13 魔導師、大いに号泣する。
私は、沢山の布が敷き詰められた、アドリアの樹の枝で編んだ大きな籠の中にいた。
それにしても、私は随分と小さく成っているようね。
これは夢?
どうも、赤ん坊になった夢を見てるようだわ。
よく見えない目で横を見ると、隣にスヤスヤと眠る赤ん坊がいるのがぼんやりとだけどわかる。赤ん坊になった私は、もうひとりの赤ん坊と並んで、籠の中で横になってるみたい。
しばらくすると、言い争う二人の男女が私達に近付いてくる。
男の人の声は祖父に似ているような。
「お父さん、この二人エリーとエランには、あれだけ沢山の精霊が集まったのよ。あれは精霊の大いなる祝福だわ」
「ふん、わしには精霊達が、その子らを怒って騒いでる……いや恐れてるように見えたがな」
「何言ってるのよ、お父さん!」
「あのヒューマンの男との間に子供なんぞもうけおって。しかも双子だと。その子らは呪われておるわ」
「馬鹿な事を……お父さんにとっても孫になるのよ」
「お前も知っているだろう。世界創成の話を。光神アスラと闇神カマラの双子神は世界を創造した後、聖と邪に分かれて争った。それ以来、人も双子を忌み嫌うことを忘れたわけじゃあるまい」
「……そんなのおとぎ話、迷信じゃない」
「ヒューマンとの間の子は認められん。ましてや、双子なんぞ。どっちにしろ片方の子は里子に出す。その赤い髪の子がよいだろう。どう見ても純粋なエルフに見えんからな」
私の祖父に似た声の男の人が、私に手を伸ばす。慌てたもうひとりの女の人が、私を庇うように抱き上げた。
「駄目よ、この子も私とあの人との間にできた大切な子供よ」
「仕方ない。ならもうひとりのこの男の子。髪の色も緑、どこから見ても普通のエルフに見える。この子なら里子に出してもそれほど苦労せんだろう」
「きゃー、止めて! お父さん!」
◆
雨の日が私は嫌いだ。
どんよりと曇った空を見ると、昔の自分を思い出し暗い気分になる。
窓の外から聞こえる雨音に、私は目を覚ました。
今見たのは本当に夢なのかしら。それとも赤ん坊の頃に見た……。あれは私のお母さん……有り得ないわね。
外の湿った空気が室内に流れ込み、私の心も湿らせ憂鬱にする。
呪われた子……昔、まだ小さい頃よく陰口で言われた。
最近、変な事ばかり起こるから変な夢を見たのね。双子だなんて……馬鹿な話。
「クー」
私のお腹が鳴った。
そういえば、昨日は宿屋に帰るなり部屋に閉じ籠ったから夕食も食べてない。
もう朝みたいだけど、どうしよう。先輩と顔を合わすのがつらい。
昨日のあの男が言った言葉が、私の心に突き刺さる。
あの男はこう言っていた。
「ガーネット家の末娘、父親の命令で何年もかけてそいつに取り入ってた」 嘘だよね先輩。
思えば、学園にいる時から少しおかしかった。あの姉妹制度、他の生徒達は形だけの物だったのに、先輩だけは変に私に構っていた。
まさか本当の先輩は……。
そんな事を考えてる時に“コンコン”と、誰かが扉をノックする。
「エリー、いるのでしょう。私よ、少し話があるの」
扉の向こうから先輩の声が聞こえる。
どうしよう。でも、ちゃんと聞かないと。
聞きたいような、聞きたくないような複雑な気持ちでそっと扉を開けると、先輩がするっと部屋に入ってきた。
「相変わらずね。エリーは何かあると、すぐに部屋に引きこもるわね」
先輩がにっこり笑って、部屋の中にある椅子に座った。私も先輩に促され、ベッドに腰掛ける。
お互いが何も言わず、無言のまま時が過ぎていく。
しばらくして、先輩が先に話し掛けてきた。
「……エリー、私に何か言いたい事があるのでしょう」
「先輩……先輩は……命令されて私と……」
聞きたくない。答えを聞きたくないのに私は先輩に尋ねてしまう。
「……えぇ、そうよ。私は父親の命令であなたと。でもね……」
私は先輩の答えを最後まで聞く事なく、部屋を飛び出していた。
そして宿屋も飛び出し、雨の降る街の中を走り続ける。
先輩も本当は、私の事を嫌な娘と馬鹿にしてたんだわ。
