10見えない侵入者
前回の続き
ユウトは、そっとエンジンをかける。
――低い振動。
石畳の上を、音もなく、影もなく。
城はまだ、この異変に気づいていない。
城の最上階。
王女の私室。
アリシア・ルミナス・エストリアは、ふと窓辺で足を止めた。
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「……やっぱり、面白い人」
城の中を進む。
ユウトは、ハンドルを握る指先にだけ意識を集中させていた。
歩くよりも少し遅い程度に。
急げば、音がする。異変に気づかれてしまう。
石畳の継ぎ目が、わずかに揺れる。
だが振動は車内に吸収され、外へは漏れていない。
「……ほんとに、誰も気づいてない」
ティアが、声をひそめて言った。
窓越しに見えるのは、巡回兵の背中、松明の残り火、城壁の陰。
誰ひとりとして、何かが動いているとは思っていない。
「この車は、あると分かっていると見えるけど、あると思ってないと、見えないようだな」
ユウトの言葉は、独り言に近かった。
「……ユウト様、こういうの……慣れてるの?」
「仕事柄な。でも見せないより、見せてるのに気づかせないほうが難しいんだよ」
ティアは、よく分からないながらも頷いた。
「ユウト様は上手にできるんでしょ」
「んあ?ま……まあね」
ユウトはたかが、いちスタッフだ。
(調子に乗り過ぎた……)
城の通路は、思ったよりも入り組んでいる。
城の外縁に沿って延びる細い通路は、人の気配がほとんどなかった。
昼でも使われない道だと、ティアは小さく言った。
「……ここは、巡回もあまり来ないはず……」
ユウトは頷き、マジックミラー号をゆっくり進める。
石畳は古く、ところどころ欠けている。
城壁の影が長く伸び、音が吸い込まれるように静かだった。
やがて前方が開け――同時に、行き止まりだと分かる。
高い石壁。
城の内部に作られた袋小路。
裏門へ続くはずの小道は、鉄格子で閉ざされていた。
「……あれ?」
ティアの声が震える。
「前は……抜けられたはずなのに……」
ユウトはブレーキを踏んだ。
距離は十分にある。
無理に進む理由はない。
だが、その瞬間だった。
「――そこまでだ」
静かな声が、袋小路に響いた。
背後から、複数の足音。
振り返るまでもなく、包囲されていると分かる。
近衛兵たちが、道を塞ぐように現れた。
逃げ道はない。
ティアが息を呑む。
ユウトはハンドルから手を離し、静かに言った。
「……ここまでか」
抵抗はしなかった。
無理に動かせば、事態は悪化する。
ほどなくして、二人はマジックミラー号から降ろされ、
近衛兵に挟まれる形で歩かされた。
城内。
静かな広間。
月明かりと松明の光が混ざる場所で、
玉座の前に立つひとりの少女が、二人を待っていた。
アリシア王女。
柔らかなドレス姿のまま、
だがその視線は鋭く、逃がす気配は一切ない。
彼女は、まずマジックミラー号へ目を向けた。
ゆっくりと、確かめるように。
「……なるほど」
王女は小さく息をつく。
「やはり、地面に接していないわね」
その一言で、ユウトは初めて、見られていたことを悟った。
タイヤの下。
わずかな隙間。
宙に浮くように、車体が乗っている感覚。
兵たちがざわめく。
「う、浮いて……?」
「しかし、わずかだ……気づかなかった……」
アリシアは視線を戻し、ユウトをまっすぐ見据えた。
「道を壊したわけでも、壁を抜けたわけでもない」
「……あなたは、通れないはずの場所を、通ろうとした」
静かな声だった。
だが、断定している。
「なるほど、自分で動くとはな」
王女の唇が、わずかに吊り上がる。
「――あれも、魔法の力か?」
問いかけではない。
確認だ。
ティアが思わず一歩前に出かけ、兵に止められる。
「殿下……! ユウト様は――」
アリシアは手を上げ、制した。
「いいのよ」
そして、もう一度ユウトを見る。
「答えなさい」
「あなたは何者?」
広間の空気が、張り詰める。
ユウトは、ほんの一瞬考え――そして、正直に口を開いた。
「……分かりません」
兵たちがざわつく。
だが、アリシアは笑わなかった。
むしろ、興味を深めたように目を細める。
「自分の力を理解していない勇者か」
