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閑話 ピエトロ・ストライドその熱き想い。


 私にとって貴族とは、民の模範となり常に善なる者として、民を教え導く指導者とあらねばならぬと考えている。それが、領地を持つ貴族となると尚更である。その領地のトップとなる領主が、邪なる者並びに愚鈍なる者なら、それだけで民は不幸となる。それだけ重い重責と義務を、貴族は担っているのだ。


 ――だが、かつての私はその愚鈍な貴族であった。


 神殿都市シャラームに向かう馬車の中、ふと視線を前に向ける。すると、ガーネット家の令嬢であり私の許嫁でもあるマリアンヌ嬢が、眉を険しくさせその顔を背けた。


 ――彼女にとって私は、まだ幼い頃の愚鈍な少年なままなのだろう。


 彼女とは親同士、ガーネット家とストライド家の家同士が取り交わした許嫁。現在の当主であるヘイゼル・ガーネット伯爵は、病床の陛下の善き相談相手としてその辣腕を振るっている。その性格は品行方正であり、一部の貴族からは煙たがられているようだが、全てに於いて平等な考え故に、民からは概ね頼られていると聞く。だからこそ、あの質実剛健を指針に掲げる父上とも気が合うようだった。

 その伯爵に、幼き頃より薫陶を受け育ったマリアンヌ嬢もまた、正義を体現した女性へと育ったようだ。まさしく、彼女こそ我が妻に相応しいと考える。


 ――だが……。


 あれは、何年前になるのか……。王都で主催される夜会で彼女と初めて出会った。それは、後に婚約するための顔合わせの意味合いもあったのだ。

 しかし、その当時の私は、貴族を鼻に掛けた少々愚劣な少年だった。今でこそ変わったが、当時はもっとも唾棄すべき貴族だったと思う。

 あの夜会の折りも、少々機嫌が悪かった事もあり、給仕を行う侍女が失態したのを見つけねちねちと叱責していた。それは些細な事であった。給仕中の果実酒がグラスから僅かに零れただけであった。それを、衣装を汚してもいないのに、我が衣服を汚したと難癖を付けていたのだ。

 その当時の私は、貴族とは選ばれた者であるという選民思想のもと、民は虐げる者であり、鬱屈や不満の捌け口ぐらいにしか考えていなかった。

 そこに、颯爽と現れたのがマリアンヌ嬢だった。侍女と私の間に入ると、勝手に侍女を下がらせ、反対に私に食って掛かってきた。


「あなたは何様のつもり!」


 そう言い放つ彼女は、激昂する私をやり込めその場に取り押さえた。その時は、周りにいる大人が私達に気付き、慌てて止めに入ったものだ。

 私には何故彼女が怒るのか分からなかった。貴族とはそういうものだと思っていたからだ。

 だから、その後も彼女を赦せぬと思った私は、会食の折り、彼女が食べる料理に生きたカエルを忍ばせた。

 運ばれた料理の皿を覆うクロッシュ(ふた)を取り上げた時に、彼女が悲鳴を上げた。それは料理皿から「ゲコッ」と鳴き声を上げてカエルが飛び出したからだ。

 それを見た私は、腹を抱えて大笑いしていたものだ。彼女はその時、燃えるような瞳で私を睨み付けていた。

 それからも、幾度か顔合わせの機会を設けられたが、その度に私と彼女は似たような感じの関係だった。

 その後、何故か婚約は延期され彼女は魔法学園に入学したと聞いた。その時も、私は清々したと思ったものだ。だから、彼女が私に良い顔を見せない事は分かっていた。


 ――だが、私は変わったのだ。


 私は横に座るカイルの頭の上に右手を乗せる。カイルがきょとんとした顔で見上げてきた。それに、微笑を浮かべて返す。


 ――そう、私は変わったのだ。あの時から……。


    ◆


「若様! ピエトロ坊っちゃん!」


 僕は藪の中に身を隠していた。目の前ではマイセルが、大声を上げてその大柄な体が揺すっている。それを、隠蔽効果のある魔結石を握り締め眺めていたのだ。暫くすると、マイセルは首を傾げながら他所に捜しに行くようだった。

