14境界の案内人
前回の続き
ティアは、空を見上げた。
「世界が……切り替わる前の場所です」
ユウトは、息を吐いた。
(……だから、追ってこられない)
城の兵も、王女も。
無意識に、越えない場所。
そのとき――ユウトは、背中に
ぞわりとした感覚を覚えた。
「……来る」
ティアも、同時に顔を上げる。
「……はい……」
遠く。
丘の向こう。
何かが、動いている。
姿は、まだ見えない。
だが、気配だけが先に届く。
足音ではない。
風でもない。
もっと、静かで――重い。
ユウトは、マジックミラー号へ視線を向けた。
ミラーに、草原の向こうが映る。
その中に――揺らぎ。
「……人……?」
ティアは、首を振る。
「分かりません……」
「でも……」
一拍。
「……境界の外縁に来る者は……」
「普通じゃありません」
気配は、ゆっくり近づいてくる。
急がない。
隠れもしない。
まるで、ここに誰かがいることを、最初から知っているように。
ユウトは、深く息を吸った。
(……また、選ばれた、ってことなのか)
逃げ場はある。
だが、逃げる前に――確認する必要がある。
誰なのか。
敵か。
味方か。
それとも――境界そのものなのか。
風が、止まった。
草の揺れが、止まる。
そして。
丘の向こうに、影が、ひとつ。
はっきりと、姿を現し始めた。
丘の向こうから現れた影は、思っていたよりも小さかった。
人影だ。
武器は見えない。
鎧もない。
ただ、歩いてくる。
草を踏む音はあるのに、なぜか威圧感がない。
むしろ――場に溶け込んでいる。
ティアが、無意識にユウトの袖を掴んだ。
「……人……ですよね……?」
「たぶんな」
ユウトは前に出なかった。
ハンドルにも手をかけない。
逃げる準備はするが、先制はしない。
いつもの判断だ。
影は、境界線の手前で足を止めた。
越えない。
それだけで、ユウトは一つ理解した。
(……こいつ、分かってる)
男だった。
年齢は分かりにくい。
若くも見えるし、そうでもないようにも見える。
旅装。
だが、埃がついていない。
どこか、現実感が薄い。
男は、両手を軽く上げた。
「警戒するよな。分かる」
声は、穏やかだった。
「大丈夫。敵じゃない」
「少なくとも、今は」
ティアが、小さく息を呑む。
「……今は?」
男は、肩をすくめた。
「境界の外縁で“今じゃない敵”の話をすると、長くなる」
それを聞いて、ユウトは少しだけ肩の力を抜いた。
(……話が通じる)
男は、マジックミラー号に目を向けた。
興味深そうに、だが不用意に近づかない。
「それ、反射だな」
「しかも……かなり綺麗だ」
ユウトの眉が、わずかに動いた。
「……分かるのか」
「うん」
即答だった。
「君が境界を抜けたとき、見てた」
「城の中で騒いでた連中は、たぶん気づいてない」
ティアが、思わず前に出る。
「……じゃあ……あなたは……?」
男は、ティアのほうを見る。
視線はまっすぐで、嫌な探る感じがない。
「君のことも知ってる」
「怖がらなくていい」
一拍。
「質問、していいよ」
「答えられることなら、全部答える」
ユウトは、少し迷ってから口を開いた。
「……ここは、どこだ」
男は、待ってましたとばかりに頷いた。
「境界の外縁」
「内側でも、外側でもない」
「世界が“選ぶ前”に立ち止まる場所」
ユウトは、思わず息を吐く。
(……さっきと同じだ)
「城から追ってこられない理由は?」
「単純だよ」
男は地面を軽く踏んだ。
「彼らは“属してる”」
「ここは、属さない者の場所だ」
ティアが、小さく呟く。
「……だから……」
男は、ティアを見て微笑んだ。
「君は、半分ここに足をかけてる」
「だから、怖い」
ティアは言葉を失い、ユウトを見る。
男はすぐに付け足した。
