“呪い”のことは知っていたんだね。黒竜のことも、白竜はちゃんと知っていたから、クロウを弟子として受け入れてくれた?」

「まあ……、そうだな。今までの話はほとんど師から聞いたものだ」


 クロウは濁して頷いた。

 白竜と黒竜には、まだヴィゼには話せない何某かがありそうだ、とヴィゼは感じ取る。

 アビリティについてももっと掘り下げたく思ったが、どこまでも脱線していきそうなので追究は止めることにする。

 何でもかんでも聞いてしまって、クロウに嫌われてしまっても困る。


「師は……、ノーチェの“呪い”を追いかけていた」

「え、」

「あのような形で彼女を世界に存在させるのは忍びないと、見つけ次第眠らせていた。だが完全にイタチごっこで……、“呪い”は増殖するし、それに、あまりに散り散りになりすぎて、名前だけでは探しきれないことも多かったようだ。ノーチェウィスクというのは、完全なる真名ではないから」

「そうなの?」

「ああ。生前の彼女の真名は、もっと長いものだった。だからかそれぞれがその一部を持っているようで……、その上“呪い”は他のものに憑りつく。完全に融合してしまうと、名が歪んでしまうケースもあるらしい」


 “呪い”というものは、ヴィゼが考えていた以上に複雑な代物のようだった。

 再度かの黒竜の“呪い”に出会ってしまった時、ノーチェウィスクという名が使えなかったならば。

 その時は再び、“全視の魔術”を使うことになるかもしれない……。

 アディーユが宿す“呪い”のことを思い、ヴィゼは知らず知らず険しい顔になった。


「……厄介だね、“呪い”というのは……」


 沈んだ顔で、クロウは頷く。

 束の間の沈黙の後、クロウは意を決したように口を開いた。


「あるじ……、皆は、レインは、やっぱり許せないと思うよな……」


 ノーチェのことを――クロウのことを。

 ヴィゼはナイフで刺されたかのような痛みを覚え、クロウを見返す。

 それこそ、ヴィゼがこれまでずっと抱えてきたものだった。

 これからもずっと、彼独りで抱えていくはずのものだった。


「……分からない」


 正直に答えたヴィゼに、クロウはほんのわずか口角を上げる。

 諦めきったような、悲しい笑みだった。


「黙っていることはできるよ。今回のことも、上手く誤魔化して」

「でも、それはもうしたくないと思うのだろう?」


 クロウの言うことは図星だった。

 ノーチェウィスクのことはヴィゼ独りで抱えていくつもりだった。

 けれど彼女の“呪い”はクロウを攫っていってしまった。

 それを何故と、仲間たちは理由を問わずにいられないだろう。

 嘘をつくこともできるけれど、これ以上誤魔化すことを続けてしまったら、いつかその分皆の傷は深くなる――。

 そう、ヴィゼは思った。


「……皆を騙してこれまで通りにするのは、わたしも嫌だ。できない、と言った方がいいのかもしれないが……」

「ごめん……」


 何度謝っても足りない。

 そんなヴィゼに、クロウはまた苦く笑う。


「あるじに非はない。……あるじ、本当にいいのか。このままで、」


 クロウは繋がれた二人の手を見つめていた。

 彼女はヴィゼに、自分を突き放せ、と告げているのだった。

 二人の契約を破棄してもいいのだと。


「それだけは絶対に嫌だ」


 頑是ない子どものようにヴィゼは言った。

 クロウは困ったような、けれどどこか嬉しそうな顔をする。


「……あるじは子どもみたいだね」


 そんな二人の脇から告げたのは、それまでひっそりと佇んで会話を聞いていたフィオーリだ。


「クロウも」

「フィオーリ?」

「ううん、囚人と言った方がいいのかな。ねえ二人とも、だけど二人は最初から、檻の中になんていないんだよ。それを二人は、もう理解すべきだと思う」

「何を……?」


 戸惑う二人に、フィオーリは続ける。


「悲壮な決意なんか必要ない、ということ。だからわたしたちは黙っていたんだよ。悪いのは全部……わたしたち(・・・・・)だから」

「それは違う!」


 クロウの反論は思わぬ音量で、フィオーリも驚いたようだった。

 けれどすぐに、<影>は驚きを苦笑に変えて。


「クロウ、今のが答えだよ。……ありがとう」


 その微笑は、やはりクロウにはないものだった。

 瞬くクロウとヴィゼの前で、フィオーリは窓を指差す。


「もう朝みたいだね。クロウ、説教は後でちゃんと聞くから。今は……行ってらっしゃい」


 <影>の言う通り、カーテンの向こう側はいつの間にかほのかに明るくなっていた。

 フィオーリは影に身を潜め、それを困惑の目で見送って、ヴィゼとクロウは顔を見合わせる。


「……行こうか」

「うん」


「行ってらっしゃい」と告げた、その声に背中を押されるように、クロウはベッドから降り立ち、ヴィゼも立ち上がった。

 悲壮な決意は必要ないと言った、<影>の言葉が二人の中で響く。

 けれどそれは、簡単に捨て去れるものではない。

 必要ないなどとは思えない。

 悪い未来しか考えられなくて、それでも繋いだ手の温もりがあるから、二人はそっと、ドアを開けて、部屋を出た。




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