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小話: 魔法教諭のロール

 コーヒー飲みますか。そんなのんびりした声に振り返ると、まだ年若い魔法理論の教師がポットとマグカップを手に俺の方を見ていた。がらんとした職員室の中でそいつの穏やかな表情はどこか浮いて見える。

「おお、もらうもらう。ごちそうさん」

「インスタントですけどね。ねぇ先生、職員室にせめてコーヒーメーカーくらい置きましょうよ」

「そりゃあ教頭にでも言ってくれ。ああ、宿直室にはあるんじゃなかったかね?」

「遠いんですよ、宿直室。校舎の端の端じゃないですか」

 物怖じしない若者だ、と俺はそいつの動く姿を見るともなしに見ながら思う。確かまだ30歳に達していないはずだが、その動作には奇妙なほどに焦りや当惑といったものが見られない。老成している、と言ってもいいのだろう。あるいは何かを決定的に諦めているのか。

 若い時分、人は色々と迷う。自分は何をすべきなのか、自分に何ができるのか。高望みをして背伸びして、壁に当たって砕けてはそれでもえいやと立ち上がってみせたりする。そんなことを繰り返しているうちにだんだんと自分の身の丈に合った生き方へと落ち着いていくものだ。穏やかに過ぎる毎日の底流には諦観がある。

 俺は試しに聞いてみることにした。

武野澤(たけのさわ)先生。先生はこのまま教師を続けるつもり?」

 え、とそいつは一瞬だけ笑顔を消した。ほほう?

「何ですか、藪から棒に。あ、もしかして残業で嫌気差してるんですか」

 俺の質問には答えず、そいつはインスタントのコーヒーを苦いままで口に含む。そいつの机の上に広がっているのは今日の課外授業で集めた各生徒の魔法と戦闘のデータで、おそらくそいつが向き合っているディスプレイにも同じような内容のものが表示されているのだろう。俺のも同じだ。

「悪いとは思っているんですよ。大和瀬(やまとぜ)先生にはいつも手伝ってもらって」

「手伝うっていうかな、これは俺の責任分野でもあるんでね」

「魔法教諭の免許もお持ちなんですよね」

「ああ」

 どうあっても答えないという意思が見て取れたから、俺は敢えて知らないふりで会話を続ける。生徒達のデータを処理する作業そのものは単調だが、数が多い。それを明日の1時間目までにまとめて講評まで考えなくてはならないのだから、課外授業の後は大変だ。魔法理論の教師は他にもいるが、何故かこいつが一番遅くまで熱心に仕事に取り組んでいる。なら、それに付き合うことで多少なりと労ってやろうという気にもなる。

「大和瀬先生はどうして養護教諭をやっていらっしゃるんですか」

「教室を担当しなくていいからだな」

「即答でそれですか」

「俺はどっちかってぇと学校全部を見ていたいのよ。だから課外授業の講評だけ顔を出すようなお邪魔な真似をしているわけ。ああ、もし本当に邪魔なら遠慮なく言ってちょうだいね」

「まさか。ただ少し気になったんです」

「うん?」

 そいつの手が止まる。真面目で生徒からも人気のある気のいい魔法理論教諭の顔が消えて、まるで何の役割も持っていないいち人間というだけのような表情がそこに残る。

「あなたみたいな方がどうしてこの学校で教師なんてやっているのか、って」

 挑む顔が見える。普段のそいつが絶対に見せない、ぎらりとした瞳が俺を見ている。そうか、と俺はやっと納得した。なるほど、そういうことなら面白い。そして少しばかり哀れなことだ。

「魔法教諭をやっているだけあるってこと、ね」

「……どうなんでしょうね。僕個人の魔法なんて大したことないですよ」

「そういやおたく、属性は?」

「“千里眼”です」

 昔から目は良かったんです、とそいつは溜め息混じりに言った。それが10年前から本当に何でも見えるようになっちゃって。

「ほーう、魔法の時間以外でも?」

「感度は全然違いますけど、見えますね」

「あれま。そりゃあしんどいわね」

「慣れればどうってことないんです。ただ」

 カタカタ、とそいつの手が作業に戻る。けれどもその表情はまだそいつ本人の素のままで、魔法教諭のそれには戻っていない。

「みんな、これから魔法と一緒に生きていくのってどうなんでしょうね」

 そいつの目に何がどこまで見えているのか、俺には分からない。俺も所詮はしがない魔法教諭に過ぎないわけで、武野澤泰地(たけのさわたいじ)が想像しているほどすごいわけじゃあないのだ。

「そりゃあ、きっとおたくとおんなじよ」

「え?」

「おたくが魔法教諭って役割を持って、それを頑張ってこなしているように。今学生やっている子達もそれぞれに役割を持って世界で生きていくのよ。そこに魔法がどう関わってくるかも、それぞれのことでしょう。魔法は別に特殊な能力ってわけじゃないし、他の科目とおんなじ。嫌なら逃げていいのよ」

 数字が苦手、語学が苦手、暗記物が苦手、そういうものは本当に人それぞれで、学生もその段階を終えた人間も誰もが得手不得手を持って生きている。そこから逃げるか、挑むかもそいつ次第だ。そういう意味じゃこいつは不器用なのかもしれない。それとも。

「武野澤先生。先生はこの先も魔法教諭って役割を続けるつもり?」

 尋ねると、今度は間髪入れずに答えが返ってきた。

「はい」

 俺のことをひたと見据えるその目は鋭い。こういう人間がいるからここは面白いのだと、俺は思っても言わない。無理はしなさんな、と言って俺はそいつに向かって飴玉を1個、放った。


 苦いコーヒーに顔色ひとつ変えないでいられる強靭さはすごいと思うけれど、そういうのばかりじゃ疲れるもんよ。魔法教諭の役割、全うしたいなら無理は禁物。

 笑う俺に、そいつはまた仮面をかぶり直して「ありがとうございます」と穏やかに言ってのけた。

執筆日2014/12/11

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