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15世界の外から来る獣

前回の続き


ティアが息を呑む。

「じゃあ、勇者の伝説も知ってる?」

「ああ。伝承と似ているが、それとは違う」

即答だった。

「だが勇者は、世界に選ばれる」

一拍。

「勇者の力は、世界を一方向に固定する力だ」

「決して世界を割る力じゃない」


拠点は丘の裏にあった。

建物というより、地形を削って作られた空洞に近い。

中は意外なほど整っている。

簡素だが、清潔。

境界の外縁にあるとは思えない。

レイは、布袋を取り出した。

「食べ物だ」

「無理にとは言わない」

差し出される乾いたパンと、果実。

ティアが、ほんの一瞬だけためらう。

それを見て、レイは笑った。

「不安か?」

ユウトは正直に答えた。

「……まだ、少し」

レイは肩をすくめた。

「当然だ」

「境界で信じろは、無茶だ」

引っ込める。

「気が向いたらでいい」

その態度に、ユウトは少しだけ安心した。

レイは腰を下ろし、語り始める。

「ここは、境界の外縁」

「世界が決断する前に、必ず一度薄くなる場所だ」

「勇者が生まれる前」

「戦争が始まる前」

「王が、覚悟を固める前」

「……必ず、ここを通る」

ユウトは、病院の待合室を思い出す。

(……呼ばれる前)

「俺は――ここにいる」

レイは静かに言った。

「通り過ぎる者もいる」

「立ち止まる者もいる」

「戻る者も……ごく稀にいる」

「俺は、戻らなかった」

その言い方は、後悔でも誇りでもなかった。

事実の羅列。

ユウトは、しばらく黙ってから尋ねた。

「……あなたが、ここに居続ける理由は?」

レイは、少し考えた。

「聞きたいことは、それか?」

ユウトは首を振る。

「もう一つある」

レイが、初めてユウトを真正面から見た。

「……王女を、どう思う?」

その瞬間だけ、レイの眼差しが変わった。

軽さが消える。

境界を歩く者の顔から、

一人の人間の顔になる。

答えるまでに、ほんのわずかな沈黙が落ちた。

そして、レイは言った。

「……それを聞くなら」

「君も、覚悟が要る」

穏やかだが、逃げ場のない声。

「それでも、聞くか?」

境界の外縁は、静かだった。

「……静かね」

ティアが、うっとりしたように呟いた。

境界の外縁は、相変わらず風も穏やかで、

草の擦れる音すら遠い。

音が“ない”というより、

必要な音だけが残っている感じだった。

レイは、それを聞いて小さく笑う。

「だろう」

「ここには獣はいない」

「狩る必要も、争う理由もない」

「だから、寄りつかない」

ティアは安心したように息をつく。

ユウトは、少し遅れて口を開いた。

「……さっきの質問に、答えてほしい」

レイが、こちらを向く。

「王女を、どう思うか」

その瞬間だった。

――重い音。

ドン、と地面が鳴った。

ユウトは反射的に振り向く。

丘の向こう。

草が、まとめて押し倒される。

「……っ!」

ティアの声が喉で止まる。

現れたのは、獣だった。

大きい。

四足。

皮膚は岩のように硬く、

目だけが異様に光っている。

境界の外縁に似つかわしくない――

現実の質量を持った存在。

レイが、呆れたように息を吐く。

「……あーあ」

ユウトが叫ぶ。

「言っただろ。獣はいないって」

一拍。

「本来はな」

レイは肩をすくめ、マジックミラー号を指さした。

「そいつが連れて来たんだ」

「……は?」

「正確には」

「境界を動かせる物は、嗅ぎつけられる」

獣が、低く唸る。

空気が、震える。

「……つまり」

ユウトが理解しかけた瞬間、

「境界に穴を開けられる存在は、向こう側から見れば――」

「餌だ」

レイは、ようやく一歩前に出た。

表情は変わらない。

獣が踏み込む。

速度は速くない。

だが止まらない。

「ティア、下がれ!」

ユウトが叫び、ティアを背に庇う。

レイは獣から目を離さずに説明する。

「ここには!境界の外縁では、本来――獣は出ない」

「だから、ここには獣を殺すための武器がない」

ユウトが絶望的な表情を浮かべる。

「剣もない。弓もない。罠もない。あるのは、割れかけた世界と、判断だけだ!」

「……ちっ」

レイが舌打ちし、獣の正面から走り出る。

獣が迷いなくそちらへ突進する。

重い。

速い。

一撃でも喰らえば、終わりだ。

だが――レイは、ぶつからない。

寸前で軌道をずらし、境界線すれすれを滑るようにかわす。

獣の爪が空を裂く。

「っ……!」

息が少し荒くなっている。

「早いとこ終わらせないと……」

レイが叫ぶ。

「仲間が集まって来る!」

ユウトが即座に返す。

「仕留めるか!?」

「余計、集まる!」

「……じゃあ、どうするんだ!」

獣が再び突進する。

レイは跳び退きながら、地面に手をついた。

空気が軋む。

境界が――割れ始めた。

「戻れるようにする!」

レイの声が震える。

「元の世界に……押し返す!」

地面に鏡を割ったような裂け目が走る。

向こう側は、

暗く、深い。

「ここに!」

レイが叫ぶ。

だが獣は止まらない。

突進。

回避。

突進。

回避。

レイの動きが、ほんのわずかに遅れる。

(……バテてる)

