26話 柱の林
海の底のような薄明かりの中、柱の林は途切れることなく続いていた。
その中を、キースとカイ、そしてゾーイは先へと進んでいく。
柱の直径は二メートル以上もあり、柱と柱の間は開いているのだけれど、重なり合うように立っていて先が見えない。
行けども行けども、同じ所にいるようで、このまま、柱と薄明かりの世界から抜け出せないのではと思ってしまう。
それでも、奥の方はほのかに明るく、それが少しずつ近付いてくる。
キースは、小型スキャナーのスクリーンを見ながら言った。
「通信はこのあたりから途絶えるみたいだ。 動くものは何一つ無いし静かだ。
ゾーイ、あの犬の声がした所は、まだ先なのか?」
「はい。 今、計算し直している所ですが、あと一キロ先のはずです」
ゾーイは黙々と二人の後を付いていく。
カイは、意気揚々と歩くキースの背中に向かって言った。
「機嫌がいいですね」
キースは、カイを振り返り、晴れやかな顔をして答える。
「僕の仕事は終わったからね。
まあ、本当に終わってるのかどうかは分からないんだけれど、少なくとも会社が要求した分は終えた」
カイは、キースの機嫌がいいのはそればかりではないと思っている。
「犬の声はそんなに面白いですか?」
キースはフッと笑う。
「ああ、面白いね。
ヴェラムで仕事を終えた時にホログラムの犬に遭遇し、ここでも仕事を終えたと思ったら、今度は犬の声だ。
今までは、ウォータープラネットに来ることが僕の目標だったんだ。
それが達成され、ちょっと不完全燃焼のまま目標が無くなったなと思ったら、もっとすごいものが待ってるかもしれないんだ」
カイは、呆れたように言う。
「犬の声から、そんなことまで考えるのですか?」
それに対し、キースは陽気なままでいる。
「君には、そんな余裕はないか。 大変のようだしね。
それに君が捜しているのは、ユリア病の過去の記録だけだとは思わないけど」
カイは、それには答えない。
「それだけだったら、何の問題もない。 初めからそう言えばすむことだ。
君は医者でスパイじゃないから、うそは上手くないよね」
カイは、笑った。
「そうですね、僕は医者です。
実際、自分は、何でこんな所にいるのかと思ってますし」
「それは、君が騒動に巻き込まれたからだろ?」
カイはキースを見る。
「言ったよね。 リストは一年前に作られていたって。
君が巻き込まれたのは、それより前かどうかは知らない。
とにかく、リストが出された後、医師たちは、全員、君と同じように巻き込まれているんだ。
元々騒動に係わっている医師もいたけれど、全く畑違いの医師もいて気の毒にと思ったよ」
「・・・大学は、今、二つに割れています」
「知ってる。 それはユリア病のせいだってこともね」
「そうです。
ユリア病は子供の病気です。
潜伏期間が長かったので、初めは大人でも掛かると思われていました。
研究が進み、薬が開発され、患者は普通の生活をし、普通の一生を送れるようになりました。
遺伝や伝染についての心配はないと言われていますが、未だにはっきりした原因は分かっていません。
退化説もあるほどです。
とにかく、毎年、この研究のため、莫大な予算が充てられているのに、長い間、研究の進展はありません」
「そうじゃないだろう?
