40話 誘拐
「ようこそいらっしゃいました」
その声は凜として品があり、透き通っていて、意思の強さを感じさせる。
そして、キースは、聞き覚えのある声だと思った。
「木の入り口で、我々が招待されていると言ったのは、あなたでしょう?」
「そうです。 あなた方は招待されています」
「その理由は?」
「フィリアです。 フィリアを迎えに来てもらいました」
「フィリアを? 彼女は生きているのか?」
オリビアは、それには答えようとしない。
「あなた方は、まだ、ユリア病の治療方を完成していないのですね?」
その顔に憂いが浮かぶ。
「長い時を待ったというのに・・・」
そして、沈黙がある。
「それでは、ここで完成してもらいます」
そのオリビアの言葉に全員は驚く。
「ここで!?」
カイが言った。
「はい、そうです」
「そんな設備は、」
「あります。 ここにはすべてが揃っています」
その時キースは、この施設は、ユリア病の治療のためにあるのかもしれないと思い始める。
「私たちは、もう長い間、待ちました。
それに、私たちは、ユリア病の治療法が、あと一歩のところで完成しているのを知っています」
「では、完成するまで待ってくれ」
キースが言った。
「あなた方は、完成させるつもりがあるのですか?」
オリビアは静かに、そして、いぶかるように言った。
「無いのでしょう? だからフィリアはさらわれたのです。
ですから今度は、私たちが、あなた方をさらうことにしました」
「何だって!?」
全員は、呆然とする。
キースは、このオリビアが人間ではないと自分に言い聞かせながら考える。
本物のオリビアは、すでに死んでしまっている。
つまり、ここでは、コンピューターがすべてを管理しているのだ。
とは言え、コンピューターに人間を誘拐する能力はない。
長い時と、その間に起こったことが、システムに影響を及ぼしているらしい。
それに、ユリア病の治療方の同じ情報が、百年以上も経て、再び入力されたことも問題を起こしているはずだ。
では、どうするか?
「我々は、まだフィリアがどこにいるのかさえ知らないんだ。
そして、何があったのかも。
こんな少ない情報だけで、はいそうですか、と従うわけにはいかない」
キースは言った。
オリビアは、ゾーイを指差す。
「あのロボットに、すべての情報が入っています。
それを見れば分かるでしょう。
あなた方と、私たちが違うのは承知しております。
あなた方は、データより信頼関係を重要視するようですから、私たちより、あのロボットの方を信じるのでしょう?」
キースはゾーイを見た。
ゾーイは、ばつが悪そうにキースを見る。
「それらを、我々に調べろというのか?」
「それ以外に方法はありますか?
そうであれば、それに合わせましょう。
どちらにしても、あなたがたは、ここから出られないのです」
キースは模索する。
信頼関係についてはさて置き、ゾーイに入っている情報を確かめるだけなら、その方がやりやすい。
だが、もたもたしているわけにはいかない。
そのすべてを、今ここで明らかにする時間はない。
この施設は、まだ、フィリアの治療にどのくらい時間が掛かるかを知らないらしい。
それを知られて、施設が潜水してしまってはまずいのだ。
滑走路が浮上している限り、ここの位置は外から確認できる。
潜水してしまえば位置は分からなくなり、脱出するのは難しくなる。
「フィリアは、今まで眠っていました」
オリビアは言った。
「そろそろ起きる頃です。
さあ、治療を始めてください。
そして治療が無事に終われば、あなた方はフィリアを連れて外へ出られます。
フィリアを治すまでは、あなたがたをここから出すわけにはいきません。
もう、誰も邪魔をすることは出来ないのです」
その口調から、オリビアの意思の固さを感じる。
いや、それはこの施設全体の意思だ。
その奥深くに深くに潜入してしまったキースたちには、選択の余地はないように思える。
「フィリアに会わせてください」
カイが言った。
「フィリアは本当に生きているのですか?」
「こちらへどうぞ」
とオリビアは言って、その花のつぼみのような中へ入っていった。
花びらのようないくつかの壁を抜けると、そこには部屋があった。
中央には寝台があり、その寝台は白くて明るい。
そこから冷気の煙が静かに流れ出し、床に落ちている。
透明なドームのような蓋が付いていたらしく、今は、それが羽のように開いている。
その羽の間、白い煙の中に少女が寝ていた。
カイは、急いでそこへ行くと、少女の脈を計る。
「かなり遅いけれど生きている! 今、リバイブしているところです!」
その少女は、白いローブをまとい、肌は、抜けるように白く、頬と唇が淡いとピンク色をしている。
体温もまだ低い。
そして、目をゆっくりと開ける。
その目は、ウォータープラネットのような明るい青色をしていた。
キースがオリビアを振り返って言う。
「我々だけでは無理だ!」
オリビアは振り向く。
「なぜです? 必要なものがあれば揃えます。
人間スタッフがいるのであれば、ホログラムで増やすことも出来ます。
そのためのリストでもあったのです。
メンバーの人数には制限がありませんでした。
キース、あなたが最小限度の人数にしたのですよ。
それでも、私たちは対処できるように準備しています。
リストの中に、必要な情報が入っています。
キャンベル財団のマザーコンピューターが、そのために作ったリストです」
その時、キースは、このプロジェクトの本当の目的に気がついた。
フィリアを生かすためにすべては動いていたのだ。
「フィリアをここから連れ出す」
キースが言った。
その時、ヴェラムに、係留許可の依頼が入る。
コントロールルームにいるアレックスは、その知らせのスクリーンを見た。
「あ、帝国の水補給船だな。 予約されていたんだ。 へぇ、珍しいな」
それを見ていたアレックスは、急に、異変に気が付く。
突然、ヴェラムが、その船に待機命令を出したのだ。
そして、ヴェラム全体に、きしむような音が響く。
次の瞬間、すべてのスクリーンが暗号文に変わった。
「あらあら、やっぱり失敗しちゃったのね」
アプローズがアレックスの後ろから言った。
アレックスは、あのランが言っていた何も入っていないファイルのスクリーンを見る。
そこにも暗号文がどんどん入ってくる。
「しまった!」
アレックスは叫んだ。
ヴェラムのシステムは、宇宙ステーション全体が緊急体制に入ったことを知らせる。
そして衛星軌道を離れ、惑星から遠ざかる準備を始めた。
「もう無理よ。 誰にも止められない」
アプローズが言った。