番外編 3の3 フィリア・友愛
その日、朝から降っていた雨は、昼前には止み、少しずつ薄日が差してきた。
ランは、まだ濡れている道路を横切り、ロイドの勤める放送局の入り口のガラスドアを開ける。
正面の壁に掛けられた大きな時計が、ランの目に入った。
ロイドとの待ち合わせの時間には、まだ少し間がある。
広いロビーの一角に華やかな一群がいて、少し騒がしい。
ランは、「有名人でもいるのかな」と思いながら、そのままカフェテリアへ向かう。
そして紅茶の入ったカップを取ると、窓際のゆったりした椅子に座り、バッグから本を出して読み始めた。
「ラン?」
その声にランは顔を上げる。
そこにいたのは、アレックスだった。
「アレックス。 久しぶりね、元気だった?」
アレックスはニコニコしながら、ランの隣の椅子に座る。
「元気だよ。 ランこそ元気そうだね。 日焼けしたんじゃない?」
「ええ、バケーションから帰ってきたばかりよ」
「ああ、そういえば、そんなこと言ってたね。 どうだった?」
「とっても楽しかったわ、疲れも取れたしね」
「それは良かったね。 ロイドと待ち合わせ?」
「ええ、ランチを一緒にね」
「そうなんだ」
アレックスはそう言って、クスッと笑う。
「あの、カイのインタビュー番組は面白かったよ。
特に、彼の慌てようは見物だったね。
その割にカイはまんざらじゃなかった、と言うか、いい感じのカップルだったよね」
「あなたがカイを褒めるなんて、どういう風の吹き回し?」
「う・・・ん、まあね。
あの後、カイと話した?」
「まさか。 私は嫌味を言われるか、無視されるかのどっちかじゃない」
アレックスは、また笑う。
「そうだろうね。
こっちにも何も言ってこないしね」
ランは「こっち」と聞いて「ん?」と思う。
「アレックスこそ、どうしたの? 今日は休み?」
「あ~、実は、オレは会社を辞めたんだ」
「え~!? どういうこと?」
「ウォータープラネットから戻ってきて、もう今までの仕事は退屈すぎてね。
そしたら、サー・ナイジェル・カンパニーから声が掛かったんだ。
給料も破格だし、仕事内容も面白そうだから転職した」
「そういうこと。 あなたらしいわね。 良かったんじゃない? それで、どうしてここにいるの?」
「今度、この局と協力して新しいシリーズ番組を出すんで、その打ち合わせだよ。
バーディも来ているよ」
「ああ、それで、ロビーにきらびやかな集団がいたのね。
その中にあなたがいないなんて、珍しいわね」
アレックスは、左手の薬指にはめた指輪を見せた。
「キースが言ったとおり、例のボーナスで買った指輪だよ」
「婚約指輪!?」
「そう」
「おめでとう! ゾーイと?」
「うん」
「結婚はいつ?」
「まだ先のことだよ。
今は、早く新しい仕事に慣れたいからね。
ウォータープラネットの準備もしなければならないし」
「そうね、あなたはあのまま会社にいたって、ウォータープラネットへ行かしてもらえないしね」
「もう無理だよ。 あの後、キースとオレは、しっかりと怒られたんだ」
「それは仕方がないんじゃない」
「もちろん、当然だって分かってたよ。
分かってたけど、あんまり腹が立ったから、辞めてやると思ったね。
だけどこの状態では、辞めてもどこも雇ってくれないだろうし、大人しくしてたんだ。
そしたらバーディーから連絡があって、オレはエンターテイメントの方に向いているってね。
渡りに船だと思ったよ。
キースも辞めようかと思ったらしいけど、留まったんだ」
「それはキースから聞いたわ」
「とにかく、あんな経験をしたら、もう元には戻れないよ。
ランは、よく平気だね」
「私は、家に戻ると二人の小さなギャングどもの嵐が待っているんですもの。
私には、かえって、今の仕事とのバランスがいいみたいよ」
「そうか、ニキは?」
「彼女は、まだまだ新米社員だから、あたふたしているわ」
「だろうね。 目に見えるようだよ。
ニキは、キースと付き合ってるのかな」
「さあ、そうなんじゃない?