その予算の大半は、ユリア病の研究には充てられていないと言う話だ」
カイが立ち止まる。
キースも止まると振り返り、続ける。
「それに、今回、発見されたと言う治療方も、かなり前から分かっていたはずだ」
「そこまで知っていましたか。
確かに、その膨大な研究費が他所に流れていて、他の病気の研究のためだと言われています。
実際、その成果はありますから、今まで問題視されず、黙認されてきました。
ですから、この病気を知らない学生も増えたりしたんです。
とにかく、大学では、改善したい側とそうでない側に分かれています」
「で、」
キースは、カイを覗き込むように言った。
「君は、どちらの側なんだ?」
「ご想像にまかせますよ」
キースは、緊張を解いたように言った。
「まあ、どっちでもいいさ。
双方とも複雑だし、問題があることには変わりは無い。
大騒動しているらしいじゃないか」
カイは苦笑いする。
「確かに、どちらも大変のようですね。
とにかく、今回、状況を難しくしているのは、内部告白のやり方なんです」
「それは、君がやったのか?」
「まさか、僕ではありませんよ。
やるとしたら、もっと違うやり方にしますね。
告発者は、これに関わっている特定な誰かを狙っていたのかもしれないし、もっと別の目的があるのかもしれません」
「そうだね~。 背後には、大手の製薬会社や政府などが関わってるらしいしね。
そのお金の使い方も、それに深く関係しているってことだ」
カイは、キースを見たが、何も言わず、そして前を向き歩き出す。
「君も大変なことに係わってしまったね」
キースも歩き出すと言った。
「そうですね。 まだ水面下ですが、この問題を収拾するのは大変でしょうね。
僕としては放っておこうかと思ったのですけれど、そのままにしておくのも目障りです」
「だから、ここへ来たか。
つまり、ここにある何かが問題収拾の鍵を握っているって訳だ。
まあ、そんなことだろうとは思っていたけれど。
それは、何なのかな」
「だから、それは何度も言っているように、ユリア病の初期の情報です」
「つまり、情報は、故意に歪められたってことか」
「まあ、そう言うことです。
自分の益のために情報を歪めるなんて、歴史では珍しいことではありませんからね。
ユリア病と診断された子供は、一生涯、その薬を飲み続けなければならないんです。
そうやって製薬会社は客を確保し、大会社へと成長していきました。
宇宙植民地時代の終わりの混乱期に乗じて始まったことです」
「それに大学も関わっているなら、三つ巴だな・・・」
「そうですけれど、僕としては係わりたくなかったし、早く病院へ戻りたいです。
こんな問題は、僕には邪魔としか言い様がありません」
キースは笑う。
「ほら、だから言ったろ。 君は、僕の見方になってくれるって」
「そうでしょうか? そんな簡単な問題でも無いと思いますよ」
「そうだな、簡単に問題が解決するか、と言えば無理はある。
秘密が多すぎるんだ。
実際、なぜ、ニキの名がリストの最初に載せられていたのかも疑問だしね」
「ニキは、ビアトリス大学のスカラシップを受けていたんですよね。
それなのに、自分が、キャンベル家のゆかりの者だと言うことを知らないみたいですけれど」
キースは驚いたように振り向いてカイを見た。
「そのくらいは知っていますよ。
オリビアとモーリス・キャンベルの親族の子孫だと証明できれば、奨学金をもらえるってことくらい」
「そうか・・・もう、それを活用する者はいなくなっていたからね、珍しいんだけれど。
彼女は、オリビアの姉の子孫というだけで、キャンベル財団とは何の係わりもない。
それに、リストのニキの名前に、ソーシャル・アナラシスの会社からの推薦も付されていたんだ」
「その会社とは?」
「分からない。
一般のアナライスをしている、名も知られていない小さな会社だ。
ニキとの接点もない」
「ニキと話して何か分かったか?」
しばらくの沈黙の後に、キースが聞いた。
「ニキは、普通の娘でしたよ」
カイが答える。
「だろうね」
そう二人は言って歩き続ける。
「ですが・・・何かを負っていますね」
「どういう意味だ?」
「意味・・・そうですね。
病院は、人の病気を治す所ですが、死もあります。
そして、多くの患者たちは、特に子供たちは、そこで精一杯生きています。
そんな感じでしょうか。」
「ああ、ニキの父親は、彼女が八歳の時に事故死しているから、辛い思いをしているよね」
カイは止まった。
「キース、あなたは、自分でニキに確かめてみたことはあるんですか?」
その時、ゾーイが言った。
「この地点で、犬と思われる声が発生しました」
突然、キースは歩く速度を上げる。
「空気が、今までとは違う」
「確かに、何でしょう?」
カイも後に続く。
前方の柱が途切れ、急に明るくなった。
そして、キースとカイは、そこに立ちすくむ。
そこに広がっているのは、森だった。