5 魔導師、大いに困惑する。
「エリー、その魔人から離れなさい!」
先輩は起き上がると、怖い顔をして私に言ってくる。
「あっ、先輩、大丈夫ですか。ケガとかは……ないみたいですね。えーと、この人はカゲヒサさんといってヒューマンのようですよ。ちょっと、変なこと言ってますが、危ない人じゃないみたいです」
「そんなはずないわよ。召喚といったら普通は魔獣や魔物でしょ。人を呼び出した話など、聞いたことないわよ。それに、私は身体強化の魔法を使ってたのよ。魔法を使った形跡もないのに、剣を奪われた時も、何故だか分からないし、私の攻撃もあっさりと……ヒューマンのはずないわ!」
私は先輩の剣幕に思わず後ずさってしまった。
先輩、ちょっと怖いです。髪の毛や顔にこびりついた血が固まり、壮絶なことになってますよ。せっかくの美人さんが台無しです。
うー、でもこの人カゲヒサさんからは、あまり悪い感情は伝わってこないのよね。確かに、どこか殺伐とした雰囲気はあるけど。
どちらかといえば、暖かい優しげな……気のせいかしら。
『えーと、カゲヒサさん。こちらは、私の先輩でマリアンヌ・ガーネットさんです。先輩がカゲヒサさんは魔物だと言うのだけれども、あなたは本当に人なのですか』
『何をもって魔物と申されるか。それがしは、先ほども申したように見ての通り人であるが』
カゲヒサさんが困ったような表情をする。
こうして改めてみると、戦っている時は鬼のように見えたけど、普段の顔は以外と可愛らしいかも。
それほど整った顔じゃないけど、太い眉に少し垂れ下がった目尻はどこか愛敬があるわね。
うぷぷ、あの妙ちくりんな髪形と、戦ってる時との落差に思わず笑いそうになる。
違うのよカゲヒサさん、これはさっきまでの争いの緊張が緩んだ反動で……うぷぷぷ。
『えーとですね。先輩が言うには、魔法も使っていないのに魔法のように剣を奪ったり、強化魔法を使ってる先輩をあっさりと制したり人では出来ないと』
『ふむ、魔法とは、そなたらが使う秘術の事じゃな。かの家康公も、それがしの業前を御覧になられると、“飯綱使い(いづなつかい)よ”と申されたが、外つ国に於いても同じ様に……それがしにとっては簡単な事なのじゃが』
カゲヒサさんはよく難しい事ばかり言うわね。もっと分かりやすく喋れないのかしら。
『簡単って魔法も使わずどうやってるの』
『ふむ、そなたらは弟子ではないが、特別に教えて進ぜよう。そもそも武芸の道とは、心技体を三位一体となし昇華させるものなり。そなたらは、秘術など技は突出しておるようじゃが、残りの二つ、心体は未熟なようじゃな。武芸に於いては技前もまた大事なことなり。虚実の駆け引きや、相手の拍子や呼吸を計り、進退を行う事が肝要じゃ。そして、相手の動きを我が心に写して無念夢想にて進退を行う。これが我が剣の妙諦であり、我が流儀の極意“夢想剣”なり』
うひゃー、更に難しい事を言ってるよ。私にはさっぱり、ちんぷんかんぷんです。
『あのぅ、もう少し分かりやすくお願いします』
『ふーむ……ならば、先ほどのその娘御の剣を奪った時のことじゃが、それがしは、その娘御がエリィさんに一瞬視線を反らした虚をつき近付いたのじゃ。その際、呼吸を合わせて拍子を盗み気配を絶つ。後は掴んだ手首を捻り剣を奪うのみ。その娘御には、何をされたのか分からなかったのであろう。更にその娘御の拳撃や蹴りじゃが、確かに恐るべき速さであるが、人の動きは関節など逆に動くわけなどなく、動きは限られておる。構えを見、肩や足など全体を見て、事の起こりを見定めれば、ある程度の予測もできるものじゃ。それにその娘御は何とも素直なもので、常に次に攻撃を加えようとする箇所に視線を先に送っておる。それがしにとっては、赤子の手を捻るようなものじゃて。お分かりかなエリィさん』
おおっ、今の説明でもよく分からないところはあったけど、何となく言ってることは分かった。
カゲヒサさんはかなりの年月を修練に費やした剣士なんだわ。見た目は若いけどもしかすると、結構な年齢なのかも。
そういえば召喚した魔物は、全盛期の能力で召喚されると習ったけど、人の場合はどうなるのだろう。
人が召喚された事など今までなかったからわからないわね。
もしかして、若返ってる?
