小話: 灰色狼のロール
私は異性としての男子が好きじゃない。いっそ嫌いと言ってもいいくらいだけれど、さすがにそう言い切ってしまうと問題がありそうなので言わないでいる。ただ、性別を抜きにして考えたときには男子でも女子でも隔てなく「この人はいい人なんだな」と感じる人に出会うことがある。苗田くんは、そんな珍しい「いい人」のひとりだ。
ある放課後、私と修威ちゃん、そして苗田くんの3人で学生寮の近くにあるカラオケ店へ行った。はっきり言って、どうしてそんなことになったのかよく分からない。ただたまたま3人共学校に携帯型ゲーム機を持ち込んでいて、たまたま同じソフトをプレイしていて、たまたまそれが発覚したのでじゃあどこかで遊ぼうということになった。それだけだ。苗田くんは私がゲームをすることを意外に思ったようだけれど、私は読書だけでなくゲームだって好きだ。要は休日に部屋に入り浸ってできることが好きだ。
せっかくカラオケ店に来たのだから、とひとまずゲーム機を横に置いてそれぞれ適当に歌うことにする。修威ちゃんは学校では静かにしていることが多い……というよりほとんど眠っているのだけれど、こうやって遊びに出掛けると案外テンションが高い。そして歌い始めると妙にノリノリになる。見た目も男の子っぽい修威ちゃんは男性ボーカルの曲を好んで歌う。歌声は大きくてリズムに乗っているせいか、なかなか様になっている。私はよく聴く女性ボーカルの歌を無難に歌っていく。
苗田くんはそんな私達の横で少し居心地悪そうにしながら、それでも歌いたい曲を選んでいる。モニターに表示されたのは私の知らない曲名だった。この人はどんな歌を歌うんだろう。
私が初めて苗田くんを見掛けたのは入学式の日だった。
何しろあの灰色の髪はとても目立つ。七山先輩の淡い色の髪も相当目立つと思うけれど、苗田くんは色に加えて背も高いものだから、並ぶ新入生の群れの中で灰色の頭だけがにょっきりと飛び出していた。第一印象ははっきり言ってしまえばとても悪く、耳に並んだ銀色のピアスやどうお世辞を捻り出そうとしてもせいぜい「ヤンキーもびびって道を空けそうですね!」くらいしか思いつかないような目つきの悪さがどうしても嫌悪感を抱かせた。一見するとまるで群れからはぐれてお腹を空かせた狼みたいだった。
それがこうやって一緒に遊びに出掛けるのが嫌でない程度には仲良くなれたのだから不思議なものだ。
修威ちゃんがジュースの飲みすぎでトイレに立った隙に私は苗田くんに話し掛けてみる。
「苗田くん、歌巧いね」
実際、苗田くんは驚くくらいに歌が巧かった。難しい曲も安定して歌いこなすし、鋭い目を細めて灰色の髪をそっと揺らしながら伸ばす高音がまるでどこかのアーティストのように見えなくもない。動画に撮って投稿したら意外と閲覧数を稼げるんじゃないかと思ったくらいだ。
けれど本人はきっとそういうのは固く拒否するんだろう。私に話し掛けられたくらいで一瞬びくりとしたのを見逃せない。そんなだから修威ちゃんにからかわれるんだよ。
「おう……そうか?」
あら、照れてる。
「大和瀬も、高音綺麗でよかった」
おや、ありがとう。
「明園はあれ、地声でかいので得してるな」
修威ちゃんのことを話題にするときの苗田くんは少しだけリラックスしている。多分修威ちゃんが他人のあれこれを気にするタイプじゃないことをもうよく知っているからだろう。それは修威ちゃんのいいところでもあるけれど、悪いところでもある。他人のあれこれを気にしないのはいいけれど、気遣わなすぎるのはちょっといただけない。現に苗田くんは気にしている頭の上の小さなハゲをあだ名にまでされて可哀想なことになっている。本人もそろそろ諦めて……というか慣れてしまっているみたい。
「苗田くん」
「お、おう?」
呼んだだけでどうしてびっくりするの。
「何だ」
「修威ちゃんが失礼なこと言ったら怒っていいんだよ」
余計なことかもしれないけれど。
私は苗田くんが修威ちゃんに何かを言われて真剣に怒ったところを見たことがない。文句は言っているけれど、そして時々涙目になっているけれど、苗田くんは怒っていない。最後には諦めたような顔で、でも少しだけ笑って修威ちゃんを許している。
「大和瀬は明園を叱るのか」
「私は修威ちゃんの保護者じゃないよ」
周りからは時々そんな目で見られているけれど。
「修威ちゃんを叱っても仕方ないから」
「そう言ってやるなよ……ありゃあああいう性分なんだろ」
「あれ? フォローするの。被害に遭っているのは苗田くんなのに」
「いや、まあ……そうか」
あまり自覚はなかったらしい。言われて初めてそうだと気付いた様子の苗田くんは灰色の髪に片手を差し込んで少し考える素振りを見せた。
「あいつ、悪気がねぇのはそのまま伝わってくるから」
小さな溜め息と一緒に言葉を吐き出した苗田くんはいつもより少しだけ柔らかく笑った。そういうことか、と私も少しだけ納得する。苗田くんは修威ちゃんに似ていて、でも修威ちゃんとは違って自分が「そう」であることをよく分かっているみたい。
2人は他人の意識にひどく敏感だ。修威ちゃんは自分がそういう気質だっていうことに気付いていないか、気付かないふりをすることが癖になっている。でも苗田くんはそういう自分を受け容れている。感受性が強いということは時々人を不幸にする。周りから向けられるちょっとの悪意までいちいち丁寧に受け取っていたら身が持たないのは当たり前。
私はそういうのはきっぱりとスルーすることにしている。でもできないのが修威ちゃんや苗田くんで、それなのにスルーしているつもりでいる修威ちゃんと違って苗田くんは受け取ってしまうことに慣れている。だから修威ちゃんの悪意のない、それでいて面倒くさいあの性格も案外悪くないと思っているのかもしれない。
「うおー、ただーいまー」
修威ちゃんが戻ってきた。この子、ちゃんと手とか洗っているんだろうか。たまに心配になる。何て言うか、ずぼらなところが多いから。というかずぼらなところしかないから。
「おー? ワンコ、なんか顔赤くねぇ? さては真奈貴ちゃんを口説いていたな貴様ー!」
「お前なんだよそのテンション。酔っぱらったオヤジか」
「うけっけ! 噛み付くとこを見るとマジか! やるなワンコ!」
「ワンコって呼ぶんじゃねぇ!」
「密室のカラオケ! 2人きりの男女! そうか、俺が悪い! 盛りのついたワンコと真奈貴ちゃんを2人っきりにするなんて俺はなんてことをしたんだ! ああ!」
「ああ! じゃねぇ! なんだその微妙に古臭くてよく分からない煽り文句は!」
そして始まる楽しそうな言い合い。修威ちゃんも気付けばいいのに。
悪意に鈍感になったら、きっと好意にも同じように鈍くなる。苗田くんはそのことも知っているんだろう。でも修威ちゃんは。
「大和瀬」
帰り道、別れ際に小さな声で苗田くんが私を呼んだ。
「気にしてくれてありがとうな」
そんな小さなことでお礼を言ってしまうくらいいい人な苗田舟雪くん。苦労すると思うけどきっとその性分は美徳だから……まあ、程々に頑張ってね?
執筆日2015/02/22