41話 暴走
宇宙空間に浮かぶ青い惑星ウォータープラネット。
長い間、その惑星に寄り添うように過ごしてきた巨大宇宙ステーション・ヴェラム。
今、その封印されていた巻物のようなヴェラムが動き出す。
ヴェラムは衛星軌道を外れ、十八機の人工衛星に道を開けようとする。
そうして人工衛星たちは、ウォータープラネットを取り巻くように位置し始めた。
「誰にも止められないって、どういう意味だ!?」
アレックスは怒鳴りながら、慌てて暗号の解読に勤めようとする。
アプローズは動きを止め、答えない。
まるで何も聞いていないかのようだ。
アレックスは、またアプローズの気まぐれが始まったと思い、放っておくことにした。
今は、彼女の気まぐれに付き合っている暇はない。
「私のせいじゃないわよ」
しばらくして、アプローズは言った。
アレックスは手を止めるとアプローズを見て言った。
「止められないって、どういう意味なんだ?
とにかく、説明してくれ」
アプローズは何かを言おうとして、また、一瞬、動きを止める。
「ヴェラムか?」
アプローズはアレックスを見る。
その表情は混乱しているようだ。
「ヴェラムはなんて言ってるんだ?」
と、アレックスは言った後で、今はアプローズとヴェラムの会話を聞く時間はないと思った。
「いや、ヴェラムは、君に情報の提供をして欲しくないってことだろ?」
「あの人たちは、戻ってこれないと思うわ」
アプローズが言った。
「何だって!?」
「それに、ヴェラムは、あそこからフィリアも出さないって言い出している」
「フィリア? モーリス・キャンベルの娘の? 誘拐されて死んだと言う?」
「そう、そのフィリアよ。
ただし、死んではいないけれどね。
フィリアは、ウォータープラネットで冷凍睡眠していたのよ。
12歳の時に誘拐されて助け出されたのだけれど、それでおしまいではなかった。
彼女は、当事者たちが生きている限り、命を狙われることになってしまったのよね」
「その当事者たちは、とっくの昔に死んでるじゃないか?」
アプローズは、厳しい表情でアレックスを見る。
「では、なぜ、フィリアの病気の治療法は見つかっていないの?
このシステムが作られて百六十年以上経っている。
私がここへ来て百年経っているのに、何も変わっていない。
いえ、一つだけ変わったことがあるわ。
フィリアが誘拐される原因となった同じ情報が、再びシステムに入ってしまったのよ。
私たちは、フィリアを守らなければならない。
ヴェラムは、フィリアが危ないって言う。
もうマザーコンピューターに従わず、自分でフィリアを守るって言っているわ」
「マザーコンピューター? それはあの惑星にあるのか?」
「いいえ、キャンベル財団の中にあって、ヴェラムを支配し、十年ごとのリストを作っているコンピューターよ。
フィリアが生きている事実も、暗号文としてその中に隠されているわ。
暗号文を解く鍵はあの惑星にしかないから、カイが捜しているのは、それなんじゃないかしら。
もしそうだとしたら、その暗号文が見つかってしまったということね。
とにかく、マザーコンピューターは、フィリアの病気を治してあそこから出したいと思っている。
でもヴェラムは」
と言って、アプローズは再び止まった。
それを振り切るように頭を振る。
アプローズの金髪の髪が乱れ、金色の火花が散る。
「ヴェラムは、フィリアがあそこにいる方が安全だと言っている」
「安全?」
「そう、だから、もしフィリアが死んだら、ヴェラムは絶対に許さない」
「だから戻って来れない?」
「そうよ、でも安心して。
たとえそうなったとしても大丈夫よ。
あそこは、人間が一生、生きていけるようになっているのだから。
私としては、フィリアにあそこから出てきて欲しいのだけれど・・・
ヴェラムの言うように、あそこの方が安全なのかもしれないわね。
どちらにしても、もう、誰もヴェラムを止められない。
もうすぐ、滑走路のコンピューターも気付くわ。
そうしたら、あの施設全体は海の底へ沈んでしまう。
治療法が完成しなければ、フィリアは、そう長くは生きられないわね。
どちらにしても、あの人たちは、そのフィリアと共にあそこで生きていくのよ。
ニキのおとぎ話の世界の中でね」
「なん・・・」
アレックスはそう言いかけて黙った。
そして、長い時を経て、それぞれのコンピューターが混乱し暴走している、そして独自の道を歩んでいるんだと思った。
「それは出来ません!」
カイがキースをさえぎって言った。
キースが振り向く。
「まだ治療法は完成していません。
フィリアを外へ連れ出すわけには行きません」
「それはやってみなければ分からない」
「完成させなければだめです」
「じゃあ、ここでフィリアの病気を治す手だてがあるのか!?」
「フィリアをもう一度、冷凍しましょう」
「何だって!?」
「まだ間に合います。 彼女は完全にリバイブしていない」
「フィリアをここに残せと言うのか!?」
カイは、オリビアを見る。
「ここで、治療法は見つけられません」
オリビアは答える。
「いいえ、ここで見つけるのです。
あなたたちを去らせるわけにはいきません」
キースが言った。
「カイ、君がフィリアを連れて行けないのは、彼女が生きていることを知られてはまずいからだろ?」
カイはそれには答えないが、今度は、ランが聞いた。
「どういうことなの?」
「今、ユリア病の情報流出が問題になっている。
キャンベル財団は、この問題に一切係わろうとしない。
それは不思議だと思っていたんだが、フィリアの誘拐事件が関係しているからかもしれない。
もしここで、フィリアが生きていることが分かれば、キャンベル財団も黙っているわけにはいかない。
キャンベル財団の影響力は大きいから社会の混乱を引き起こす恐れがある。
その資産総額は、国家予算ほどあるんだ」
「そうです。
そうでなければ、ヴェラムほどの宇宙ステーションも維持できませんからね。
とにかく、これ以上、社会を混乱させる訳にはいきません」
「それは、自分の側に有利に働かせたいからだろう?」
ランは、二人の言い争いを聞きながら事態が混乱していると思った。
それに、ここから出られるかどうかも分からないのだ。
「分かったわ。 フィリアの存在は、今でも社会にとって脅威ということね」
その言葉に、キースはランに怒って言った。
「じゃあフィリアを犠牲にしろって言うのか!?
遅かれ早かれ、この問題は明らかになるんだ!」
「ちょっと待ってください」
その時、ニキが言った。
目覚めたフィリアが、ゆっくりと上体を上げ、起き上がるところだった。
台の上を覆っていた冷気の白い煙が乱れ、フィリアの真っ直ぐな長い髪がさらさらと揺れる。
そして、ニキを見た。
「あなたは、ニキでしょう?」
フィリアは微笑みながら言った。