16話 もう一つの仕事(その1) 滑走路
ニキは、オブザーバトリーで、ヴェラムでの最後の夜を過ごすつもりでいた。
ニキにとって、この数日間は風のように過ぎていき、終わって欲しくないとも思う。
尊敬していたジェイクの助手としての仕事も楽しかったし、何より、この美しいウォータープラネットを自分の目で見れたのは嬉しかった。
もう二度と来ることはないかもしれないヴェラムで、今夜はゆっくり惑星を見たいと思っている。
それはニキにとって、過去からの思いに一区切りつけるような夜になるのかもしれない。
父が逝ってしまった後、母子で支え合い、母と二人で生きてきた。
そうしてニキは思春期を過ごし、勉強し、社会に出た。
ニキには、心の中に封印していた思いがある。その封印を解くかどうか、ずっと迷っていた。
あの青い惑星は、その答えを教えてくれそうな気もする。
父を失った時から、母が話してくれるようになったウォータープラネットは、ニキの心に染み付いていた。
そこへ突然、メンバー全員に、ミーティングルームへ集合するよう連絡が入った。
ミーティングルームでは、アレックスと共にゾーイもいる。
それを見たニキは、アレックスに近寄って小声で聞いた。
「アレックス、どうしてゾーイがここにいるの?」
アレックスも小声で答える。
「キースが連れて来いって」
「え~っ? やっぱり怒られるの?」
「まさか、オレは何も悪いことはしてない」
「ほんと? だといいけれど」
と心配するニキに、『ああ、いつものニキだ』とアレックスは安心する。
そして、そんな自分が可笑しく思える。
最後に入ってきたキースは、メンバーを見渡すと、前置きもなしに言った。
「明日の出発は延期する」
この突然の知らせに、メンバーの反応は様々だ。
すでに事情を知っているジェイクは、皆の後ろで事態を見守っている。
カイは、表情を変えない。
ランは、余裕を見せてながらキースが次に何を言うのかを待っている。
アレックスとニキだけが驚く。
そしてキースは続けた。
「明朝、惑星N2H-EEOR-TJM-3、通称ウォーター・プラネットに降りる」
「ちょっと待てよ! いきなり!? 」
アレックスが声を上げる。
キースは、一呼吸置くと説明を始めた。
「いや、すまない。
急にこんなことを聞かされたら、誰でも驚くのは当たり前だ。
ただ、メンバーの中には、すでにこの事態を予想していた者もいる」
「予想?」
アレックスは、また驚く。
「知っての通り、我々の主な仕事はヴェラムの整備点検だ。
ヴェラムの目的は水の供給で、そのための給水用タンカーもある。
タンカーは、水補給のためウォータープラネットとの間を航行する。
しばらくの間、使われていないタンカーだが、惑星での発着に支障があれば、本部に報告しなければならない。
簡単な修理であれば我々でするし、手間が掛かるようであれば報告書を提出する」
「ここから、修理は出来ないのか?」
アレックスの質問に、ジェイクが答える。
「何がどうおかしいのか、降りてみないと分からない状態だ。
惑星施設は使用することなく保存されていて、ここと同じように自動管理システムがある。
長い間使ってないから、単なる劣化故障なのかもしれないがね」
「一旦、本部に戻って、対策を練った方が良くないか?
オレたちは、あの惑星に降りる準備をしていないんだ」
それにキースが答える。
「シャトル機がある」
「あのシャトル機か?」
「そのために準備してあったんだ」
「なんだって!?」
アレックスは聞き返す。
「つまり、初めからそのつもりだったんだ!」
キースは、穏やかに答える。
「いや、その確率は低かった。
それでも、今までで一番高いのも事実だ。
惑星の施設がこれだけ長く放置されていれば、劣化故障の可能性は高くなる。
いずれ、誰かが行かなねばならないことは、本部でも分かっていたんだが、今まで問題視されなかっただけだ」
「どれくらいの期間、人はあそこに降りてないんだ?」
「少なくとも百六十年間、誰も降りていない」
「百六十年?」
アレックスは、はっとする。
百六十年と言えば、ビアトリス大学が創設されたころだ。
キースは続ける。
「最も、百年前にもタンカーは降りている。
資材を運び込むことと給水で、タンカーは無人だったが無事に仕事を終えたと記録されている」
アレックスは、そんな説明だけでは納得しない。
「つまり、今生きている人間で、誰もあそこへ行った者はいないってことじゃないか?
