43話 不機嫌
ニキは、フィリアのことを思いながら、自分の両手を見ていた。
彼女の手の感触が、まだここにある。
それは細くて冷たく、滑らかな手だった。
その余韻があまりにも心地よいので、夢だったのではと思う。
そして、マフィーが一緒にいるのを見てほっとする。
やはり夢ではなかったのだ。
マフィーは座っていて、その耳を後ろに伏せている。
どうしたのかな、と思う。
エレベーターの中には張り詰めた空気が漂っていた。
もちろん、それは、自分たちが置かれた状況を考えると不思議ではない。
マフィーは、それを感じているのかもしれない。
キースは黙って顔を上げ、天井を見ながら不機嫌そうにしている。
カイもそっぽを向いて、これまた不機嫌な様子だ。
ランは壁に寄りかかり、何かを考えているようで、心ここにあらずだ。
ニキは、気まずい雰囲気を和ませるため、何か言ってみようかと思う。
そしてすぐに、それは止めた方がいいと思い直した。
また変なことを言って、キースに怒られるかもしれない。
はっきり言って、キースは怖い。
ああ、何でこんな人を好きになっちゃったんだろう、と思いながらキースを見る。
好き!? ニキは、自分の気持ちにびっくりした。
いや、落ち着け、ヴェラムでは全くその気持ちは無かった!
と思う・・・いや、無かったような・・・
ジェイクにキースは甥だと聞かされて・・・う~ん、それより前から気にしていた?
とにかく、キースよりアレックスの方が話しやすいと思っていたのは確かだ。
そしてゾーイがいることに、ちょっとがっかりしたんだ。
いや、ロボットのゾーイじゃない。
人間のゾーイだ。
カイは・・・素敵だけど、なんだか別世界の人間って感じ?
それに、この人も気難しそう、と言うか、何を考えているのか分からない。
いやいや、私に分かるはずはない。
この人たちからすれば、私はまだ小娘なのだ。
初めから相手にされるはずもないし・・・
とそこまで思うと、ニキは落ち込み、ため息をつく。
その時、キースは、どのようにジェイクのところまで戻るのかを思案していた。
もう、午後になっている。
どんなに急いでも、自分たちの足では時間が掛かりすぎる。
森に戻ったらジェイクに連絡して対策を立てなければならない。
あのホログラムのモーリスは、早くここを出ろって言ったけど、いったいどうやって早く出るんだ? とも思う。
それと共に、ニキが自分を凝視しているのに気が付いていた。
そして、なんでこっちを見ているんだ、と思う。
今、ニキのことを考える余裕はない。
それより、腹が立って仕方が無いのだ。
何で腹が立つんだ?
そうだ、こいつだ、カイだ。
元々、生意気なやつだと思っていたが・・・とにかく、いやなやつだ。
キースはそう思うと、ますます不機嫌になる。
ランは、ニキがキースを見つめているのを見て、やっぱりこっちだったか、と思う。
そして、キースとカイが、お互いに反発しているのも分かっていた。
このまま知らないふりをしようと思ったけれど、くずぶっているより自分の気持ちをぶつけた方が良いのではとも思う。
そして言った。
「キース、あの状況で、よく迷わずにフィリアを連れだそうなんて思ったわね」
「どういう意味だ?」
キースは無愛想に答える。
そして、ランは急に何を言い出すんだ? 彼女も侮れないからな、と身構える。
「だって、それが、あの時の最善策だと思ったもの」
「フィリアが死んでしまってもですか?」
カイが口を挟む。
キースは、カイに反論する。
「ここを出られなければ、どうしようもないだろ?
それに、戻ってこれるかどうかも分からないのに、フィリアに、ここで待てとは言えない」
「それは、マイラのことと重ねているからじゃないですか?」
「何だって!?」
「マイラのことがなければ、そう思わなかったかもしれませんね」
キースは、ついに堪忍袋の尾が切れる。
「うるさい! 黙ってろ!」
とキースは怒鳴った。
ランは、やっぱり決裂したかと思う。
まあ、一応、自分の言いたいことを言ったのだから、それでよしとするか、とも思う。
キースは、フィリアの気持ちを考え、カイは、フィリアの病気を考えていたという違いなのだけれど。
カイがマイラのことをなぜ知っていたのかはともかく、それは当たっている。
キースがその決定を躊躇しなかったのは、マイラの気持ちを知っていたからだ。
とは言え、あんな風に言われたら、キースじゃなくても怒るだろう。
それに、おそらく自分も、フィリアを残してはいけなかったと思う。
冷凍睡眠するとは言え、こんな寂しい所に一人で残れと12歳の少女には言えない。
フィリアを連れ行って、治療の道を探ることが最善策だと思う。
それでも、フィリアが死ぬかもしれないと思うと迷ったに違いない。
とにかく、フィリアが自分で残ると決めたのだ。
それによって、治療方法を捜す時間を稼げたことになる。
そしてそれは、フィリアの両親が望んでいたことなのだ。
もしかしたら、ニキがそれを助けたのかもしれない。
ランは、ずっと、なぜニキがここに呼ばれたのか、このシステムが何をしようとしているのかを考えていた。
反対に、ニキは、この状況に驚いていた。
あの沈着冷静なキースが爆発するとこうなるのだ。
カイはフィリアのことを考えていたのに、あんな言い方をするなんて、まるで子供だ。
やっぱり、キースは近寄りにくい人だ。
と、ニキは思った。
「あ、そうだ」
とランは思い出したように言った。
「カイ、あなたには黙っておこうと思ったんだけどね」
そして、小さなチップを見せる。
「何ですか? それは」
「この中には、ゾーイに入っていた情報のコピーが入っているの。
ガイドロボットにはその機能はないはずなんだけど、アレックスが付けてくれていたのよね」
「情報のコピー?」
「そう、あなたが消そうと思っていた情報も入っているかもね」
カイは絶句する。
「僕らが騒いでいる時に大人しくしていると思ったら、そんなことをしてたんだ」
とキースが関心して言う。
「もう、どうでもいいですよ」
と今度は、カイがわずらわしそうに言った。
「一応、ゾーイは置いてきたんだし、それだけ報告しておきます。
大体、僕をこんな問題に巻き込んだ連中に仕返しをしてやりたいぐらいですから、丁度いいです」
ランは、カイの思いがけない態度に関心しながら言った。
「あっさり言うけど、なんだか、ひねくれてない?」
カイはそっぽを見る。
ランは、初めに戻ったなと思う。
彼もまた不機嫌なのだ。
そしてエレベーターのドアが開く。
森の木々はざわめいていた。