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みなさん、雑草になってください

佐藤 識は黙々と坂を登っていた。


坂を登ると目指す高校の正門がある。


遅刻坂、というのだそうだ。


いま登る、急斜面のこの坂を、いつしかこの学校の生徒と教師たちが少しの愛着と憎たらしさを込めてそう呼ぶようになったという。


冬なのに、太陽がやたらと元気な午後だった。



佐藤 識、中学三年生の受験前日のことである。




受験する学校をあらかじめ見学しておくこと。


とは、中学のお世話になった先生方が口を酸っぱくしていることで、

佐藤 識は悩んで悩んで、結局行かないままずるずると、明日を受験に控える直前、つまり今日になってようやくのろのろとやってきた。


坂を登りきると、どこにでもある校門がある。


仕切りというのは良くも悪くも仕切りであって、

門というのは人を招きいれては足止めさせる強固な城壁である。


と言ったのは、識の友人、西海橋 都。


言い得て妙とはこのことで


佐藤 識は、ようやく登りきった坂の上


門の前、それから足を踏み入れられずに、人がいないことをいいことにじっとその場に突っ立っていた。


声をかけられたのは、太陽に反して凍えた冬の風が識の頬を擦っていった何度目かのことである。


「入らないの」


落ち着いた声に顔を上げれば灰色の作業着で、初老の男性が立っていた。


片手には小ぶりの草刈り鎌、もう片手にはその鎌で切ったと思われる雑草一束。


両方に泥のついた、薄く汚れた軍手をしていた。


「・・・用務員の方ですか?」

「そんな感じ」


冬の風が、左手の草の先を揺らしていく。


「うちの生徒さんじゃないね。明日の受験生かな」


識は口を引き結んで頷いた。


なんでこんなぎりぎりに来たのかと、お説教をされやしないかと少し思っていた。


しかし男性は、あ、そう。と頷いて、まあ、ゆっくりしていきなさいよ、と言う。


識はぽろりと言った。


「迷っているんです」


不意に心から落っこちた言葉だった。


後になってよくよく考えてみれば、わりと突拍子もないことをしたものである。


男性は面食らったように瞬きをして、でも、やっぱり、何も言わずに頷いてみせる。


「うん」

「明日、テスト用紙に」

「うん」

「受験番号と、名前。空欄で出そうかと」


識はなんで、と思う。


なんで、栓のないようなことを、よく知らない大人にぽろぽろと零しているんだろう


言ってしまって、恥ずかしくなった。


恥ずかしくなると堪えるように俯くのが佐藤 識の小さい頃からの癖で、

彼女はじっと、摩れたスニーカーの爪先を見る。


男の顔を見るのが怖かった。


それでようやく、実際はそんな間は空いていないのだろうけれど識にとってはようやく、識の後頭部に落っこちてきた声は、しかし、うんうんと考える自分がばかばかしくなってしまうほど随分と軽妙なものだった。


「ありきたりな、話をしよう」


あんまり身軽な声なので識は拍子抜けで顔を上げる。


男は軍手を纏った指で刈り終えていない中途半端な雑草群の一角をさした。


「これ、この雑草。黄色い小花が咲いているでしょう」


嬉々として男が言うので、識は目を凝らす。


ある。確かに。


頷いてみせると男がその雑草群の前にしゃがみこんで手招きをするので、渋々不審気ながらも識はそれに従って隣に屈む。


男性の視線は依然として黄色の絵の具をこぼしたような一点にある。


「夏になると、もっと根強く高く生えてきてね、学校中の生徒を借り出して、ちょうどいいから校外周辺の掃除も兼ねて除草する。」


「はあ」


「秋が来ると、夏もそうだけど、虫が溜まるんだよね。虫食いあるし、種類によってはところどころ茶色くなって見栄えがあんまりよろしくない。で、抜く。」


「はい」


雑草に見栄えがあるのだろうか。あるんだろうな、このひとには。


「冬になると、こいつら、葉が散った裸の木の下で地味に青いままでひょこりいたりするんだよ。で、引っこ抜く」


「引っこ抜くんですか」


「放っておいても、引っこ抜いても、また出てくるんだよ。だったら抜く」


「ぬ、抜くんですね」


よくわからん理論だけど、ようは引っこ抜いても出てくるくらいの生命力だから、放っておくと目も当てられない状態になるのだろう。


「抜いても抜いても生えてきて、また抜こうとしゃがんだら、親指と人差し指で潰せてしまうくらいの蕾がついてる、見逃しても誰も責めないような蕾だ」


男はそこでようやく識のほうへ顔を向ける。


皴のよく似合う顔である。


「そうしたら、君たちが若い力でここを出て行くのを、黙って見送る季節だ」


「・・・・」


「それからしばらくもしないでこの蕾が膨らみ始めたら、この門をだだっ広く開けたまま、新しい顔で訪れる君たちを、黙って待っている季節だ」


「・・・・」


なんと返事をするのが正しいのかわからなくて識はただ黙っていた。


男はそんなことはどうでもいいのだろう。つらつら好きなように飄々と喋っている。


識は男が話し始めたとき、もっと、わかりやすくてもっともらしい訓示を与えてもらえるのだと思っていた。


だから結局この大人、それも識からしてみればずっと大人が何を教えてくれようとしているのかわからなくて、あるいは、なにかを教えてやろうとはこの人は思っていないのかもしれない。


ただ隣の人のふわふわとした空気に流されて口を閉じていた。


「やることはいろいろあるのに暇だと思われがちだし、私はなにかと生徒には疎ましがられる」


そこで男性は一息吐く。


嫌々とした大きな溜め息だ。


それからちろっと、澄んだ冬の空を見た。


やたらと元気な太陽である。




「私は、いい、職に就いた」




噛み締めるように晴れ晴れと落っこちてきた言葉に佐藤 識は2回瞬きをした。


遅刻坂をよっこら登ってきた冷たい風に雑草が揺れていたのを佐藤 識は覚えている。




その用務員さんが、実は校長先生であったことを知ったのは入学式のことだった。


みなさん。

入学おめでとう。


夏になったら、この辺りを少し、掃除をしに歩いて回りましょう。


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