 その後も、息を殺して辺りを伺っていたが、暫くして藪の中から這い出た。


「マイセルのやつめ、平民出の冒険者上がりの癖に、この僕に指図するなど無礼にもほどがある」


 僕はマイセルが歩き去った方を睨み付け、ぶつぶつと文句を溢していた。


 ここは王都に賜ったストライド家の舘。ストライド家の嫡男である僕は、領地のある地方ではなく、この王都の洗練された空気に触れるようにと、この舘で育てられていた。幼くして母を亡くし、父であるモーツァル・ストライド子爵は領地経営に忙しく、中々この館には居着かない。

 だから、この館では僕が一番偉く、皆が僕に傅き従っていた。そのため、僕は少々思い上がって傲慢な振る舞いをするのもしばしばで、少々嫌味な少年になっていたのだ。

 だが、皆が文句も言わず従うその中で、マイセルだけは違っていた。

 マイセル・ソーンダークは、父がこれはと見込んで送り込んできた僕の教師だったからだ。マイセルが僕に教えるのは、剣などの武術もだったが、それは貴族の在り方や人の道を説くといった多岐に渡るものだった。

 だから、僕にとってはこの館での、唯一煩く感じる存在だったのだ。


 僕は「ふんっ」と鼻を鳴らすと、館の裏手にある樹木に登って塀を乗り越えた。それはマイセルのつける剣の稽古が、手厳しく嫌気がさしていたからだった。それに何より、愚昧であるはずの平民に貴族であるはずの僕が、稽古と称して叩きのめされるのに、どうしても我慢が出来なかったからだ。

 だから、僕は逃げ出した。


 僕が街を出歩く時は、常に誰かが供に付いていた。それに、移動するのは専ら、馬車に乗ってだった。だからこの時は、ちょっとした解放感に浸っていた。


 貴族街でふらふらしていると、直ぐに見つかり連れ戻されると考えた僕は、平民街へと足を向ける。

 暫く歩いていると、何やら香ばしい匂いが漂ってきた。


 ――そういえば、少しお腹が減ってきたな。


 僕は道端に目敏く一軒の露店を見付けると、足早に駆け寄る。金網の上で、何かの肉の塊を串に刺して焼いているようだった。それを指差し、露店の向こうにいる男に話し掛ける。


「ほぅ、これが平民が食するものなのか。一本貰おうか」


「へい、毎度」


 男が串に刺した肉を、手早く紙に包んで手渡してくる。

 それに早速かぶりつく。貴族がこのような場所で食するのは如何なものかとも思ったが、朝から何も食べずにいたから空腹に耐えられなかったのだ。


 ――旨い!


 ほどよく塩味がききその野趣溢れる味は、いつも館で食べる上品な味付けの料理と違って、新鮮に感じられた。


「平民はいつも、このようなものを食べておるのか。何ともこれは美味だな」


「へい、ありがとうございます」


 金網の上で焼ける煙りの向こうで、店主がにこやかに笑って答える。

 しかし、何か物問い気に視線を投げ掛けてくる。


「ん、どうした」


「いやだな若様、ここに書いてあるでしょう」


 男が横の看板を指差す。そこには串焼き一本5クローネと書かれていた。


「おぉ、金か。だが、今は持ち合わせがない。そうだ館まで取りに参れ」


「冗談ですよねぇ。串焼き一本の代金をいちいち取りに行っていたら、こっちは商売上がったりですよ。さあ、冗談は止めてさっさと払って下さいよ」


「いや、今は本当に持ち合わせが……」


「……あぁ、さては最初はなから払うつもりがなかったな。無銭飲食とは、ふてぇガキだ」


 店主が途端に、態度を豹変させて怒りだした。


「なに! 僕を無銭飲食だと! 平民の分際で無礼であろう」


「無礼もヘチマもあるかよ。とんでもねえガキだ。そこの治安詰所につき出してやる」


「そんな事をすれば、お前が後で困ることになるだけだぞ」


 僕らが言い争っていると、背後からぬっと手が伸びてくる。そしてその手の平から「チャリン」と、音を鳴らしてカウンターの上に、数枚の銅貨が転がった。


「親父、俺にも一本貰おうか。それについでにこの坊主の分も俺が払おう」


「へっ、そうですかい。そいつはどうも」


 店主が声の主を見て急にころりと態度を変えて、へらへらとへつらい笑顔を見せる。

 後ろを振り返ると、茶褐色の長髪を無造作に後ろへと流し、纏めて括った長身の青年が立っていた。精悍な面立ちのその青年は、しなやかに引き締まったその身体と相俟って、どこか猛禽類を思わせた。そして、振り返る僕にふてぶてしい笑みを浮かべて見返してきた。


