なんであなたはそんなに嬉々揚々としているの?
今日も休楽街。私も彼女も昨夜の泥酔に懲りず、こうしてまた出歩いている。黒いハットを深く被る静香が嬉しそうに口を開いた。
「昨日行けなかったあのお店に行こう。今日は私が奢る。」
手を大きく動かして一点を指差す彼女。静香は色褪せたチラシが何重にも貼られている壁を指差していた。足を運んでから壁に前で立ち止まる。けれどやはりなんの変哲もないただの壁だ。
「あのお店ってどこ?これただの壁だよ?」
「知らないの?今日のお昼に粒話 (光の粒子を用いた通信装置の略称) で話したじゃないか。この壁から入れるんだって。」
生暖かい吐息を吐きながら私は恐る恐る体を壁に近づけた。コートの中に突っ込んでいた手を出して壁を触る。ざらざらと砂の感触を確かめた後、私は体重をかけて前に壁を押した。けれど壁は動かない。ただ押せば押すほど自分の指に力が跳ね返ってくるだけだ。指の限界がまもなく来る。
「やっぱり壁だよ。ただの壁でしかない。」
「押せば開くと思ったのかい?」
クスクスとおかしそうに笑う声が後ろから聞こえていたことに私は気づいた。体を壁から離して私は静香に正対した。手を口元に近づけて笑う静香に私は尋ねる。
「隠し扉とかじゃないの?じゃあどうやって入るの?」
「壁は壁だ。壁のままでは動かない。ちょっと下がって。」
静香は私のすぐ横に入り込んでその手で壁を叩いた。手の甲でコツコツと律動的に数回叩いた。コンクリートの硬い壁がその振動を伝える。じきに反対側からも叩く音がした。
そういうことね。これは分からないわ。
粉塵が巻き起こる。それに少し安堵した静香。私は満足げに壁を見る。
「神奈、開くぞ。」
先ほどまでチラシで汚されたコンクリートの壁は今、砂埃を出して動いていた。人一人分が通れるかどうかの狭さの通路に繋がった。照明はなく、通路の長さも分からない。暗闇へと続くその通路の中へ静香は歩き出した。
「こんな内部通路が長いなんて、何か変なことでもしてるの?」
私の問いに先を進む静香が応える。
「最近は規制が厳しくなって、休楽街も大きく変わった。だから今から行くのは規制から逃れた20年前の休楽街最盛期の世界。」
建物の中であるはずなのにその通路は非常に長かった。静香の話を聞いて期待を膨らませる私は先を進む静香の背中を追いかける。
「粒話で少しだけ最盛期の頃の休楽街を見たことがあるけれど、それを実際に体験できるんだ。楽しみだな、神奈。」
静香の声が長く狭い通路の端から端まで響き渡る。私は「そうね」と相槌をする。しばらく進むと人の声が聞こえ始めた。今度は打撃音、楽器の音色。するとようやく静香が立ち止まった。
「今度は神奈がするか?」
「リベンジするわ。」
すると静香は通路の端に体を寄せた。目の前にあるのは行き止まりだった。けれどそれはただの行き止まりではないのだろう。先ほどと同じように私は手の甲で軽く叩いた。すると向こうから尋ねられる。
「前時代の愚か者は?」
そばにいた静香が誇らしげに唱える。
「カース・ヴェルジ。」
しばらくして返答がある。
「…正解だ。」
誇らしげな顔をする静香。それを見て私はむぅと頬を膨らませる。情報格差は生きる世界を変えてしまうのだから。
「今度、粒話始めてみようかしら。」
「それいいじゃん、私が教えるからさ。」
そんなこんなで行き止まりであったはずの壁がまた動き出した。広がる隙間から放たれる大量の輝きと賑やかな喧騒。静香は私の手を取って先に入った。赤青黄色のネオンライトが空間を彩る。リズムをわざと崩した独特な生演奏が耳を犯す。静香は私に振り返って笑顔で言った。
「どうだい、最盛期の休楽街だよ。」
「まだちゃんと見てないから分かんないよ。静香は感動したの?」
「まぁ、みてるだけじゃ感動できない。だから早く遊ぼう。」
ビリヤードをする人、小さな舞台で踊る人。それを眺めて酒を飲む者。大きな円卓で食事をする者。そんなごった返しの空間の中で、静香は一点を指差した。
「ほら見て神奈。あれをしようか?」
静香が指差した先を見る私の顔には小さな笑みが滲んだ。それを見る静香は子供みたいに笑った。
「お金持ってきてるの?」
「一応、全財産。私が出してあげるからいつもみたいに勝ってくれよな。」
微笑みかける静香。冷静な私は軽く応える。
「どうだろ。人の金なら大負けしても面白そうだなぁ。」
「さすがにやめてくれ。」
割と真剣な答え。まあ当たり前よね。
向かいながら私は静香と談笑を続ける。だんだん近づいてくるそれは幼少期からの見慣れた物だ。
「それにしても静香って最近、金欠なの? こんなのじゃなくて、少しは自分で正しく働きなさいよね。」
「あくまで私は静香が好きだろうと思って連れてきたんだ。金はあっても困らないけどそれだけが理由じゃない。」
それは本当だろう。神奈の家は裕福だから。
必要以上に豪勢に装飾された卓と椅子。その椅子に私が座ると、すぐに静香も隣に座る。ニヤける静香。黒い蝶ネクタイの若い男性が卓でトランプを混ぜていた。
「お二人は初めてですか?」
「えぇ、初めてここへ来た。」
「そうですか。では初めてだそうなので解説が必要ですよね。」
「解説は、別にいい。やりながら覚えるから。」
静香は淡々と応えた。
でも本当は初めてじゃない。
しかしそれを信じる男性の目は輝いてしまう。トランプを混ぜながら彼は口笛をふき出した。それに対して静香は笑いを堪えきれなくなってうずくまる。私もまた口角が上がりそうなのを止められない。
どこでも金稼ぎの合図は同じなのか、と。
じきに口笛によって集まった人々が椅子に座り始めた。卓の椅子はすぐに満員になる。そうして蝶ネクタイの男性が高らかに告げた。
「さぁ、休楽街一のアメリカンポーカーの始まりです!」
卓に座る人々は深い笑みを浮かべていた。口笛という合図により保証された最高の未来を想ってのことだろう。けれどそれを見る私と静香のニヤけは止まらない。今にもふき出してしまいそうだ。トランプが一枚、また一枚と配られていく。私は小さな声で囁いた。
「連れてきてありがとう。久しぶりの対人ポーカーね。」
「ああ、是非に。」




