19 仲間……
前回の続き
「……じゃあ、俺たちは?」
「別の荷車に乗れ」
指差されたのは、布で覆われた粗末な荷車だった。
荷物を運ぶ荷車。
人を運ぶための造りじゃない。
座席も、窓も、衝撃を和らげるものもない。
「護衛は?」
ユウトが問う。
周囲には近衛兵がいる。
なら当然、同行するはずだ。
王女は、逃げ道は用意しないと言った。
そのための監視がつく――そう思っていた。
近衛兵は、へらっと笑った。
「俺たちは行かない」
ユウトの目が、険しくなる。
「……は?」
「お前たちの味方は、もうその中にいる」
軽い言い方だった。
笑っている。
だが、その笑いが、人を道具として扱う笑いに聞こえた。
そう言って、御者に合図を送る。
馬が動き出す。
「おい、待て!」
ユウトが踏み出す。
だが、止まらない。
兵は止めない。
むしろ、押し戻す。
ユウトとティアは、押し込まれるように荷車へ乗せられた。
「そいつらは戦えないから、砂漠に放っておくんだ!そうすれば奴が来る!」
進む車に兵が叫んだ。
(何を言っている?)
ユウトはあっけにとられて、離れて行く景色を見ていた。
「座ってくれ。揺れて仕方ない」
御者が言った。
布を下ろすと、眩しすぎる外の光が遮られた。
突然、世界が狭くなる。
湿った藁の匂い。
汗の匂い。
干した布の匂い。
人の体温の気配。
ガタリ、と車が動き出す。
荷車の床板が軋み、足元から衝撃が伝わる。
窓がないせいで、外の景色も距離感も分からない。
ただ揺れだけが現実を告げる。
「……どういう意味だ、味方って……」
薄暗い車内で、ユウトは周囲を見る。
そのとき――
奥のほうで、何かが動いた。
藁が擦れる音。
布が揺れる音。
「……誰かいる」
ティアが、息を呑む。
藁の影から、女性が顔を上げた。
ぼろ切れ同然の服。
土と血で汚れた肌。
頬はこけ、唇は乾いている。
だが、その体つきだけは、異様に目立つ。
豊かな胸と、はっきりした腰のライン。
痩せているのに、線だけが濃い。
現実世界で言えば“セクシー”と呼ばれる種類の、強い身体。
明らかに、普通の王国民とは違う。
「……ギャリオン族……」
ティアが呟く。
女性は、疲れ切った目で二人を見ている。
敵意はない。
だが、警戒はしている。
目が、何度も逃げ道を探すように揺れる。
慣れている目だ。
捕まることにも、運ばれることにも。
「……怪我してるみたいだが……」
ユウトがそう言うと、女性は何も言わず、顎で奥を示した。
「……こっちの方が、ひどいよ」
低く、掠れた声。
声量がない。
それでも、言い慣れている言い方だった。
ユウトは、慌てて藁の奥へ目を凝らす。
そこに――
目を見張るような筋肉質の身体を持つ男が、横たわっていた。
同じ民族だろうか。
全身の傷跡に血が固まっている。
腕も、脚も、まともに動けそうもないのが一目で分かる。
筋肉があるのに、力が抜けている。
身体から生命力を感じない。
意識はないのだろうか。
呼吸は小さなものがある。
ユウトの喉が、ひくりと鳴り、女性を振り返る。
「これ……城の中で、やられたのか……?」
信じられない、という声だった。
女性は、短く頷いた。
「尋問」
一言だけ。
それで十分だった。
ティアが、震える声で言う。
「……そんな……」
ユウトは、拳を握りしめた。
(王女が支配する城の裏では、これが起きている)
「俺たちに味方がいる、って……こういうことか……」
近衛兵が言った味方。
それは、保護を受ける協力者ではない。
歓迎された仲間でもない。
差別されたのか、消耗品として使われたのか。
怪我人、だった。
城を出る時の兵の言葉。
砂に埋められる前提の――囮として使えということか。
「できるはずがない……」
声が、震えた。
怒りだけじゃない。
裏切られた、という感覚。
そして、怖さ。
この城が思っていたより深い闇を持っている怖さ。
女性は、淡々と言った。
「城は、きれいな場所じゃない」
「でも……王女は……」
ユウトは、言葉を探す。
綺麗であってほしい。
少なくとも、理屈があってほしい。
女性はユウトを見て、はっきり言った。
「あの人は……綺麗」
その言葉は、慰めにならなかった。
希望でもなかった。
ただの事実の説明だった。
重い沈黙が落ちる。
荷車は城門を抜け、舗装のない道へ入った。
揺れが大きくなる。
石畳の硬さが消え、土が柔らかくなる。
そのぶん、車輪が砂を噛み、激しく跳ねる。
ティアが小さく尋ねる。
「……あなた……名前は……?」
女性は、少し迷ってから答えた。
「……サリ」
名前を出すのが怖い、という迷いだった。
「私は、砂漠の民」
そして藁の上の男に、視線を落とす。
「この人は……兄」
声が、ほんの僅かに揺れた。
「……生きているだけ、奇跡」
ユウトは静かに息を吸った。
(……俺たちは、討伐に行くんじゃないのか)
(……使い捨てだって?勇者じゃないのか、どういうことだ)
その現実が、胸に重くのしかかる。
胃が痛い。
喉が乾く。
それでも、今は飲む水もない。
「……ティア」
小さく呼ぶ。
「……何があっても、離れるな」
ティアは、強く頷いた。
「……はい……」
指先が、ユウトの袖をぎゅっと掴む。
それは、一緒にいるという合図でもあり、