キースは、かなり忙しいらしくって、あまり見かけないわね」
「あいつ、また、前の恋人のようなことを繰り返さないといいけど」
「あなたがそんなことを心配するなんて、変わったわね。
婚約したからかしら?」
「本当は、婚約なんてして欲しくなかったんですけどね」
突然、二人の後ろから、別の声がした。
ランが振り返ると、そこには明るい髪の色をしたゴージャスな男性と、数人の取り巻き連中が立っている。
「失礼しました。 あなたは、ミズ・ラン・モニエですね」
彼が言った。
「バーディーだよ」
アレックスが紹介すると、ランは手を差し出しながらそれに答える。
「始めまして。 ハリスにはお会いしましたよ」
「ハリスから聞いています」
とバーディーは言うと、ランの手を取り、彼女に微笑する。
「あなたのおかげで、この局とまた違った経験が出来そうです。
いつかお会いして、感謝したいと思っていました」
ランは、バーディーに微笑み返すと言った。
「それはご丁寧に。 では、私の夫と一緒にお食事でもいかが?」
バーディーは、笑いながら彼女の手を離す。
「隙がないですね」
「独身貴族のご高名は、かねがね伺っておりますもの」
「それは恐れ入ります」
「アレックスは、そちらに移ったそうですね」
ランは、アレックスをチラッと見ながら言った。
「ええ、今まで、彼の能力は埋もれていたと思いますよ。
あの、ウォータープラネットでの彼の機転は実に興味深い。
あれを自分で撮れなかったのも、本当に残念でした。
レオの撮ったものは、ただの記録映像でしかなかったですからね。
とにかく、アレックスが加わり、新たなことに挑戦できそうで楽しみです。
独身仲間が増えたと喜んでいたのに、婚約していたのは残念でしたが。
まあ、先は分かりませんけどね」
そしてバーディーは、ニコッと笑う。
ランも、ふふっと笑い返す。
「こうして話を続けていたいのですが、次の予定があります。
残念ですが、またの機会に。
お会いできて嬉しかったです。 ミズ・ラン・モニエ」
バーティは、そう言うと会釈する。
「そうですね、その時は、ゆっくりとお話を聞かせていただきますわ」
とランも答えながら軽く会釈した。
そして、バーディーはアレックス見ると後ろを向き、そこを去り始める。
ランは、アレックスに耳打ちする。
「感化されないようにね」
アレックスは笑いながら答える。
「キャラが違うよ。
それにバーディーは、普段は、もっとざっくばらんなやつだよ」
ランも口元をゆるめる。
「じゃ、ラン、またな」
アレックスはそう言うと、バーディーの後を追いかけた。
ランは、やれやれと思いながら彼らを見送ると、ガラス窓の外に目をやる。
雨の後の木の緑は鮮やかで、生き生きとしている。
風が吹いているのか、木々の枝が揺れている。
外の風の音は聞こえない。
ランは、その音を感じるかのように目をつむる。
そして、ニキのおとぎ話を思い出した。
暗い宇宙空間に浮かぶウォータープラネット。
宇宙ステーション・ヴェラムと十八機の人工衛星に守られた、青い真珠のような惑星。
惑星の水の下には森があって、森の中央の大きな木の下には花園があり、女の子が待っている。
青々とした森の中を、白い犬が駆け巡り、私たちをそこへ連れて行く。
そして、私たちは言うんだ。
「フィリア、迎えにきたよ」
ランは目を開けた。
カフェテリアの向こうから、ロイドがやってくるのが見える。
ランは、開いていた本を閉じると、彼に向かって手を振った。