取り敢えず私は、先輩に今聞いた事を説明してみると、先輩は妙な顔をしている。
私の下手な説明でちゃんと分かったか、ちょっと不安です。
悔しそうな顔でカゲヒサさんを睨んでいます。
私が先輩に声を掛けようとした時に、周りにいた商隊の人の中から小太りの人が進み出てきた。
今気がついたけどいつのまにか、皆の注目を集めてたみたいですね。ちょっと恥ずかしいかも……皆はカゲヒサさんに興味があるみたい。
そりゃそうだわね。いきなり現れて盗賊達を退治したのだから。
「ガーネット様、お取り込みの最中に申し訳ありませんが、また盗賊の襲撃があるかも知れませんので、取り急ぎこの場を離れたいのですが」
先輩に話しかけたこの人は確か、商隊のリーダーでドーンズさんだったかな。
出発する時の顔合わせで頭を下げて挨拶しただけで、話をした事は無いのだけれど。
といっても人見知りの激しい私は、先輩のパーティーの人達ともまともに話をしてないけどね。
そういえば、不思議なことに、カゲヒサさんとは普通に話をしているわ。これはやっぱり召喚のおかげ? 魔力で今も繋がってるおかげだからなのかしら。
「そうですね。相手があの“草原の狼”なら直ぐにも次の襲撃があるかも知れません。もうすぐ夜になりますが、幸いにも雲ひとつないようす。夜に馬車を走らせるのは少々危険ですが、これなら月明かりの下何とかなるでしょう」
先輩は答えながらドーンズさんを伴って、私達から少し離れた所で話し出す。
そのせいで二人の話は聞こえないけど、しきりにドーンズさんが頭を下げている。
先輩はギルドに登録してる冒険者だけど、アレス王国の伯爵の末娘だからドーンズさんは恐縮してるみたいね。
しかし先輩は、どうして冒険者になったのだろう。何不自由のない貴族の生活を捨てて、いつも不思議でしかたない。
時々、先輩とドーンズさんがこちらを振り向き何やら話をしている。
多分カゲヒサさんの事なのだろう。先輩はどんな説明をしてるのかしらね。
カゲヒサさんは私の横で、あちこちを珍しそうに眺めている。
暫くすると、先輩がもどってきた。
「エリー、今すぐに出発することになったわ。行き先は……本来は寄る予定はなかったのだけど、ここから一番近い都市、城塞都市アレクサンドリよ。夜を徹しての強行軍になるけど、大丈夫ねエリー」
「あっ、はい。わかりました」
商隊は慌ただしく出発することになった。
*
私達は陽も落ちた後も、城塞都市アレクサンドリに向かって走り続けた。
先輩達護衛は何人かの人は残念な事に亡くなっていたが、残りの人は先輩も含め騎乗して馬車の周りをかため走っている。
私はというとカゲヒサさんと一緒に馬車の中、私は馬に乗れないから……申し訳ないです。
学園では一応乗馬も習ったけど……みそっかすだったからね。
『エリィさん、あのマリアンヌと申す娘御はエリィさんを主かのように守っておりましたが、家臣か何かなのでござるかな』
少し物思いに耽っていた私にカゲヒサさんが話しかけてきた。
あれ、なぜ先輩の名前はちゃんと言えるのに、私の名前は言えないのよ。
私はわたわたと慌てて手を振りつつ答える。
『えっ、えっ、えー! 先輩が家臣だなんでとんでもない。先輩は貴族なのでむしろ逆です。魔法学園での先輩なのです。学園には兄弟制度、姉妹制度というのがあって、上級生が下級生の面倒をみる制度なんです。私の面倒を見てくれたのが先輩なんですよ。その時から私の事を妹のように可愛がってくれて』
そして、カゲヒサさんに学園の事などを、出来るだけ詳しく語って聞かせた。
『ほほぅ、秘術を教えるそのような場所があるのでござるか。道場のような場所なのでござるな。差し詰めマリアンヌどのは姉弟子といったところですかな』
そう先輩は学園に入学した時からの付き合い。
いつも、私を庇い優しく守ってくれる。
エルフの里ではいつも一人ぼっちだった私。
どういった理由か、母は身重の体でひとり里に帰ってきた。
そして私を産むと、間もなくこの世を去った。
エルフは元々出産率も低い、そのためなのか他の種族とは血が混じらない。ましてやヒューマンとは決して混じらない。なのに私は産まれた。
母の死はその無理が祟ったのだろう。
果たして母は幸せだったのだろうか。私が産まれなかったら……私はいつも考えてしまう。
父のことはヒューマンとだけ、それ以外は知らない。
私はヒューマンとのハーフ。里の皆はどこかよそよそしい。
私の祖父は族長だから皆は面と向かって言わないけれど、陰では色々言われているのを私は知っている。
私は里ではいつも一人ぼっち。暗く淋しい里から脱け出すために私は魔法学園に入学した。
どこか暗く陰気だった私を先輩は根気よく接してくれた。
先輩のお陰で私は明るくなれた。先輩には感謝してもしきれないほど感謝している。私にとっては本当に姉のような存在。
『ところでエリィさんは何故、それがしを呼ばれたのであろうか』
ガタゴトと揺れる馬車の中で、昔のように暗い考えに埋没しかけていた私を、カゲヒサさんの声が私を現実に引き戻す。
それと同時に暖かな物が、カゲヒサさんから流れ込んでくる。
ふとカゲヒサさんを見ると、優しげな眼差しを向けてきた。
私がよほど暗い顔をしていたのかも知れない。
この人もきっと先輩と同じく私の味方になってくれる。私は強く感じた。
私はにっこりと笑って答える。
『えーとですね。間違えてカゲヒサさんを呼んだみたい。ごめんね、エヘッ』
カゲヒサさんが絶句する中、外から「着いたぞ」と喜びの声が響いた。
どうやら商隊はアレクサンドリに、無事に到着したようだった。