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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜
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01 修復士と始まりの朝



 どうか、逃げてくれ――。


 青空の向こう、小さくなっていく黒影をひたむきに見つめ、少年は強く願った。

 

 行かないでほしいと、その本心を胸の奥に隠して。

 手を伸ばしそうになるのを、拳を強く握りしめることで堪えて。


 少年は、その黒を――彼にとって唯一、かけがえのない存在を――、ただただいつまでも、見つめ続けていたのだった。








 はっ、と目覚めた青年――ヴィゼは、自室のベッドの上、夢から醒めるように何度か瞬いた。

 胸元で強く握りしめられた己の手のひらから力を抜き、嘆息する。

 少年の頃の記憶は、こうして夢にまで現れて、度々彼に胸苦しさを与えるのだった。


 ――だけど、それもきっと、遠くない内には……。


 夢の残滓を振り払い、その青味がかった夜色の瞳に強い意志を宿したヴィゼは、起き上がってベッドから抜け出した。


 未明の空は薄暗く、部屋の中に差し込む光もごくごく淡い。

 けれど慣れた自室はそう広くもなく、明かりをつけずとも着替えを済ますのに苦労はなかった。


 ヴィゼが細身の中背に纏うのは、防御に長けた素材で作られた魔術士用のローブである。

 人を害する魔物を倒す戦士――ヴィゼは、その中でも魔術を用いて魔物に対抗する魔術士だ。

 今日は戦士としてクランの仲間たちと仕事に出る予定で、ヴィゼは着々と装備を身に着けていく。


「――よし」


 眼鏡をかけ、クリアになった視界の中、最後にヴィゼは黒い杖を手にした。

 身長とほぼ同じ長さの杖には、古式魔術を扱うための古文字(アドヴェニーレ)がびっしりと刻まれている。

 そんな長年の相棒を片手に、ヴィゼは自室の部屋のドアを開けた。


 望むものに、近付いている予感。


 それが、ヴィゼの一歩を踏みしめるようなものにしていた。








 ――とはいえ、現実というものは、甘くないものだ。


 朝日が地平線からすっかり顔を出す頃、今回の仕事場を目の前に、ヴィゼは顔を顰めていた。


「……分かっていたけど、これは、手強そうだね……」


 苦々しく呟く眼前には、廃城がある。 

 五百年ほど前に使われなくなったとされる石の城は、長い年月人の手が入ることなく黒ずみ、緑で覆われている箇所も多い。

 その城壁はところどころ崩れ落ちていたが、その奥に聳える本城は今なお異様なまでにどしりと構え、威圧感を放っていた。


 ヴィゼが手強そう、と評するのは、この廃城の中から感じられる魔物たちの気配のことだ。

 二十四という若さであるが、魔術士として長く活動してきたヴィゼは、魔物の持つ魔力量などから、その実力を判断することにも長けていた。


 城に入らずとも感じられる厄介そうな魔物たちの気配に気付いたのは、しかし、ヴィゼだけではない。

 同行するクランの仲間たちも同じように感じ取ったようで、皆一様に頷いた。


「確かにこりゃ、思ってた以上だな」


 ヴィゼの言葉に一番に軽い調子で応じたのは、剣士エイバ。

 上背があり、厚く逞しい体に銀色の鎧を纏う彼は、その体躯に相応しい大剣を帯びている。その面持ちにはどこか愛嬌があり、その身体の威圧感を和らげていた。

 ヴィゼより二つ年上の彼は、ヴィゼの親友であり、兄貴分のようなものでもある。


「かなりの数、ですなぁ。城の外によく溢れてこないものです」


 深みのある声で穏やかに告げたのは、最年長のゼエンだ。

 痩身に細剣を帯びる彼は、剣士であると同時に魔術士でもあり、いずれにおいても相当な実力者であり経験者である。髪は白髪交じりで、もう五十に近いはずだが、全く肉体に衰えを見せない動きで、メンバーたちの信頼も厚い。


「ヴィゼやん、もうこれ、大規模な魔術でボカンッとやっちゃった方が早よない?」

「これを目の前にしちゃうとその気持ちはすごく分かるけど、問題だらけになるから却下」


 物騒なことを明るく言って即座にヴィゼに却下されたのは、メンバーの紅一点、レヴァーレ。

 豊かな金髪を持つ美女であるが、気取ったところはなく、親しみやすい雰囲気である。その笑顔は誰をも元気にしてしまえそうで、その髪色と相まって、太陽のように眩く温かい印象を人に抱かせた。

 魔術の中でも防御に特化した魔術士で、腕の良い治療術師でもある彼女は、大層頼りになる後衛だ。


 この四人が、ヴィゼがリーダーを務めるクラン<黒水晶>の全構成員である。

 

「あのケチケチ領主にネチネチ言われるのは勘弁だしなー。気持ちは分かるが」

「損害賠償も大変な額をふっかけてきそうですしなぁ。手っ取り早い方法には同意したいですが」

「せやろ。もういっそあの吝嗇家領主ごと吹っ飛ばしたいくらいや」


 ケチケチ、吝嗇家、と評された、ここケルセン領の領主は、この一年の間に代替わりしたばかり。

 その新領主がこの廃城に溢れる魔物の討伐を依頼してきたのだが、かの領主は領主としても依頼主としても最低の部類だった。


 元々この廃城は、魔物が溜まりやすい。先代領主はこの廃城が魔物の巣窟にならぬよう度々討伐を行っていたようなのだが、新領主はそれを怠っていたのだ。

 しかも、魔物が溢れ返るようになってからようやく依頼を出したにも関わらず、報酬は雀の涙ほど。


 己の責任を蔑ろにした上、どのクランも渋い顔をするだろう危険に見合わない額の報酬。

 <黒水晶>の面々が依頼人を悪し様に言うのは、当然のことだった。


「……だけど、新領主が無能だったからこそ、この城に入れる。皆には付き合ってもらっちゃって悪いけど、よろしく頼むよ」

「また水臭い言い方すんなあ、俺らのリーダーは」

「領主は悪くても、領民に被害を出すのはあかんからな」

「ええ、いずれにせよ、魔物討伐は我々戦士の務めですから」


 仲間たちの心強い言葉に、ヴィゼは頭の下がる思いだった。

 今回の仕事を引き受けたのは、ヴィゼのわがままなのだ。

 礼の言葉は何度言っても足りないほどだったが、ヴィゼは感謝の言葉を呑み込んだ。

 水臭い、とまた言われてしまうことは明白だったから。


 ヴィゼは気持ちを切り替えるように、杖を持っていない方の手で眼鏡の位置を直した。


「――それじゃ、行こうか。実際に中を見てみないとね」


 リーダーの言葉に、メンバーたちはそれぞれ頷く。


「昨日までに話した通り、今日のところは無理はなし。全員無事で、ある程度情報が掴めれば上々ってことで」


 依頼について詳しい話を聞いた時点で、簡単に終わらせられるものではないと、彼らは覚悟していた。

 今日は討伐のための偵察、と思って来たのである。

 もちろん城に入ってそのまま魔物を掃討できれば良いが、このメンバーでもさすがに難しかろう、とヴィゼは決して楽天的には考えず、城門に向かって足を進めたのだった。




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