4鏡の中、ちょっと近い
前回の続き
アリシアは続ける。
「私たちは、この森で不審な魔具を調査しているだけ。
もし中に迷い込んだ者がいるなら……保護する義務があるの」
美しい声だ。
嘘を言っているようには聞こえない。
だからこそ――怖かった。
「どうか……出てきて。傷つけたりはしないわ。ただ、お話がしたいだけ」
近衛兵たちも、王女の言葉に合わせるように姿勢を正す。
アリシアは鏡面に映る自分の姿に視線を落とし、ほんの少しだけ微笑む。
その笑みは狡猾さと邪悪さすらも滲ませていた。
「ねえ……聞こえていますね?
あなたが怯えているのが分かるの。大丈夫……私が必ず守るわ」
その言葉に、ティアの顔色が失われた。
ユウトは、ティアの指が震えているのを感じる。
守る――
その言葉ですら、ティアにとっては恐怖の対象なのだ。
ユウトは小声で、ティアの耳元に囁いた。
「……出ないほうがいいんだな?」
ティアは涙が浮かんだ目で、首を何度も横に振った。
「だめ……ユウト様が見つかったら……
勇者として……殿下に……」
そこまで言ったところで、ドン、と外から軽く叩く音がした。
アリシアが、鏡を指先で優しく叩いている。
「ねえ……中の人。返事をして?」
その声音は、ただの呼びかけなのに――
逃さないという意志に満ちていた。
ティアの肩が小さく震え、握るユウトの袖に力がこもる。
その震えに気づき、ユウトはそっと顔を寄せて囁いた。
「……どういうことだ?なぜ俺が勇者なんだ。
どうして殿下は俺を狙う?」
ティアは唇を噛んでいた。
言いたくない、でも言わなければユウトは動けない――
そんな葛藤が目に浮かんでいる。
そして、ユウトの胸元に顔を寄せるようにして、
かすかな声で言った。
「……ユウト様は……境を渡って来たから……」
ユウトの眉が動く。
(境を渡って、この世界に……)
ティアは続けた。
「この国では……伝承があるの」
「境と境のあわいから現れた勇者は、光を反射して魔をはらう者って……」
ユウトは思わず息をのむ。
(境を渡った……確かに俺は、あの光の膜を抜けた。しかし――)
ティアの目が必死に訴える。
「殿下は……ずっと勇者を探してた。
国を救うために……どうしても欲しいの。
だから……もしユウト様を見つけたら……絶対に……!」
ティアはそこで言葉を飲み込み、
声にならない震えだけが残った。
ユウトは、彼女の言葉を完全には否定しない。
異世界に来た理由も分からない。
説明できない現象も見た。
それに――兵士たちの反応も明らかに普通ではない。
だが同時に、
境を渡ったから勇者という理屈がそのまま信じられるほど従順でもない。
ユウトは静かに思った。
(……本当にそれだけか?
ティアは嘘をついてはいないように見える。
だけど――説明がざっくりしすぎている。
何かを隠している可能性もある)
ティアが震える声で言葉を重ねる。
「本当なの……信じて……
殿下に見つかったら、ユウト様は……勇者として捕まってしまう……!」
ユウトはティアの肩に手を置き、落ち着くようにそっと押さえた。
だがその瞳には、
まだ判断はしない、という静かな警戒が宿っている。
「……ティア。話してくれてありがとう。
でも、俺は全部をすぐに信じるわけにはいかない」
ティアは胸が締めつけられたような表情になる。
ユウトは続ける。
「俺を守ろうとしてくれてるのは分かる。
だけど……今の説明だけじゃ判断できない。
勇者って何なのか、殿下が何を望んでるのか……
もっとちゃんと聞かなきゃ、動けない」
ティアは、唇を震わせた。
「……ごめ……ごめんなさい……
全部……言えない……
でも、ユウト様が危ないのだけは……本当なの……!」
ふたりの間に、わずかな沈黙。
その沈黙を破るように――
アリシアの声が再び響いた。
「……中の方?あなたが隠れている理由はどうでもいいの。
ただ、出てきて話をしましょう」
ユウトの背筋が強張る。
ティアの指が痛いほど握る。
王女の声は優しすぎるほど優しいが、
その奥にある意志は鋼のようだった。
緊迫の中、ユウトは判断を保留したまま身を固めている。
アリシア王女が鏡面に向かって静かに語りかけていたそのとき――
森の奥から、地響きが鳴った。
「……え?」
ティアが顔を上げた次の瞬間、
木々が大きく揺れ、湿った土を蹴り上げながら何かが飛び出してきた。
巨大な獣。
だがただの獣ではない。
牛ほどの体躯に狼の四肢。
肩の骨が外側へ盛り上がり、
皮膚の隙間から赤黒い光が漏れている。
ティアが小さく叫んだ。
「……ブラッド・ヴォルグ!?
