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32 剣豪、異世界を楽しむ?

遅くなってすみません。


 南蛮においても、神社仏閣に類いする神域の朝は早い。まだ陽も昇らぬ未明の刻限。何処からとも知れぬ祝詞のりとを読み上げる声に、それがしは目を覚ます。


 久し振りに宿坊に泊まったが、この異国の地でも、神仏に仕える者達の朝は早いとみえる。


 それがしたち――エリィさんとマリアンヌどのを含めた三人は、パルノン大神殿とか申すやしろに付随する宿坊にて、寝泊まりしておった。あの獣人? 親子との騒ぎから数日。いよいよ、明日から武闘会なるものが開催される。

 その事を思うと、心昂り血湧き肉躍るとはまさにこの事じゃ。此度の大会には去年の覇者であるカークライトどのは勿論、巨人どのも、獣人どのも参加すると言う。特に獣人どのとは遺恨はござらぬが、先日の決着を是非とも着けたいものでござる。

 それ以外にも、此度の大会にはこれまでに無い程の、強き武人が集まっておると聞く。我が剣術が、異国の武人にどこまで通用するのか試す絶好の機会。この時に、この地に訪れたは、望外の幸せじゃて。

 某はまだ見ぬ強敵を想像し、更に心を昂らせる。

 そのような事を考えていると、ますます目が冴え眠れぬようになってしもうた。ふむ、これではまるで童子の如くにござるな。エリィさんやカイルの小童こわっぱを笑うことも出来ぬ。


 少々、起きる時刻にはまだ早いが――それがしは苦笑いを浮かべ、寝具の上に座り直す。

 両足を両腿の上に乗せ結跏趺坐けっかふざに組むと、座禅へと入る。思いも掛けず若返った事に心は落ち着かず、そのための精神修養も兼ねておるが――それよりも、ちと気になる事がひとつござる。

 気息を整え、丹田に気を練り込む。その気を尾てい骨へと廻し、背骨に沿って頭頂部へと押し上げる。

 これは、若き頃に深山に籠り修業した折り、出会った山人より教えられた『小周天』の行法。

 練り上げた気を体内で一周させ、身体を活性化させるのじゃが……。


 ――やはり、これは……。


 練り上げた気が、かつてないほどの熱を持ち荒れ狂う。頭頂付近で強まった気が、渦巻き蠢く。気の圧力を無理矢理押さえ込み、ゆっくりと眉間から胸へ、最後にはまた丹田へと廻していく。


 ふむ、やはりな。

 若い頃も、これほどの気を感じた事はござらなんだ。この地に招かれてから、若き頃の数倍……否、それ以上に、某の身体は活性化しておる。それが、日を追う事に増して参る。最初は、ただ単に増した力に喜んでおったが、ここ数日の気の高まりと活性化は異常じゃ。

 この地に招かれてからの出来事を頭の中で追ってみると、異国の秘術の数々に妖魔の討伐に、果ては神仏まで関わってくる始末。まるで神話の世界に迷い込んだかに思えて参る。それらが関係しておるのか?