びしょ濡れになりながら、私は先輩に裏切られたような気持ちになり、無我夢中で走る。
そして息を切らして立ち止まった時、誰かが声を掛けてきた。
「嬢ちゃん、こんな雨の中、何かあったのか。俺が慰めてやろうか、へへへ」
ふと気付くと、周りの建物はギルド周辺の建物と違って今にも崩れそうな物に変わり、私はどこかの路地に迷い込んでいたようだった。
その路地の前後には見るからに質のよくない男達が数人、下卑た笑いを浮かべて立っていた。
だから雨の日は嫌いなのよ。碌な事がない。
そういえば、先輩が街の東南の地区には、ひとりで勝手に行かないようにと言ってたけど、どうも私はそこに迷い込んだようだわ。
先輩の事を思い出し、また心がチクリと痛む。
「な、なによあなた達は、私は冒険者よ。それも魔法学園卒業の。わかったらどっかに行きなさいよね」
「ウヒヒヒ、聞いたか。魔法学園卒業のエリート冒険者だとよ。それじゃあ、少しおじさんのお相手をしてくれまちゅか、お嬢ちゃん、ウヒヒヒ」
うー、こいつらまったく信用してないわ。本当のことなのに。
男達がジリジリと迫ってくる。先頭の男がその手を私に伸ばす。
その時、私の額が蒼く光りだす。
えっ、なになに。
私も驚くが、男達も驚いて退く。それと同時に蒼い光が降り注ぐ雨を切り裂き飛来すると、私と男達の間の地面に突き立った。
『そこなる娘は、それがしの存じ寄りの娘でな、出来れば素直に手を引いて貰いたいのじゃが』
地面に突き刺さったのはカゲヒサさんの剣。振り返ると路地の入口にカゲヒサさんの姿が、そしてゆっくりとこちらに歩いてくる。
『カゲヒサさん!』
私の叫び声に反応して男達がカゲヒサさんを睨む。
「何だお前は、わけの分からん言葉を喋りやがって。ガキが女の前で格好つけんなよ」
男達が腰にぶら下げていた剣に手を伸ばしたその瞬間、カゲヒサさんの雰囲気がガラリと変わる。
『その剣、抜けばそれがし容赦はせぬぞ。その方らの素っ首が胴から離れることになるが、かまわぬのか』
眼光鋭く睨み付けるカゲヒサさんからは、強烈な殺気が波動となって放たれている。
それに、降り注ぐ雨は、カゲヒサさんの体に当たると直ぐに蒸発するのか、カゲヒサさんの周りにはユラユラと陽炎のような物が立ち昇る。
ひぇー、カゲヒサさんの本気は、近くで見るとかなり怖いです。
私ですら震えそうなのに、まともに向き合ってる彼らは。
男達を振り返ると、顔面蒼白となり、体をブルブルと震わせ固まっている。
あっ、これはあれね。
俗にいうドラゴンに睨まれた山羊ね。
カゲヒサさんがゆっくりと男達に近付いていく。
『駄目よカゲヒサさん。これ以上はもう……』
慌てて私がカゲヒサさんの腕にしがみつく。
『ふむ』
カゲヒサさんが一言発すると、波動となっていた殺気が消えてなくなった。
とたんに、男達は腰が抜けたようにその場しゃがみ込む。
「ほら、あなた達もう行きなさい。この人が本気になったらもっと怖いわよ」
私が男達に声を掛けると、「ひぃー」と叫びながら体を引きずって逃げていく。
あらっ、本当に腰が抜けてたみたいね。
私達は雨を避けるため、近くにある軒下に移動した。
カゲヒサさんが、衣服についた滴を払いながら話し掛けてくる。
『エリィさん、ご無事で何よりじゃ』
声を掛けてくるカゲヒサさんの顔をそっと伺うと、眉を寄せ顔をしかめていた。
うわっ、怒ってる。カゲヒサさん怒ってるわね。カゲヒサさんも、本当は私の事を……。
ポンポンと私の頭の上に、カゲヒサさんの手が置かれる。
とたんにまたあの温かなものが流れてくる。それが何とも心地いい。少しほっとする。
そうよね、カゲヒサさんは私の味方よね。
『カゲヒサさんは……』
なんだか恥ずかしくて聞けない。
『ど、どうして私のいる場所がわかったのよ』
『この太刀が教えてくれたのでござるよ』
さっき、地面から引き抜いた剣を見せながら、カゲヒサさんが答える。
その剣から伸びた細い糸のような蒼い光が、私の額と繋がっていた。
なにこれ?