その言葉に、ティアがびくりと震える。
アリシアは続けた。
「なら、なおさら放ってはおけないわね」
逃げ場はない。
だが、敵意だけでもない。
広間の空気は、音もなく張りつめていた。
アリシア王女は玉座から一段降り、ユウトと同じ目線になる位置で足を止めた。
「……あなたを処罰するつもりはないわ」
穏やかな声だった。
むしろ、理性的ですらある。
「この国には、今――勇者の力が必要なの」
ユウトは黙って聞く。
「闇、と呼ばれているものがあるでしょう?」
「正体は、まだ誰にも分からない」
「でも確実に、濃くなっている」
彼女は指先で空をなぞった。
「魔獣の発生頻度。国境付近の小競り合い。そして――戦争の匂い」
ティアの肩が、かすかに揺れる。
「王族として、それを見過ごすわけにはいかない」
「だから勇者が必要なの」
アリシアは、はっきりとは言わなかった。
闇の正体も、敵の名も。
だが、だからこそ現実味があった。
ユウトは一度、息を吸い、慎重に言葉を選んだ。
「……俺には、戦う力はありません」
嘘ではない。
「魔法も分からない。
剣も振れない。
人を傷つける気もない」
王女の眉が、ほんのわずかに動く。
「それでも、あなたは動かした」
「通れない場所を、通ろうとした」
「偶然です」
即答だった。
「俺は、ただ――ぶつからない道を選んだだけだ」
アリシアは微笑んだ。
納得したような、だが、どこか演技めいた笑み。
「そう。あなたは偶然そこにいて、偶然力を持ち、偶然この国に来た」
一歩、距離を詰める。
「では聞くわ。あなたは何者?」
問いは、柔らかい。
だが、逃げ場はない。
ユウトは視線を逸らさず、答えた。
「……現代日本の、ただの会社員です」
広間が、静まり返る。
「撮影スタジオで、機材を扱ってました」
「その帰りに、道に迷って――ここに来た」
事実だった。
誇張も、隠しもない。
「勇者でも、選ばれた存在でもない」
「帰れるなら、帰りたい」
ティアが、息を呑む。
近衛兵の中に、困惑が走る。
だが――アリシア王女だけは、笑わなかった。
「……なるほど」
低い声。
「異界の者。偶然の来訪者。力を理解していない者」
彼女は数秒、黙り込み――そして、顔を上げた。
その目には、失望と苛立ちが混ざっていた。
「つまり」
一歩、強く踏み出す。
「あなたは肝心なことを話していない」
ユウトは眉をひそめる。
「話しました。全部です」
「いいえ」
声が、鋭くなる。
「あなたは、どうしてその力があなたに宿ったのかを語っていない」
「なぜ、あなたなのか」
「なぜ、反射なのか」
ユウトは答えられなかった。
本当に、分からないからだ。
沈黙。
それが――アリシアの逆鱗に触れた。
「……ふざけないで」
静かだが、明確な怒り。
「国が傾きかけている」
「戦争が近づいている」
「その中で、あなたは力を持っている」
王女の声が、震える。
「それなのに、“知らない” “偶然だ” それで済ませるつもり?」
彼女は拳を握りしめた。
「……私には、そうは聞こえない」
ユウトを見る目が、冷たくなる。
「あなたは、秘密にしている」
「私たちを、信用していない」
ティアが思わず叫びそうになり、ユウトが小さく首を振って止める。
アリシアは声を荒げた。
「勇者の力が必要だと言っているのに!」
「国の未来を預けようとしているのに!」
怒りは、支配欲ではない。
拒絶された怒りだった。
「それでも、あなたは距離を取る」
王女は深く息を吸い、そして、断言する。
「――いいわ」
怒りを押し殺すように。
「なら、強制はしない」
だが、その目は燃えている。
「ただし、逃げることも許さない」
「あなたが何者か、その答えが出るまで」
沈黙が落ちる。
ユウトは悟った。
――言いくるめることは、失敗した。
――だが、敵対もまだ決まっていない。
ここは、檻ではない。交渉の場だ。
アリシア王女は、ふっと視線を伏せた。
そして、近衛兵のひとりを呼び寄せ、わずかに身を寄せて、耳打ちをする。
声は聞こえない。
だが、命令であることは明らかだった。
兵は短く頷き、すぐにユウトとティアのもとへ歩み寄る。
王女は踵を返して広間を出ていった。
取り残された空気が、冷たくなる。