ユウトは、瞬時に判断した。

戦うんじゃない。

滑らせる。

「ティア、離れるな!」

ユウトは踵を返し、マジックミラー号へ駆け戻る。

荷台を開け、手に取ったのは――ローションのボトル。

業務用。

大量。

「……これでいい!」

キャップを外し、地面へ思い切りぶちまける。

透明な液体が、境界の地面に広がる。

獣が、足を踏み出した瞬間――

「――ッ!?」

ズルッ。

前脚が滑る。

体勢を立て直そうとして、後脚も滑る。

獣は一瞬、立ちすくんだ。

理解できていない。

その隙に、ユウトが前に出る。

「こっちだ!」

声を張り上げ、走る。

獣が吠え、挑発に乗った。

ローションの上を突っ切り、加速――だが。

割れ目の手前で、完全に足を取られた。

「――グオッ!」

立て直そうと足をジタバタさせるも、崩れたバランスは戻らない。

巨体が、仰向けに転倒する。

地面が揺れる。

今だ。

「押すぞ!」

ユウトが叫ぶ。

「ティア、手伝え!」

ティアは一瞬も迷わず駆け寄る。

「はい!」

レイも歯を食いしばり、

獣の側面へ回る。

三人で、全体重をかけて押す。

「……っ、重……!」

「今だけだ……!」

獣が暴れる。

だが割れ目に向かって少しづつ滑り続けている。

「……行け……!」

最後の一押し。

巨体が、割れ目へ傾き――

落ちた。

裂け目が、すぐに閉じる。

まるで、最初から何もなかったかのように。

静寂。

三人は、その場に崩れ落ちた。

荒い呼吸。

しばらくして、レイが笑った。

「……はは……」

「やるじゃないか」

ユウトは、肩で息をしながら答える。

「……武器がなくても……」

「現場には、“必要なもの”があるもんだ」

ティアが、二人を見て――ようやく笑った。

境界の外縁は、再び静けさを取り戻していた。


拠点の部屋は、静かだった。

石と土をくり抜いたような空間だが、壁際には毛布が重ねて置かれ、簡素な寝床が用意されている。

ユウトは、その一つに潜り込み、毛布を肩まで引き上げた。

身体は疲れているはずなのに、すぐには眠れない。

隣では、ティアがすでに横になっている。

呼吸は浅く、だが規則正しい。

――あのあと。

三人でレイの振る舞った食事を、すべて平らげた。

乾いたパンも、煮込まれた豆も、香草の香るスープも。

驚くほど、うまかった。

空腹だっただけではない。

久しぶりに、安心して食べた気がした。

ユウトは、ぼうっと天井を見上げる。

レイは親切だった。

彼なら、聞けば答えてくれる。

境界のこと。

レイのこと。

そして――何も教えてくれなかった王女のこと。

(……明日、聞こう)

考えがそこまで及んだとき。

もぞ、と動く気配。

ティアが寝返りを打ち、そのまま、ユウトにしがみついてきた。

細い腕。

冷たい指。

「……起きてたのか」

小さく声をかける。

返事はない。

だがティアの身体が、ぶるぶると震えている。

寒いのか。

それとも――まだ、怖いのか。

ユウトは、ためらわずに腕を回した。

ぎゅっと、抱き寄せる。

「……大丈夫だ」

囁く。

ティアの震えが、少しずつ収まっていく。

しばらくして、小さな声が胸元から聞こえた。

「……ユウト様……」

寝ぼけた声だ。

「……ティア……?」

返事はない。

だが、話し始める。

夢と現実のあいだで、言葉だけが零れていく。

「……お母さん……」

ユウトは、黙って聞いた。

「……私と二人……だったの……」

小さな指が、ユウトの服を握る。

「……病気で……」

「いつも……寝てて……」

息が、少し詰まる。

「……しばらく……帰らないって……言ったけど……」

声が、かすれる。

「……そろそろ……」

「……心配……するかな……」

ユウトは、何も言わない。

言えない。

ただ、腕に力を込める。

「……会いたい……」

その一言は、とても静かで、とても重かった。

ティアは、それ以上、続けなかった。

すぐに再び眠りに落ちる。

ユウトは、その寝顔を見下ろしながら、

ゆっくりと息を吐いた。

この小さな体温が、胸の中で確かに答えを揺らしている。

毛布の中で、夜は深まっていった。


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