こ、こんなの……ここに出るはずないのに……!」
その声には恐怖よりも、先に 驚愕 があった。
ユウトは思わずティアを見る。
(こんなデカいの、連中だけで倒せるのか……?)
外の近衛兵たちが一斉に武器を構える。
「殿下! 後方へ!」
「囲め! 正面を取らせるな!」
ブラッド・ヴォルグが喉奥から獣の唸りを響かせ、
一気に距離を詰めて飛びかかった。
近衛兵ひとりを狙った跳躍。
風圧だけで草が千切れる。
槍を構えた兵士が咄嗟に受け止めたが――
「ぐっ……!!」
鋼の柄が悲鳴を上げた。
ただの体当たりで槍がしなるほどの怪力。
二名の兵士が横から斬りかかるが、
魔獣は身をよじり、骨のような肩をぶつけて弾き返す。
金属が軋む音が響く。
「な、なんて強さ……っ!」
ティアは声をひそめて言いながら、
しかし目を輝かせ始めていた。
「ユウト様……すごい……見て……!
あれ、絶対に群れからはぐれた、亜種……!
そうじゃなきゃ、あんな体の光り方しない……!」
(……いや楽しんでる!?)
ユウトはツッコミたい気持ちを飲み込む。
魔獣はさらに暴れ、三名の近衛兵を薙ぎ払うように尻尾を振り回した。
その速度は、視認が追いつかないほど速い。
「くそっ……! 攻撃が通らん!」
「装甲が厚すぎる! 脚を狙え、脚を!」
別の兵士が叫ぶ。
魔獣はその声に反応したかのように跳躍し、
二階建ての家ほどの高さまで瞬時に飛び上がる。
そして――
兵士たちの頭上めがけて急降下。
「伏せろ!!」
ドォンッ!!
大地が揺れる。
兵士たちが体勢を崩しながら転がった。
ティアは思わず口元を押える。
だが、その瞳は恐怖と同時に 好奇心で輝いていた。
「すごい……すごいユウト様……!
あれ、上級騎士団でも苦戦するレベル……!
しかも一体で突っ込んでくるなんて……前代未聞……!」
ユウトは困惑を隠せない。
(いや、なんで楽しそうなんだ……!?
怖がってたんじゃなかったのか……?)
外では再び、近衛兵たちが陣形を整え直す。
その動きは洗練されている。
さすが王女直属の精鋭部隊。
背後から二名が槍を突き出し、左右から斬撃。
前方から盾で押し込んでいく。
四方同時攻撃。
だが――
ブラッド・ヴォルグはすべてを読んだように動いた。
背中の骨が一瞬赤く光ったかと思うと、
衝撃波のように周囲へ力が弾ける。
「くっ――!」
盾を構えた兵士が吹き飛ばされ、鎧にヒビが入る。
魔獣はその隙を逃さず飛びかかる。
アリシアが指先を上げた。
「風縛」
見えない力が魔獣の脚を絡め取ったように、動きが止まる。
ティアが息を呑む。
「出た……! 殿下の風系魔術……!」
だが、魔獣はすぐに力でそれを破り、アリシアに向かって吠えた。
アリシアは怯まず、一歩前へ。
「悪いけど、この森で暴れられては困るのよ」
魔獣が再び突進する。
アリシアが左手を横へ払う。
「風刃!!」
風の刃が飛び、魔獣の肩を浅く裂いた。
血ではなく、赤く光る霧が散り散る。
ティアはぞくっと震えて――
表情をほころばせてしまった。
「やっぱり……すごい……!こんな近くで見られるなんて……!」
ユウトはティアの様子に少しばかり引いた。
(完全に楽しんでる!?)
だが外の状況は笑えない。
魔獣はまだ健在。
近衛兵たちは消耗している。
アリシアは冷静だが、本気で倒しにかかる気配はまだ見せていない。
戦いは一進一退。
魔獣の攻撃は苛烈を極める。
ティアの声が震えた。
「ユウト様……あれ……本当にヤバいやつ……
だけど、でも……すごい……すごすぎる……」
怖がりながらも、心のどこかで心躍るものを抑えきれない。
ユウトは呆れつつも、その横顔から目を離せなかった。
外では魔獣が再び跳び上がり、
アリシアと近衛兵たちは真正面から受け止める。