「でも、悪い意味じゃない」
「守られてるってことだ」
ユウトは、次の質問を投げた。
「……王女は?」
男は、少しだけ間を置いた。
「鋭い」
「気づいてる」
「だから焦ってる」
それだけで、十分だった。
ユウトは、確信を深める。
(……こいつは、嘘をついてない)
質問すれば、きちんと返ってくる。
誤魔化さない。
煽らない。
信頼するには、十分すぎた。
「……じゃあ、次」
ユウトは一歩前に出る。
「俺たちは、どうなる」
男は、少し困ったように笑った。
「それは――」
「君が決める」
「選ぶか」
「選ばないか」
ユウトは、苦笑した。
「そればっかりだな」
「そういう場所だから」
男は、初めてマジックミラー号から視線を外し、
ユウトを正面から見た。
「ところで」
穏やかな声。
「もう、名乗っていい?」
ユウトは、少し考えてから頷いた。
「……ああ」
男は、軽く頭を下げた。
「俺は――境界を歩く者だ」
「名前は……今は、レイでいい」
“今は”。
その言い方が、引っかかったが、
ユウトは深掘りしなかった。
代わりに、自分の番だと悟る。
「……ユウトだ」
短く。
「現代日本の会社員」
「ただの裏方」
ティアが、慌てて続ける。
「……ティアです」
「この世界の……えっと……」
言葉に詰まる。
レイは、優しく補った。
「居場所を探してる子、かな」
「それで、いいです」
ティアは、少し驚いて――それから、頷いた。
三人のあいだに、静かな空気が流れる。
この人は敵でも、味方でもない。
「……拠点がある」
レイは、境界の線から少し離れた方向を指さした。
「歩いても行けるけど……」
「せっかくだ。久しぶりに呼ぶか」
そう言って、何でもない場所に向かって手を伸ばす。
空気が、きしんだ。
音はない。
だが、空間そのものが一瞬だけ“遅れる”。
次の瞬間――
そこに、乗り物が現れていた。
馬車でも、獣でもない。
金属と布を組み合わせたような、細身の車体。
脚はない。
だが、地面からわずかに浮いている。
「……浮いてる」
ティアが思わず呟く。
「境界用だ」
「地面に属さない」
レイは当然のように言い、振り返った。
「ついて来られるか?」
ユウトは、マジックミラー号を見た。
「……行ける」
エンジンはかけない。
それでも、車体は境界の外縁に馴染んでいる。
レイの乗り物が先に動き出す。
ユウトは、慎重にアクセルを踏む。
マジックミラー号は、地面を蹴るのではなく――反射をなぞるように前へ進んだ。
並走しながら、レイがちらりとこちらを見る。
「……その乗り物は」
風がない。
普通に会話ができる。
ユウトは簡潔に言った。
「マジックミラー号」
「外からは鏡に見える」
「中からは、外が見える」
説明できることは少ない。
「境界を抜けるとき、勝手に……開くことがある」
「理由は、正直、分からない」
レイは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「なるほど」
それだけ。
否定も、驚きもない。
「もうすぐ拠点だ」
レイが前を向く。
「……ひょっとして、前から知っていた?」
ユウトが問う。
レイは、視線を前に戻したまま頷いた。
「伝承にある」
「反射で世界を渡る器の話だ」
ティアが息を呑む。
「じゃあ、勇者の伝説も知ってる?」
「ああ。伝承と似ているが、それとは違う」
即答だった。
その時、ティアが小さな声を上げた。
近くにいたユウトだけが気付いて、視線の先を見る。
行き倒れたような骸がそのままにされていた。
「……」
レイはその様子に気づいていない。
「だが勇者は、世界に選ばれる」
一拍。
「勇者の力は、世界を一方向に固定する力だ」
「決して世界を割る力じゃない」