 一抹の不安を覚え、某は首を振る。

 ん、いかんいかん。

 今は考えても栓なき事。

 先ずは、明日から始まる大会に意識を集中せねば。と、思うそばから、今度は何故か、エリィさんの面影が浮かんでまいる。

 むむむ、これは更にいかん。


 結局、某はそれから半刻(約一時間)あまり煩悩に支配される事となり、座禅を終える頃にはじっとりと汗ばみ疲れ果ててしもうた。


     ◆


『それで、マリアンヌどのは如何いかがしたのでござるのかな?』


『それが、先輩も今日は忙しいって』


『ふむ、そうであるか』


 それがしとエリィさんの二人は午前の鍛練が終った後、昼からシャラームの町へと繰り出しておった。

 たまには、息抜きも必要でござるからな。


『カイルくんも、今日は用事があるって』


 いつも我らにへばり付いておったあの小童こわっぱも、珍しく今日は姿を見せぬ。何をしておるのやら……。


『こうして、カゲヒサさんと二人っきりで歩くのも久し振りね』


『ふむ、そうじゃな。アレクサンドリの町以来かのぉ』


 アレクサンドリの町では、二人で歩くと周囲から珍奇な目で見られると恥ずかしがっておったが……今は、それほど気にならぬらしい。エリィさんも、随分と成長したものじゃ。

 そんな事を思いながらエリィさんに視線を向けると、真っ直ぐ見詰め返して来る。それが、何とも照れ臭く視線を外してしもうた。今朝の事もあったからじゃ。

 そんなそれがしを見て、エリィさんが鈴の音を鳴らすようにコロコロと笑う。まるで、某の心の動きが分かるかのようじゃな。

 むぅ、これだから女子おなごは……いや、エリィさんも侮れぬ。しかし、それで悪い気がせぬのも事実じゃ。剣に生きようと考える某には、困ったものでもあるが……。


『あっ、あれも美味しそう!』


 素っ頓狂な声を上げ、某の袖を掴みグイグイと引っ張って行くエリィさん。道端の露店から、甘い匂いが漂ってまいる。

 甘味は苦手なのであるが――某が顔をしかめるのにも構わず、エリィさんは露店へと突貫して行く。

 まぁ、たまには良いじゃろ。

 エリィさんの弾けるような笑顔に、某はそんな事を考えておった。この時までは……。


 我が国でも寺社の境内では、参拝客目当ての露店などで賑わっておったが、それはこの地で変わらぬらしい。ここの町は聖地の上に建てられた町。常に、数多くの巡礼の者が訪れる。その上、明日からは武闘会が始まるのじゃ。町の中は人で溢れかえり、大した喧騒であった。それらの人相手の露店も、常以上の数が軒を連ねるのも道理。それがしはその事を失念しておったのじゃ。


『あれあれ、あれも可愛いかも!』


 エリィさんに引っ張り回され、既に二刻(約四時間)あまり。頭上にある陽も、西へと大きく傾いておった。当初の予定では、町中を散歩がてらに明日から開催される武闘会の会場を検分するつもりでおったが、この分では何時になるものやら。それにしても、エリィさんの何処にそれだけの活力があるのか不思議じゃ。某は、ほとほと疲れ果てておると申すのに……。


『あっ、カゲヒサさん!』


 またエリィさんが何かに興味を覚え、某を露店へと引っ張る。


『いや、エリィさん、もうそろそろ……』


『え、何?』


 それとなく苦情を申そうかと思うたが、嬉しそうな様子に言葉を濁してしまう。ため息をつき、今日はエリィさんの好きにさせるかと、それがしは覚悟を決めたのであった。


 向かった露店の店先。そこには緋色の敷布が被せられた台の上に、様々な小物が並べられておった。手鏡や色鮮やかな化粧箱など、主に女子おなご衆が歓びそうな小物ばかりである。その中で、エリィさんが興味を示し手に取ったのは、小さな木彫りの人形。