ここにいる、という確認でもあった。
荷車は、ゆっくりと城を遠ざけていく。
王女の命令と、城の裏側と、そして味方という名の犠牲者を乗せて。
布の隙間から差し込む光が揺れ、車内の影が、二人と二人の輪郭を不気味に歪ませる。
砂漠への道が、すでに始まっていた。
そしてユウトの胸の中では、地下で聞いた老人の声が、まだ消えていなかった。
――逃げろ。
だが逃げ道は、最初から縛られていた。
荷車が城から遠ざかるにつれ、道はどんどんと荒れていく。
最初はまだ、石畳の名残があった。
車輪が規則正しく跳ね、揺れも一定で、身体が慣れていく余地があった。
だが、数刻も走らないうちに、石は途切れ、土が顔を出す。
乾いた土はすぐに粉になり、細い砂が舞い、布の隙間から入り込んでくる。
石畳は消え、乾いた土と砂が混じる道になる。
やがて礫が転がる道なき道となった。
揺れは大きくなり、車体が上下に叩きつけられる。
木の板が軋み、藁が擦れる。
荷車そのものが、ギャッギャッと悲鳴を上げているようだった。
車内の藁がずれるたび、男の身体がかすかに動く。
そのたびに、包帯の擦れる音がして、血の匂いが濃くなる。
ユウトは、男の額に手を当てた。
熱い。
汗が浮き、皮膚が不自然に張っている。
怪我の痛みだけでこんな熱は出ない。
身体が内側から燃えている。
この熱は、まだこの男の体が、生きようとしている証拠だ。
ユウトは、喉の奥で唾を飲み込む。
「……感染してる」
口に出すと、現実になってしまう言葉だった。
だが、目を逸らしても治らない。
ティアが、唇を噛む。
迷いが顔に出る。
何か言いたいのに、言えない顔。
「……薬……あるけど……」
小さな声。
ユウトは、すぐに振り向く。
「あるのか?」
ティアは、首を振りかけて、止めた。
その動きが、まるで自分を戒めるみたいに見えた。
「……でも……」
ティアは懇願するように、目に涙を浮かべてユウトを見た。
ユウトは、即座に言った。
「使え」
「でも……」
ティアの目が揺れる。
“高い”の意味は金額だけじゃない。
希少で、二度と手に入らないかもしれないという意味もある。
「迷うな」
ユウトの声は、珍しく強かった。
「今使わなきゃ、意味がない」
揺れの中で、ユウトは男の首を支え直す。
これ以上揺らせば、傷が開く。
だが支える腕も限界に近い。
ティアは一瞬だけ目を閉じた。
何かに祈るように。
そして胸元から小さな布袋を取り出した。
布袋は擦り切れているのに、丁寧に縫われている。
何度も握りしめられてきた形だ。
中から出てきたのは、淡く光る小瓶。
光は強くない。
けれど、暗い荷車の中でははっきり分かる。
まるで夜に残る星の欠片みたいに。
「……これは……」
サリが息を呑む。
目が見開かれ、声が詰まる。
「治癒の精製薬……」
サリの声には、驚きよりも、恐れが混ざっていた。
それは、触れてはいけないものを見る目だ。
「これなら、何でも治るから」
ティアが、ぎこちなく言う。
自分に言い聞かせるように。
ティアは震える手で栓を抜く。
指先が小瓶を滑らせかけ、慌てて握り直す。
揺れの中で、香りが立った。
薬草と蜜と、金属のような清涼感。
鼻の奥が一瞬で醒める匂い。
ユウトは男の身体を支え、口元に瓶を当てた。
「飲め……頼む……」
祈りに近い声。
少量を慎重に流し込む。
一気に入れれば咳き込み、吐き出される。
だからほんの少しずつ。
舌に触れさせ、喉に流れるのを待つ。
男は、かすかに喉を鳴らした。
その音が、ユウトの胸を締め付けた。
生きている。
まだ、生きている。
数分。
最初は変化がない。
やがて、荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
吸う息が深くなり、吐く息が長くなる。
体温も、わずかに下がった。
ユウトは額の熱が引くのを手のひらで確かめ、ようやく息を吐いた。
サリが、両手で口を押さえた。
「……助かる……」
震える声。
泣いてはいない。
泣く余裕がない。
ただ、声だけが揺れる。
「……ありがとう……」
ティアは、首を振る。
「……生きて……ほしいだけ……」
その言葉は、サリだけじゃなく、ユウトにも向けたものに聞こえた。
生きてほしい。
命令でも義務でもなく、願い。
ユウトは深く息を吐いた。
「……間に合ってよかった……」
だが、安心する暇はなかった。
布の隙間から入り込む風が変わる。
湿り気が消え、乾いた匂いが増す。
砂の匂いが濃くなっていく。
やがて荷車は複数の車列と合流した。
外が急に賑やかになる。
ラクダの鳴き声。
馬のいななき。
人の掛け声。
車輪と鈴の音が重なる。
ラクダと馬に引かれた商隊。
色とりどりの布がひらめき、
荷の上には香辛料の袋、干し肉、革の水袋、道具の束。
香辛料の匂いが、布越しに流れ込んでくる。
胡椒、乾燥した草、焦げた油。
生きるための匂い。
布の隙間から見えるのは、長い列。
「……キャラバンだ」
ユウトが、外を覗いて言う。
サリが、小さく笑った。
苦笑に近い。
「……助かる……」
キャラバンに紛れることで、視線も散る。
追手も、獣も、簡単には近づけない。
「ここからは彼らと一緒に行こう」




