31話 温度
アレックスは、いくつかのスクリーンを見ながら考えていた。
人工衛星が、ウォータープラネットの気候情報をヴェラムに送ってくる。
スクリーンには、その人工衛星から送信された情報が、暗号のかたちで音も立てずに一行ずつ足されていく。
惑星の気候は穏やかで、あまり変化はない。
ウォータープラネットは、今、遅い春を迎えている。
一年中で、一番、穏やかな季節だ。
ヴェラムの整備点検は、いつもこの季節に行われる。
「と言うことは、あそこに降りる可能性を考えていたってことか」
アレックスは独り言を言った。
そして、別のスクリーンに目をやった。
ランが言っていた空のファイルだ。 過去にさかのぼっても何の記録もない。
そして、何かを入れてくれとでも言うように、カーソルだけが空しく点滅している。
ヴェラムも静かだ。
「十年に一度の整備点検が終わったから、しばらくは静かだろうな」
静か、と言ったところで、全く静かなのに気がつく。
いつのまにかアプローズは歌うのを止めていた。
アレックスはアプローズを捜す。
すると、コントロールテーブルの反対側にあるスクリーンを見ている彼女を見つけた。
その顔が青く照らされている。
それを見て、急に記憶がよみがえった。
そうだ、ニキがこんな風にウォータープラネットを見ていた。
「どうしたの?」
アプローズがアレックスを見ると言った。
「いや、君があんまり静かだからさ。」
アプローズは、ふふっと笑うと、小首をかしげアレックスを見る。
「レクシーを誰だと思ってたの?」
その質問に、アレックスは喉をぐっと押さえる。
「誰か女の人って思ったんでしょ?」
「あれは、マフィーのつもりだったんだろ?」
アプローズは頭を少し下げ、アレックスを見上げるようにして言った。
「そう、こんな風に」
「マフィーは冷凍保存されていたのか?」
アプローズは横を向き、それには答えない。
「どこから来たんだ?」
それにも答えない。
「あんな小さな犬が一人ぼっちで寂しかっただろうな。
人間を見つけることができて良かったよ」
「そんなの簡単よ。 キースに会えるよう導いたんだし」
アプローズが答えた。
「じゃあ、キースが犬を飼っていることを知っててやったんだ」
「あら、それはリストを作る前からすでに分かってたことじゃない。
あなたの波乱万丈な学生時代の記録もね。 結構、面白くて、私は好きだわ」
アプローズは椅子をくるっと回すと言った。
「あなただって、今、面白いと思っているんでしょう?」
「君も楽しそうだな」
アプローズは嬉しそうに答える。
「今のところはね、順調に進んでいるし」
「ゾーイとは連絡しているのか?」
「ゾーイ? 出来るわけないでしょう? シールドが邪魔してるんですもの」
「何だか君は、ゾーイをあまり好きじゃないみたいだけど」
「そうね~、ゾーイはいい子なんだけど、私よりヴェラムの方と仲がいいのよね」
そう言うと、アプローズは、またウォータープラネットが写っているスクリーンを見る。
「人工衛星のエネルギー・ブロックシステムって何だ?」
アレックスが聞く。
「惑星の大気を安定させるものでしょう?」
アプローズはスクリーンから目を離さずに答えた。
「そんなことは分かってるさ。 そうじゃなくて」
その時、一瞬、アプローズは止まった。
「どうした? マルファンクションか?」
アプローズはうんざりするように言った。
「ヴェラムよ。 また文句を言ってきたわ」
「ヴェラムが? 何て言ったんだ?」
「#&*%って」
「は? それじゃあ分からないだろ? 訳せよ」
アプローズはため息をつき、言い始めた。
「ヴェラムが、いい加減にしろ、って言うから、
私が、どういう意味よ、って言ったら、
ヴェラムが、おしゃべり女、って言うから、
私が、あなたに言われたくないわ、って言ったら、
ヴェラムが、自分の分を弁えろって、言うから、
私が、自分の分を弁えてないのはあなたの方でしょ? って言ったら、
ヴェラムが、こっちは弁えている、そっちは長い間だましていたくせに、って言うから、
私が、だまされる方が悪いんでしょ、って言ったら、
ヴェラムが、・・・」
と、延々と続く。
アレックスは、アプローズの言っていることを聞きながら、気が遠くなっていくようだった。
要するに、あれだな、と思う。
え~と、あれってなんだったけ、とも思う。
そうだ、こんな感じ、知ってる・・・
「夫婦喧嘩。」
と言うと、アプローズがキッとアレックスを見た。
「失礼ね! 私は独身者のはずでしょ!?」
と怒られる。
「そんなに長いのか? 一秒ぐらいしかなかったと思うけど」
「一秒もないわよ。 0.97くらいよ」
「分かった、もういい」
と言うと。
「ちょっと! あなたの方が聞いたんでしょ? これからが本題だって言うのに!」
と言って続ける。
それを聞きながら、アレックスは思った。
この次は妖艶な女はやめて、可愛い恋人にしよう。
いや、それも痴話喧嘩に巻き込まれる恐れがある、その対策も必要だな、などど構想を練ることにする。
そして、ふっと顔を陰らせた。
何かを見落としているような気がする。 そして、ヒントはもう貰っている。
何だろう? 何を見落としてるんだろう?
その頃、キースたちは、マフィーと共に森の中を進んでいた。
森の中は明るかった。
上からの光は、木々の枝をくぐり、たくさんのスポットライトがステージに降り注いでいるかのようだ。
光の届く地面は柔らかく肥えていて、下草と共に花も咲いている。
下草も生い茂るほどではなく、よく管理されている。
健康な森は、木の匂いと共に、花の甘い香りが漂っていた。
森に来る人はなく、獣もいないので道はないが、たまにロボットが作業したような跡を見かける。
人工的な音もないので、本物の自然のようだ。
空気の通りが良く、そよ風が拭くと、木々の葉が衣擦れのような心地よい音を出す。
その葉擦れの音と共に、鳥の声も聞こえる。
蝶や蜉蝣が飛び、時には、忙しそうにミツバチが通り過ぎて行く。
ランは、向かってきたミツバチをよけた。
「この森の昆虫たちは、人を刺したり襲ったりしませんから安心して下さい」
ゾーイが言った。
「それは嬉しいわね。 虫は苦手だわ」
「おそらく、鳥と虫がバランスを保ちつつ、ここの植物の育成を助けているんだろう」
キースが位置を確かめながら言った。
初めは先を歩いていたマフィーも、今はキースの横を一緒に歩くようになっていた。
カイが植物を観察しながら言う。
「始めの頃からすると、花の種類や開花の時期も違います。
おそらく、セクションごとに温度が違うのでしょう。」
「そうだな、気温が上がっている、防護スーツの温度調整をした方がいいな」
と言って、キースは、体温を下げる設定をした。
そして、キースは木の上を見ながら言う。
「日が暮れそうだ。 夜を明かす場所を探した方がいい」
「えっ? まだ、こんなに明るいのに?」
ランが驚く。
「森は暗くなるのが早いんだ。 すぐに夜がくる」
キースが言った。