「な、なんだお前は」


 僕は思わず威圧されて後ずさりながらも、貴族としての矜持が頭をもたげ、何とか声を発することが出来た。


「俺か、俺はただの通りすがりの冒険者だ」


「ふんっ、お前も平民か。しかも、冒険者とはな」


「おいおい、お前は何様だ。せっかく、俺が焼き串を奢ってやろうってのに、随分と生意気なガキだな」


「お前みたいな平民風情の施しは受けない」


 僕が嘲りの笑いを浮かべると、その青年は呆れた表情を見せる。


「どこのお貴族様か知らねえがな。このまま治安詰所なんかに連れて行かれてみろ、無銭飲食なんて詰まんねぇ罪で訴えられて、それこそ、その自慢の家名に傷がつくんじゃねぇのか」


「くっ……減らず口を。平民、名前を名乗れ。後で届けさせる」


「俺か、俺はカークライト。別に届ける必要はねえぜ」


 カークライトと名乗る青年が、またふてぶてしい笑みを浮かべる。それが、どうにもかんさわる。


「カークライト……家名はないのか」


「あぁ、俺は孤児院育ちだからな。そんな上等なものはねえな」


「なんだ、下賤の生まれか」


 その答えに、僕が馬鹿にした笑いを見せると、カークライトと名乗る青年が露骨に顔をしかめた。


「ほんとにくそ生意気なガキだな。けっ、詰まんねぇガキに関わっちまったもんだぜ」


 そう言った青年は肩を竦めて、その場を立ち去ろうとする。


「おい待て、施しは受けないと言ってるだろ。僕はピエトロ、ストライド子爵家の嫡男だ。今から一緒に館に来い。そこで金をはらおう」


 もう関わりになりたくないとばかりに足早に立ち去る青年を、僕は追い掛け大声で声を掛ける。

 すると、ぴたりと足を止め、そのカークライトと名乗る青年が振り返った。


「……今、ストライド子爵家と言ったか。それはアミ州に領地を持つストライド子爵家の事か?」


「そうだ。僕の知ってる限り、王国でストライドを名乗る子爵家は、我が家だけだ」


 カークライトと名乗る青年はジロジロと僕を眺めた。


「てっことは、お前がピエトロか?」


「ん、そうだ。さっきも言ったが僕がピエトロだ」


 僕が答えると、カークライトが天を仰いだ。


「あちゃあ、このくそ生意気で偉そうなガキが……貴族らしいといえば貴族らしいが。ってことは、マイセルのやつは苦労してるだろうな」


「なに! お前はマイセルを知っているのか」


「あぁ、俺にとっては兄貴みたいな存在。元々冒険者として同じチームを組んでいたからな。今日も、商隊の護衛で王都まで来たから、冒険者を引退したマイセルの所に顔を出そうと思っていた。マイセルがストライド家に家臣として取り立てられ、嫡男の傅役もりやくに抜擢されたと大層喜んだ手紙を寄越したから見にきたのだが、それがこんなガキの……」


「なっ、マイセルの……ならあいつから貰え」


 それだけ言うと僕は走り出した。


「おい、待て。一緒に連れて行ってくれるのじゃないのか」


 背後から掛かるカークライトの声を無視して、僕は駆け続ける。それは、マイセルの剣の稽古から逃げ出した後ろめたさもあったが、一緒に館に帰ると、そのマイセルにまた小言を言われると思ったからだ。


「おい、待てってば、こんな所にお前ひとりで……」


 カークライトが後ろから追い掛けてくる。

 僕の脳裏にマイセルの怒った顔が浮かぶ。また、あいつの罰を受けるのはごめんだ。平民出の分際で、生粋の貴族であるこの僕に、罰と称して扱きを科してくるのが我慢できない。

 僕はカークライトから逃げるため必死に通りを走ると、次の角を右に曲がった。すると、すぐ横の扉が開き太い腕が伸びて来る。そして、僕の首に巻き付き、扉の中へと引きずり込んだ。


「えっ、なんだこれは……」


「死にたくなかったら静かにしろ」


 野太い声が聞こえると共に、手のひらで口を塞がれた。驚き固まる僕の首筋に、酒臭い生暖かい息が掛かる。

 ――まさか、誘拐。


 脳裏に浮かぶ誘拐の文字に、更に驚く。それと共に、首に絡まる腕から脱け出そうと暴れるが、その腕はびくともしない。


「うるせえガキだな」


 その声と同時に、後頭部を何か固い物で殴られた。かすれゆく意識の中、扉の外から「ちっ、あのガキ、何処に行った?」と、カークライトの声が聞こえる。そして、その足音が遠ざかのを聞きながら、僕は意識を手放した。