 それを見て、最初はそれがしたちに驚いた顔を向けておった店主が、台の向こうでにたりと笑う。


『……ふむ、それは何でござろうか』


『これは、スケープウッドといってね……』


 某の疑問に、エリィさんがにこやかに説明していたが、途中で店の主がにやにや笑って何やら申すと、エリィさんが頬をほんのりと朱に染める。


『……何で、ござるかな?』


 怪訝に思うて尋ねるが、慌てたエリィさんは、わたわたと手のひらを左右にうち振った。何やら店の主にからかわれたのでござろうか。


『な、何でもないわよ。そ、そうそう、これを買う事にしましょう』


『ん?』


 何故か、酷く狼狽ろうばいするエリィさん。そそくさと支払いを済ますと、木彫りの人形二つを手に取り、逃げるように店を後にする。


『これ、そう先に行く出ない。また、迷子になるでござるよ』


 小走りに先を行くエリィさんを追い掛けるそれがしに、背後から露店主の笑声が響いてまいった。いったい、何をからかわれたものやら……。



『……これはね……』


 頬を朱に染めたエリィさんは、しばらく無言で歩いておったが、急に立ち止まるとおもむろに話し出した。


『そうねぇ……あらゆる危難から私たちを守る護符のようなものかしら』


『……御守りでござるか』


『だからはい、ひとつはカゲヒサさんが、持っててね』


『ふむ……』


 エリィさんの態度が少々怪しいが、それほど悪い物でも無かろう。受け取った人形を、繁々と眺める。大きさは親指ほどの小さな人形。辛うじて分かる目鼻や手足。荒削りではあるが、どこか温かみと愛嬌がござる。

 おや、これは?

 人形の体にはいつの間にやら、文字が刻まれておった。未だ異国の文字が分からぬ某には、何が書かれてあるのかさっぱり分からぬ。祝詞のりとにつらなる、有りがたい御言葉でも書かれておるのであろうか。

 ふと、顔を上げると、エリィさんが悪戯っぽく笑っておった。


『なくしたら駄目よ。後でまた神殿に奉納するんだから』


『これをまた、返すのでござるか』


『スケープウッドは本来、聖樹イグドラの枝から作られるのが正式なの。まぁこれは、まがい物だと思うけどね』


『偽物?』


『そう、それでも私達エルフには特別な意味があるものだから……二人の願いがいつか……』


 うなじまで真っ赤に染めたエリィさんの言葉を、最後の方は聞き取る事が出来なんだ。


『ん?』


『な、なんでも無いわよ。取りあえず、大事にしとけば良いのよ!』 


『ふむ……』


『ほら、行くわよ!』


 頬を膨らませ口を尖らすエリィさん。突然、へそを曲げ出したのに困惑してしまう。それでもエリィさんは、某の手を離すこと無く、ぐいぐい引っ張り歩き出す始末じゃ。世間では女心と秋の空とよく申すが、全くもって分からぬものよ。理解不能、いや、理不尽な事この上なきものじゃ。


 その後も、エリィさんの露店巡りは続き、目的地の試合場に到着する頃には、すっかりと日が暮れ掛けておった。

 それにしても、今日のエリィさんは少々はしゃぎ過ぎじゃ。朝の鍛練の時は、暗い顔をしておったが……。その疑問はすぐに氷解する。エリィさんが試合を行う会場を、不安そうに見上げておったからじゃ。


 目の前にそびえ立つのは、夕陽を浴びて茜色に染まる無骨な建造物。ここは、コロッセウムと呼ばれておるそうな。方形に切り出された石を積み上げた壁。その石壁は緩やかな曲線を描き、遠くまで続いておった。石組を円形に積み上げた建物だそうじゃが、その全貌が分からぬほどの巨大さである。バルノン大神殿にも驚かされたが、ここもまた途方もない建物じゃな。


『エリィさんは、明日から始まる武闘会を恐れておるのかな?』


『…………』


 エリィさんの表情が強ばり歪む。

 やはりな。それ故に、あれだけはしゃぎ回り、無意識にこの地にまいるのを嫌がっておったのであろう。


『気が進まぬなら、止めておくのじゃな』


『……でも、セラスさんが……』


『他の者の事など、どうでも良い。要は、エリィさんがどうしたいかじゃ』


『…………』


『どうしても嫌であるなら、某も出場を見合せても良い。この地を今すぐ離れたいと申すなら、某も従おう……少し残念じゃが』


 ふむ、少しどころか、かなり残念ではあるが、それも致し方ない。異国の武人との試合には、心惹かれるのは確かであるが、また機会も訪れるであろう。それよりも、今はエリィさんの方が心配じゃて。