『ふむ、エリィさんの秘術ではござらぬのか。それにそれがしはエリィさんに呼ばれたような気がしたのでござるよ』
えーと……なに?
さっぱりわけ分からないわよ。
『ふーむ、そうなると、あの舞い降りたどこぞの神様が申したように、それがしとエリィさんは一心同体と相成ったようでござるな』
えっと、なんでしょうか、またわけの分からないことを。
カゲヒサさんがさらりと恥ずかしい事を言ってるようだけど。
私は昨日、途中からのことをよくは覚えてないのよね。はっきり覚えてるのはあの男が最後に言った言葉のあたりまでと、後は宿屋の辺りに戻って来てから。
実はその間に起こった事は、よく覚えてないのよ。宿に戻った後も部屋に引きこもったし、誰ともろくに話をしていない。
カゲヒサさんに昨日起きたことを、説明してもらった。
蒼い光? 額の紋様? 契約神? 私の頭の中は?で一杯になり、ますます分からなくなる。
私に何が起こってるていうのよ。
『そういう事でござってな。それがしとエリィさんは一心同体なのでござるよ』
ちょっ、ちょっとー。人が聞いたら私とカゲヒサさんが、その……変な関係みたいじゃない……まぁいいけどさ。
誰にも言葉わかんないようだし。
「ふぅ」
ため息を吐き出し肩の力が抜ける。
何故だか、カゲヒサさんと話をしていると、心のもやもやした物が少し晴れる。
しかし、二人共雨でびしょ濡れ。ホントに雨は嫌ね。軒下から顔を覗かせ空を見上げると顔をしかめる。
『おや、エリィさんはそんなに雨が嫌でござるか』
『まぁ……』
『雨は土地に恵みをもたらし、時には猛威をふるう災害になるときもござる。然れど、所詮は水の固まりにござれば、心の持ちようで変わり申す。濡れるのが嫌、空模様がとかただ気持ちで忌避してるだけでござる。風呂や、池、海で泳ぐつもりで最初から濡れるつもりなら結構楽しいものでござるよ。それがしなど修行中のおりは、風呂のかわりになると喜んだものでござるよ』
軒下から出たカゲヒサさんが、両手を広げて雨を受け止めるように剽げた仕草をする。
カゲヒサさん……私を慰めようとしてるようだけど、どこかずれてるわよ。まぁ、嬉しいけどね。
しばらくすると、雨足が少し弱まってきた。
『宿まではさほど離れておらぬ故、されば、今のうちに帰ると致そう。このままでは、風邪を引きもうす』
私達は軒下から出ると、宿屋に向かって走り出した。
『マリアンヌどのも、さぞかし気をもみ心配してるでござろう』
先輩……先輩はきっと本心から私のことを心配なんか。私の微妙な気持ちが伝わったのか、カゲヒサさんが更に続けて話し掛けてくる。
『エリィさんは少し勘違いをしているようじゃが、マリアンヌどのは心の底からエリィさんのことを気にかけ心配しておる。それがしは心法も修行しておるので、多少は人の心の動きは分かるつもりじゃ。マリアンヌどのについては間違いござらぬ』
本当に、そうならいい。カゲヒサさんが言うと、不思議にそんな気もしてくる。
そんな事を考えていると。
「エリー!」
前から先輩が走ってくる。ずぶ濡れになり、自慢の金髪はくしゃくしゃにして、顔を歪めて走ってくる。
そして目に涙をためて私に抱き付く。
「馬鹿ねエリー。あなたは私にとって、もう本当にかけがえのない妹なのよ」
「先輩……」
先輩の今の姿を見ると……先輩はやっぱり私の先輩だ。先輩はいつも私を庇ってくれる。学園にいるときも、私のために決闘までしてくれた。信用していいよね。
カゲヒサさんが頷く。
私も先輩に抱き付いた。
その時、
「クー」
私のお腹がなった。
もうこんな時に、恥ずかしいじゃない。
「ふふ、宿屋に戻って朝食にしましょう」
先輩がにっこり笑って言う。カゲヒサさんも笑ってる。
ふと気付くと、いつのまにか雨はあがり、雲の切れ目から太陽が顔を覗かせていた。
雨の日も、そう悪くないかも知れないわね。