 扉が「バタン」と音を鳴らして開閉する気配に、僕は目を覚ました。

 後頭部がズキズキと傷み、吐き気を催す。それを我慢して、目を凝らして正面を見るとテーブルを挟んで二人の男が座っていた。テーブルの上に飲み掛けの酒ビンが転がり、見るからに荒んだ二人の元に、外から帰ってきた男が近寄る。


「子爵家に、手紙を放り込んできたぜ。暫く様子を窺ってると、蜂の巣をつついたような騒ぎになってたな。どうやらこのガキの言った通り、子爵家の嫡男だったようだ」


「おぉ、そうかそうか。通りでこのガキが、大声で子爵家の嫡男だと叫んでたから、こいつは金になると踏んだが、見込み通りになりそうだな」


 外から帰って来た男が嬉しそうに話すと、テーブルの右にいた男がにやついた笑いを浮かべ答えた。しかし、左側にいた男は顔を曇らせ、心配そうな声をだす。


「でも、大丈夫なのか。近くに、冒険者もいたんだろ。もしかして、護衛とかだったら、今頃は責任を感じたギルドが総出てな事になりかねねえぜ」


「なぁに、大丈夫だ。何やら揉めてるようだったからな。大方このガキが、通りがかりの冒険者に貴族風でも吹かせてたんだろ。それに、この王都での稼ぎもこれで最後だ。次はそうだな、連邦にでも行くとするかぁ。連邦までは追って来ないだろうからな」


 彼ら三人の会話を聞いている間に、誘拐された事を思い出した。

 こんな流れの犯罪集団に、この僕が誘拐されるとは許される事ではない。僕は体を動かそうとするが、足首を縛られ手首も後ろ手にかせを掛けられて身動きが出来ない。叫ぼうとしても、猿轡を噛まされて「モゴモゴ」と言うしかなかった。

 もぞもぞ動く僕に、外から帰って来た男が気付いた。


「おい、目隠ししてないのか。俺達の面が割れるじゃねえか」


 近寄って来た男が、僕のお腹に蹴りを入れる。


 ――ぐはっ!


 途端に、酸っぱい物が込み上げてくる。くそっ、こんな連中に。


「そういや目隠しするのを忘れてたな。まあ、どっちみち貰うもの貰ったら始末するから良いじゃねえか」


 テーブルにいた男が、笑いながら答えていた。

 始末って……この子爵家の嫡男たるこの僕が、こんな犯罪者に殺されるというのか。僕には殺されるかもという恐怖よりも、下賤な生まれの者の手に掛かる事が我慢出来なかった。


 ――くそくそくそっ、そんな事は天が赦すものかぁぁぁ!


 僕はまた蹴ろうとする男を睨み付ける。


「あぁ、なんだガキ! 貴族のガキだから偉いとか思ってるのか。言っておくがな、お前達貴族の方が、よっぽど悪党だと思うぜ。なんの苦労もなく、ただ貴族の家に生まれたというだけで、税という名目の元俺達から金を巻き上げ、のほほんと暮らしてるだろうが!」


 男が叫びながら何度も蹴りを入れてくる。その度に、胃の中の物が込み上げてきて口中に広がる。遂には、息も苦しくなってきた。


「おい、それぐらいにしておけ。今死なれると面倒だ」


「まあ、マイクの気持ちも分かるがな。あいつのいた村は、領主の科した重税で潰れてあいつの一家は離散したからな」


 テーブルに座る二人の男の声が聞こえてくる。僕に蹴りを入れる男は、テーブルにいた男の声を無視して、尚も蹴り続けようとする。

 こんな所で殺されてたまるか。僕はマイセルに習った身体強化を使おうと、体内にある魔力を集めようとする。だが、集めた魔力を身体の隅々に行き渡らせようとすると、途端に霧散する。


 ――何故だ?


