物語の始まりが終わりだってことがあるんです。
魔界。人ならざる者が蔓延り、深淵から真紅の舌を垂らし淫らに人間を誘う阿鼻叫喚禁断の園。柘榴が滴り林檎を飾り、黒い蝋燭と十字架を蹴飛ばす黒山羊。つまり、邪悪という言葉をそのまま表現したような、陰鬱とした場所である。
その中で俺は魔王の忠臣……の部下の部下に当たる人の兵をしている、所謂モブだ。ほら、何か意味も無くふっ飛ばされたり、蹴り上げられたりするあの役だよ。それはともかく、画面の端っこによくいる小虫みたいな俺は、今日もひたすら違う意味で魔界な大量の書類を整理しながらも出世の為黒魔術の鍛錬をしていた。来週は試験だから明日から連休が入ると思うと体が軽くなると同時に心に不安がのしかかる。
「はあ……」
「どうしたよ、えーと」
「太郎だよ」
「そうそう、ごめんな」
溜息を吐く俺の隣に自慢の黒い翼をはためかせながら現れたのは、虹色の髪をした堕天使、もとい俺の幼馴染、もといイケメンだ。偶蹄目のくせに、夢魔達からモテるし出世はするしで名前は悪魔っぽいわで嫁さんも人間を含めると三桁はいく俺のライバルと言うにもおこがましい勝ち組だ。
それに比べて俺は東洋旅行から帰界してきた後の母親の産後ハイで太郎という口にするだけでもおぞましい凡庸平凡な名前になってしまったし、独身でモテないし容姿はそもそも破綻している。男、と墨で達筆に書かれた布で頭をすっぽり覆い隠したスーツの身長だけ高い男なんて悪魔でさえドン引きするだろう、だが素顔はもっとアレだからそこは察してほしい。
「で、どうしたんだ、太郎?来週は出世の為の試験だ、何でそんな落ち込んでるんだ?」
「別に落ち込んじゃいないさ、勉強と仕事疲れだよ。それに俺みたいな三流悪魔はどうせお前みたいな魔王の側近にはなれねえし」
幼馴染は小奇麗な顔をムッと険しくすると、いきなり俺に黒魔術の仕方やら道具やらが詳しく書かれた貴重な書物を押し付けてきた。ページが厚いそれは重く、俺は本を俺達が座っていた巨大な岩の下に広がる血の海に落とさないように慌てて持ったのでバランスを崩してつんのめってしまった。
「お前ッ!!何してんだよッ!?」
「太郎、それお前にやるから死ぬ気で勉強しろ」
「え……でもこれは上級の悪魔しか手に入れられない……」
俺が反応し終える前に突風を巻き起こしながら幼馴染は羽ばたいていってしまった。怒らせてしまったのだろうか。表情を曇らせながらも、俺は懐に重量を伝わせる本に目をやった。どうしようか。読んでしまおうか。これを読めば、試験に必ず合格できて、魔王の側近になれるだろう。そしたら、母親も父親もきっと喜ぶだろう。でもこの本は本来試験前の下級悪魔が閲覧することを禁止された物。罪悪感がこみ上げる。だが、好奇心には勝てず、目次だけでも、と漆黒のページを捲る。
「!?」
瞬間、脳内が知識で満たされた。黒魔術に使う記号やら道具やら何やら全てが知識として頭を占領した。途端、とてつもない万能感に襲われ、自然と笑みが零れた。当然、顔を隠す布のせいでそれは見えなかったが。
「はははははは!!」
俺はまだ知らなかった。これが、始まりじゃなくて終わりだったなんて。