4 剣豪、異世界の娘を手玉にとる。
景久は足を止めると、逃走する盗賊達を油断なく眺め、それと同時に辺りを見渡す。
遠くに見える山並みに後少しで陽も沈む夕暮れ時、草花や樹木が橙色に染まり、吹き抜ける風に揺れている。
うーむ、見たこともない草花であるな。あの樹木にいたっては、両手を広げても届かぬ巨大な葉が繁っておる。
それにこの匂い。
風に運ばれてくる匂いには、辺りに立ち込める血臭に混じって微かに甘い匂いがある。
草花の匂いなのであろう。しかし今まで嗅いだこともない匂い。
そして、周りに転がる盗賊達の何かの革で編んだ奇妙な着物を眺める。
どうもそれがしは、異国に連れてこられたようであるな。これが、話に聞く神隠しというものなのであろう。
古来より、我が国には天狗の国に行っただの、海の底にある城に行っただとか、枚挙に遑がないほど話はあるが、我が身に降りかかるとはな。
景久は周りを眺めた後、南蛮の箱車に向かって歩み始めた。
しかし、先ほどの頭に響く声といい、若返った我が身とこの太刀も……まったくもって不思議なものじゃ。修験道や心法を修めた者は不思議な術を操ると聞くが……。
それがしも、まだまだこの世で知らぬ事が多いということだな。修行が足りんのうぉ。
それにしても、あの南蛮娘は見目麗しき娘御であったが、確かエリと申したな。
あの時、ハーフ? といった言葉と共に、何やら寂しげな悲しき思いも伝わってきたが、何となくであるが意味もわかる。
確か、上方や長崎辺りには、唐人や南蛮人の血の混じった者を幾人か見かけると聞くが、押し並べて迫害に遇うと聞く。あの娘御もその類いであろう。
まだ年若い娘御であるが、人の醜い姿をその瞳に映してきたのかも知れぬな。
おっといかん。まだ年若い娘御とはいえ、剣者が女子に気を許してはならぬ。
景久には嘗て、若かりし日に苦い思いをした事があった。
景久には心より愛した女性がいた。だが、その女性は金のために景久を裏切った。
その当時、景久に敵対する者に雇われた刺客を寝所に招き入れたのだ。
臥所を共にしていた女性 が景久にしがみつき、その隙に四人の刺客が襲い掛かってきた。
何とか女性を振りほどき、とっさに吊るされていた蚊帳を切って落とすと、その虚に四人の刺客を斬って捨てた。
その時編み出したのが秘太刀“払捨刀”であった。
そして愛する女性もその時、手に持つ太刀で……。
「何故あの時……」
ちらりと浮かんだ思いを頭の片隅に追いやると、景久は苦笑を浮かべる。
そんな事を考えている間に、南蛮娘達の前までやってきていた。
目の前には二人の娘御が立っている。
ひとりはエリと名乗った赤い髪をした娘御であり、もうひとりは金色の髪を血に染めた娘御であるが、その娘御はエリを庇うように前に出ると、油断なく警戒の目をそれがしに向けてくる。
ふむ、そこそこに使えそうだが、何とも隙だらけじゃな。
近付いていくと、赤髪の娘は顔をひきつらせる。そして、金髪の娘は威嚇するように剣を向ける。
それはちと失礼ではないのかのう。確かにそれがしの形は、返り血で酷い有り様じゃが、剣を向けることはなかろう。
仮にもそれがしは盗賊の襲撃から、そなたらを助けたではないか。
景久は何気なく、すっと金髪の娘に近寄り手首を掴むと、小手返しに捻り、あっさりと剣を奪い投げ捨てた。
金髪の娘は驚愕の表情を浮かべると、何か叫びながら拳と蹴りを繰り出してくる。
それは、目で追えない恐るべき速さであったが。
これは何とも凄まじき速さであるが、甘いのぉ。掌剣術の達者が放つ手裏剣に比べればさほどでもない。
むしろこの娘御の攻撃は読みやすいだけ楽じゃな。
景久はあっさりと躱し、金髪娘の懐に入り身に入ると腰に乗せ投げを打つ。
金髪娘はわめき声を上げて宙を舞った。
『ちょっ、ちょっと、何をやってるのよ二人共! 先輩も、カ、カゲヒサさんも何をいきなり争いになってるのよ』
エリと名乗った娘御がそれがしと、金髪の娘御の間に割って入った。
『それがしは剣の道を極めんとする者なり。それがしに剣を向ける者は、おのれもまた命を賭すと心得るべし。命があっただけでも有り難いと思いなされ』
『そんな難しいこと言われても解らないわよ。取り敢えずケンカは止めてください。それにあなたは魔物でしょう。剣を向けられても仕方ないわ』
エリと申した娘御が両手を前につきだし、力一杯振り回している。
何とも大袈裟な身振りの娘御じゃ。
『魔物と申されたか。それがしは、見ての通り人のつもりなのじゃが』
失礼な南蛮人じゃな。それがしを魔物呼ばわりするとは。
もしや、南蛮人は異国の者を魔物とでも思っておるのか。有り得るかも知れぬな。我が国の者も、南蛮人を赤鬼と混同する者がおるからの。
『えーと、人なの。ドワーフにも見えないし、エルフってわけないわね。やっぱり先輩と同じヒューマン』
『それがしはヒューマンではない。景久じゃ』
またしてもヒューマン。それは何の事なのじゃ。
『えーと、人というのはエルフやドワーフあとヒューマンなど全ての種族を指す言葉なのだけど……カゲヒサさんはどこから来たのよ』
また妙な事を言いよる。それがしを連れてきたのはそちらではないのか。
『それがしは日の本におったのじゃが、おエリさんの秘術で連れてこられたのではないのか。それがしも尋ねたい。ここは何処なのじゃ』
『うーん、ヒノモトという国は聞いたことないわね。ここはイスタリア連邦と、アレス王国の国境の辺りよ』
それがしも聞いたことのない国名じゃが、いずれにしろ南蛮には違いあるまい。
『それとー、私の名前はオエリじゃないから。オは入らないし最後はエリーと伸ばすのよ』
おエリどのが口を尖らせて幼子のように言ってくる。
何とも、この娘は一体幾つなのじゃ。
しかし、親しき間柄でもないのに呼び捨てにするのはちと困るのう。
いや異国には異国の仕来たりがあるかも知れぬ。仕方あるまい。
『むむむ、エ、エリリィ……さんで良いで御座るかな』
『ちがーう、エリーよ。リーって伸ばすのよ』
むぅ、異国の言葉は難しいものじゃ
それがしと、エリィさんが話していると、少し気を失っていたのか、先ほどの金色の髪をした娘が起き上がってきた。
そして、それがしを指差し、エリィさんと何やら激しく言い合いを始めた。
やはり、エリィさんの言葉は何故かわかるが、金髪の娘の言葉はわからぬ。
ふと周りを見渡すと、エリィさんの仲間の南蛮人達が、遠巻きにこちらを眺めていた。
ふーむ、妙な事になったものじゃ。