 僕が不思議に思っていると、奥の扉が開き男が入ってきた。頬に傷のある不敵な面構えをした男は、部屋にいた男達とは明らかに違い、獰猛な雰囲気を漂わせていた。

 その傷の男は部屋に入ってくるなり、じろりと辺りを眺める。部屋にいた男達に緊張が走る。


「今、魔力を感知したような気がしたが……そのガキか。魔力持ちとはさすがは貴族のガキだな」


 傷の男が僕に視線を向け呟くように言うと、部屋にいた男達は驚いた表情を浮かべて僕を見詰める。


「残念だったな。そのかせは魔封じの枷といって、魔力を封じる魔道具だ。たまたま、これしか枷がなかったから使ったが、ハッハハ」


 男がまた僕を蹴り始める。


「それぐらいにしておけ。それより、ちゃんと仕事をしてきたのだろうな」


「あっはい。手紙を投げ込み、暫く見ていましたが、それに気付き騒いでいたので、話は通ったように思います」


 傷の男が言うと、僕を蹴るのを止めた男が緊張して答えていた。どうもこの傷の男がリーダーのようだった。僕は痛む体に呻き声を上げながら、そんな事を考えていた。


「……なら今晩、この街区の外れにある公園で取引だな。……そうだな、お前達はここでそのガキを見張ってろ。俺は、他のメンバーと先に公園に行き待ち構えるとしよう」


 傷の男はそう言うと、外に出掛けて行った。

 こいつらには、まだ仲間がいるのか。僕は絶望感に支配される。その時何故か、マイセルの少し怒ったような顔が浮かんできた。



 その後も、僕は仲間からマイクと呼ばれていた男に、いたぶられ続けた。この男は、貴族にかなりの恨みがあるようだった。

 もう、どれ程の時間がたったのだろうか。すでに、僕の貴族としての誇りも砕かれかけていた。自分ひとりの力では脱け出す事も出来ない。助けてと願っても助ける者もここにはいない。貴族といっても、裸になれば、下賤の者と蔑んでいた者となんらかわりはないのだ。

 僕はここで死んでしまうのだろう。絶望感に打ちのめされた僕の脳裏に浮かぶのは、何故か父親ではなく、いつも小言を言っていたマイセルだった。

 僕が生きる事に諦め掛けた時に、扉を誰かが「コンコン」と叩いた。

 途端に、部屋にいた男に緊張が走る。マイクが僕の首に腕を絡めて扉を見詰める。テーブルにいた男が扉の側に行くと、外を窺う。

 その時、背後の窓を破って誰かが飛び込んできた。そして、マイクの首筋に剣を降り下ろした。それと同時に、轟音をたてて扉が蹴破られた。

 窓を破って入ってきたのは、カークライト。そして、扉から飛び込んで来たのはマイセルだった。

 部屋の中では男達の怒号が飛び交う。僕はマイクが上げる血飛沫を頭から浴びて、それを呆然と眺めていた。

 それからの事はよく覚えていない。気が付くと、三人の男が倒され、僕はマイセルに抱き抱えられて外に運ばれていた。

 外に出ると、いつの間にか夜になっていた。空は曇っているのか、月明かりはない。街の通りの辻々にある魔力灯の明かりが、微かな光を届けるだけだった。


「……降ろして。自分で歩けるから」


「大丈夫なのか?」


 僕が見上げると、マイセルが朗らかな笑みを浮かべていた。


「僕は……ストライド家の嫡男だ。こんな姿を晒す訳には……」


 マイセルが頷き僕をゆっくり降ろし、痛みに顔を歪める僕の頭の上に手のひらを乗せて、くしゃくしゃと髪の毛を撫でる。


「何故、ここが?」


「あぁ、カークライトがこの辺りで見失ったと、言っていたからな。一軒一軒しらみ潰しに当たってな、ようやくだ」


 横を見ると、カークライトがあのふてぶてしい笑みを浮かべていた。


「あっ、そうだ。あいつらには仲間が、確か公園に行くって言ってた」


「それなら大丈夫だ。今頃は、治安部隊に捕まってる頃だろうな」


 マイセルの答えに胸を撫で下ろし、やっとほっとする。


「それにしてもピエトロ坊っちゃん、無事で何よりだった。それと、遅くなってすまなかったな」


 マイセルが顔を曇らせ頭を下げた。


「……ピエールと呼んで良いよ」


「んっ?」


 ピエールは僕の愛称で、その愛称で呼ぶのは亡くなった母と父親だけだった。

 マイセルが満面の笑みを浮かべて、また僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。僕は、安堵と共に暖かなものに心を包まれ思わず涙が溢れた。