 エリィさんは、はっと顔を上げそれがしを見詰めるが、直ぐに視線を逸らす。しばらく、無言でコロッセウムを見詰めるエリィさん。風になびく真っ赤な髪は、夕陽を浴びて燃え盛るようであった。


『…………るわ』


『ん、何でござる?』


『私も、明日からの試合を頑張るわ!』


 今度はしっかりとそれがしを見詰め言い切る。


『良いのでござるか?』


『この試合で私の秘密も、運命も決まるとセラスさんが言ってた。だから……』


『ふむ……』


『もういい加減うんざりなのよ。私に秘密があるなら、全てを解き明かして前に進みたい。何かの運命が立ち塞がるなら、その運命を切り開きたい!』


『ほぅ、良い覚悟じゃ』


『だから、カゲヒサさんも……』


 某には、エリィさんの言いたい事が分かったのじゃ。良かろう。然れば、某も……。


『勿論、エリィさんにどこまでも従おう。立ち塞がるものは全て、某が斬り払って進ぜよう!』


『ふふ、ありがとうカゲヒサさん』


 そう言って、微笑むエリィさん。その笑顔は輝かんばかりであった。


『しかし、明日からの試合では、危なくなったら直ぐに降参すのじゃぞ』


『そうね、私の実力は私が一番わかってる。だから、危ないとおもったらそうするわ。でも、もしカゲヒサと当たったら手加減してよね』


『それは……』


 困った表情を浮かべる某を眺め、エリィさんがまた、鈴の音を鳴らすようにコロコロと笑う。

 どうやら、いつものエリィさんに戻ったようじゃ。


『あっ、カゲヒサさんあれを見て!』


 にこやかに笑っておったエリィさんだが、前方に何やら見付けて指を指す。

 このコロッセウムの周りには、某やエリィさん以外にも、沢山の見物客が詰め掛けておった。武闘会自体は明日からであるが、興奮した客が既に集まって来ておるのじゃ。その見物客の中に、それがしの見知った者の姿があった。


『ほぅ、あれはカイルの小童こわっぱではないか』


『そうよ。でもほら、横にいる子を見てよ』


『おぉ、あれは――』


 先日、某と争うた獣人どのの娘子ではあるまいか。

 そのカイルの小童こわっぱも、こちらに気付きたようじゃ。驚いた後に、ばつの悪そうな表情を浮かべておった。


『カイルく〜ん、今日は用事があると言ってたけど、何をしてるのかなぁ〜』


 エリィさんが、実に楽しそうに悪戯っぽい笑みを浮かべて、小童に近寄って行く。


『これ、エリィさん。邪魔をしたら悪かろう』


 某は慌ててエリィさんの後を追い掛ける。それにしても、先ほどまでとは打って変わったエリィさんの姿に、またしても困惑してしまう。本当に女心は……いやいや、エリィさんだけかも知れぬが、全く困ったものじゃて。某はそっとため息をつくのであった。


     ◆


 カイルを囲み大騒ぎをしている景久とエリーを、遠くから眺める人影がふたつ。ひとりはまだ年若い、端整な顔立ちに緑の頭髪も鮮やかなエルフの男性。もうひとりは全身をコートで隠し、目と口元のみが開いた真っ白な仮面を被る男。仮面の隙間から、銀色の長髪が垂れ下がる。


「あれが、俺の片割れか……」


 エルフの男性が、エリーを見て呟く。そして、景久へと視線を移し、目を細める。


「それであの男が、お前の仇か?」


 エルフの言葉に、仮面の男が微かに頷く。


「そうか、やつらが楽しんでいられるのも今だけだな、クックク」


 エルフの男性が笑みを浮かべる横で、仮面の男は怨讐の炎に瞳を輝かせていた。




 各地から集まる強者つわものたち。エリーを狙う異形の怪人たち。そしてまたここに、景久とエリーにとって、因縁浅からぬエルフと仮面の男も現れた。

 様々な思惑が渦巻く中、武闘会が始まろうとしていたのだ。


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