そんな所へ整備点検チームのオレたちだけで行け、と言うのか!?」
その質問に対し、キースは声を低くして答えた。
「いや、君は行かない。
言っただろう? あのシャトルは、自動操縦だって」
アレックスは息を飲む。返す言葉が見当たらない。
「僕は、惑星に降りてもいいですよ」
沈黙を破ってカイが言った。
「キース、あなたが言うように、僕はこの仕事を依頼された時から、あの惑星に降りる可能性を考えていました。
実際、興味もあします」
「そうだね、僕たちとしても、ドクターが一緒なら心強い」
ランも続ける。
「私も同じよ、コンピューターのエキスパートとしては、私も行かなくちゃね」
カイとランの冷静な態度に、アレックスは何も言えない。
そして、自分だけが熱くなっているのに気付く。
自分が場違いのことを言っているようにも思えてしまう。
キースは皆に会社の契約書を見せ、一文を指摘する。
「今まではやらなかっただけで、元々、滑走路を点検する作業は契約内にあるんだ。
それでも、もし惑星に降りる場合、保険会社としては、このチーム全員に、退職金ほどの特別手当が支給されることになっている」
「退職金!?」
これには全員が驚いた。
ニキは、思わず言った。
「あの・・・私、入社したばかりですけれど・・・」
「もちろん」
と、キースは続ける。
「それは退職金ではない。そのまま仕事を続けて良いし、自分の好きな部署を希望して移動しても良い」
「つまり、それほど危ないんだ・・・」
アレックスは、ぼやくように言った。
「いや」
キースは、それを否定する。
「そうであってはならないんだ。
昔は人が普通に行き来していた所だし、それが長い間放置され、今生きている人間で誰も降りたことがないと言うだけだ。
たとえ危険だとしても、全員、無事に帰路に着く、それが、僕の仕事なんだ」
「キースは、そのためにコーディネーターとして準備してきたんだよ」
ジェイクが言う。
「ジェイク! あんたも知ってたのか!?」
アレックスの質問に、ジェイクは続ける。
「私は、今まで三回もこの仕事をしてきたからね。
惑星に滑走路があることは知っていたし、いつかは誰かが行くと思っていた。
ウォータープラネットは、とても美しい惑星だ。機会があれば、自分でも行ってみたいとも思っていた。
まあ、これが最後のチャンスだったけれどね」
アレックスは、まだ合点がいかないようだ。
キースは、そんなアレックスにあきれたように言う。
「僕は、もしこんな事態になった場合、真っ先に君が行きたがると思ってたんだけど」
アレックスは、我に返ったとでもいうように、ふっと笑いながら言った。
「いつもだったらそうさ。
今生きている人で、誰も行ったことのない、二百年前に建設された施設に降りれるんだぜ?
こんな、ゾクゾクすることはないね。しかも、破格のボーナス付きと言うじゃないか。
そうなんだけれど、何かが引っかかるんだ。なんか、やばいって・・・」
考え込むアレックスに誰も何も言わない。
「まあ、これも仕事の内だったら仕方がないさ。
キース、君はこの事態を予想してたんだし、オレの出る幕じゃないよ。
で、オレは、皆が危ない目に遭っても、ただここで待っているだけなのか?」
さばけた様に質問するアレックスに、キースはほっとしつつも説得するように答える。
「もし、君が言うような危ない事態になるようなら、その対策も考えてある。
だから、君には残ってもらうんだ」
「それで、下へは誰が降りるんだ? カイとランは志願してるし、もちろんジェイクも行くんだろ?」
その問いに、キースは答える。
「一人はここに残ってもらいたい。だから、君以外、全員降りる」
「えーっ! ニキも!?
それだったら、ニキを残した方が良くないか?」
「いや、ジェイクに助手は必要だ。ランの補佐は僕が出来るけれど、ジェイクの補佐はニキなんだ。
それにアレックス、君は優秀なパイロットだけでなく機転がきくし技術もある。
だから、ここで待機していてもらいたいんだ。
下の様子は、通信回路を開いておくし、モニターも作動させておく。
必要ならば、僕の指示を待たずに自分の判断で動いてくれ。
そのために君をこのメンバーに選んだんだ。
たとえ君がジェイクの補佐をすると主張しても、ニキをヴェラムに一人で残すわけにはいかないと思っている」
「・・・それも一理あるな。」
と納得するアレックスとは反対に、ニキは、この会話を『エッ? エ~ッ』と思いながら聞いていた。
アレックスは振り返ると、ニキに言う。
「ニキ、上司の命令だ。 がんばれよ」
ニキは声が出なかった。