 しかしその時、前方で光が閃く。


「魔法だ!」

 カークライトが叫ぶ。

 前から飛来する光は、刃となり僕に向かって来る。僕が硬直して眺めていると、


「危ない! うぐぅぅ……」


 叫びと共に、マイセルが僕を突き飛ばして覆い被さりくぐもった低い声を響かせる。


「マイセル!」


「ちっ、ガキを狙ったがしくじったか」


 その声に、前を見るとあの頬に傷のある男が立っていた。


「貴様!」


 カークライトが、疾風となってその男に向かって走って行く。


「マイセル、マイセル!」


 僕は倒れるマイセルに駆け寄り、その体に抱き付いた。マイセルの胸には大きな穴があき、沢山の血流が溢れだしている。


「ちっ、ドジったな。ピエトロ坊っちゃん……大丈夫だったか?」


「……ピエールって呼んでと言っただろ」


「ふっ、ピエール……俺はもう駄目なようだ」


 マイセルが息も絶え絶えに、掠れた声で答える。


「そ、そんな事ないよ。直ぐに、手当をすれば」


「いや……急所を、心の臓をやられたようだ。うぅ……後少しで俺の命は尽きる。カークライト……後は頼む」


 いつの間にか、血刀を提げたカークライトが、沈痛な表情ですぐ横に佇んでいた。


「……ピエール、俺には息子が……面倒を見てくれると助かる。それと……立派な貴族に……領主になってくれ……」


 徐々に力を無くしていく言葉。そして遂には、マイセルはがくりと項垂れた。


「まさか、マイセルの所に遊びに来た積もりが、その最期を看取る事になるとは……」


 すぐ横で、カークライトが天を仰いで呟いた。


「うわあぁぁぁぁぁ!」


 冷たくなっていくマイセルの体を抱き締め、僕は慟哭の叫びを上げる。

 その叫びに呼応するかのように、上空からは大粒の雨が降り注ぎ始めた。

 次第に激しさを増す雨は、僕の我が儘放題だった少年時代に終りを告げる雨となった。


    ◆


 私はふと馬車の窓から外に視線を向けると、騎乗したカークライトが馬車に並走するのが目に入った。

 あの事件の後、王都は大騒ぎとなった。あの犯罪者集団はかなり大きな組織だったようで、連日のように逮捕者を出していたからだ。だが、私はその騒ぎに関係なく館で鬱ぎ込んでいた。まだ、幼かった私には、事件の恐怖と身近な存在の死に衝撃を受けていたのだ。

 今思うと、私はマイセルにたまにしか会わぬ父の影を投影して、甘えていたのだろうと思う。

 そして、鬱ぎ込んでいた私の元にカークライトがやって来た。それは、マイセルとの約束を果たせと叱咤するためだった。そこで、ようやく私は動き出したのだ。

 まずは、父に願い出てカークライトをマイセルの後釜に据えた。

カークライトは最初は難色を示したが、マイセルの頼みもあり最後は渋々と頷いた。そのカークライトも今では、騎士の叙任を受けカークライト・モンドと家名を立て我が領地の武術師範となっている。そして、去年の武闘会では優勝したのだ。父からは良い者に目をつけたものだと誉められ、私も嬉しかったのを覚えている。


 そして、横に座るカイルに目を向ける。


 私は知らなかったが、マイセルは街に家族もあり、館に通って来ていたのだ。あの当時の私はそのような事も知らないほど、館で働く者に気を配っていなかったと気付かされた。私はマイセルの奥さんと一人息子を館に引き取った。奥さんは侍女として、マイセルの息子は私の従者とするべく。

 そうこの横に座るカイル・ソーンダークこそ、マイセルの忘れ形見であり、私の戒めとなる存在。

 人とは不思議なもので、他人に傅かれると次第に増長して、専横な振る舞いになっていくものだ。だが、カイルがいる限り私にはそれがない。

 嫌でもマイセルの最期の言葉が思い起こされるからだ。

 マイセルに恥じぬ、立派な貴族、領主になると誓ったのだ。


 ――そう私は生まれ変わったのだ。あの事件を境に……。


 正面に目を向けると、マリアンヌ嬢の視線とぶつかる。探るような視線を向けていたが、私と視線が合うと、また顔しかめてそっぽを向く。


 マリアンヌ嬢は、真っ赤な髪のエルフと不思議な少年を伴い、何やら事情があるように見受ける。しかし、こうして行動を共にする今が、良い機会になると思う。

 神殿都市に滞在する間に、必ず彼女に認められてみせよう。

 かつての私を知る彼女に認められて、初めて私は真に生まれ変わったと胸を張って言えるのだから。


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