東京タワー大爆破
葵は床に這いつくばり、ジャージの袖で汗を拭った。
「はぁ……はぁ……、ヤベェ、まじで体育嫌いだっての!」
「問題はない。《アト》七回だ。カウントは正確に」
隣で腕立て伏せを続ける徳彦は、重装甲の上からでも寸分の乱れもなく、淡々としている。
「うるせーよ、ノリ! お前は理科も英語もできんじゃねーか!」
「それが何か」
「静粛に」
真紀子所長が放った一言で、ふたりの間の小競り合いは瞬時に凍り付いた。
「百回。よくやった。肉体は君たちの『理』を支える、最も重要な基盤である。休息は不要、直ちに着席せよ」
ふたりは急いで立ち上がり、デスク前の革張りの椅子に腰を下ろした。葵は呼吸を整え、けん玉がポケットで暴れないようにジャージの裾を抑えた。
真紀子の表情は先程の厳格な教官から、冷徹な所長へと戻っていた。胸まである黒髪の青いメッシュが、都心の眩しい日差しを反射している。デスクの上には、先程の戦闘記録タブレットは片付けられ、代わりに一通の無機的なフォルダーが置かれていた。それは、裁判所から直接届いたことを示す、厳重な封印が施された電子文書である。
真紀子はフォルダーにタッチし、ふたりにその画面を見せた。
「新たな任務だ。これは、最高裁判所直轄の『龍理犯罪対策室』からの、異例の要請である」
彼女は、引き締まった腕をデスクに組み、声を低くした。
「対象は、夜野焔。単独龍理テロリストとして現在、公安の追跡リスト筆頭に挙げられている男だ。彼は炎龍理の使い手であり、数ヶ月前から我々の管轄である『違法龍理の残滓』から姿を消し、裁判所への連絡も一切絶っている」
葵は身を乗り出した。
「炎龍だと? やべぇな、あいつ、何しやがったんだ?」
「問題は、これから何をしでかすかだ」
真紀子は冷たく言い放ち、文書の一文を指で叩いた。
「これが、今朝方、最高裁判所経由で我々に下された命令である。――『夜野焔による東京タワー爆破予告に関し、その身柄確保に際し、法田法律事務所に所属する全バウンティハンターの補助を至急要請する』」
徳彦の全身の筋肉が一瞬、硬直した。彼は目をわずかに伏せ、口癖を放った。
「……問題はない。情報はすべて解析済みだ」
「ヤベェ! 東京タワーを爆破だと! 日本のシンボルじゃねーか!」
葵はジャージのポケットからけん玉を取り出し、カチリと一つ技を決めた。
「初任務の借りは返すぜ! マキコ所長、俺がぶっ飛ばしてやる!」
真紀子はふたりの反応を観察し、無言で頷いた。
「今回の任務の期限は、爆破予告時刻まで。猶予はない」
彼女は立ち上がり、ガラス張りの窓に向かって歩み、都心のビル群を見下ろした。
「ヒュウガ、速水。この任務の成功は、君たちの『理』の合理性と、それを活かす肉体の連携にかかっている。筋肉は裏切らない。そして、連携もまた、肉体による修練の成果だ」
真紀子は振り返ることなく、低い声で命令を下した。
「急げ。今すぐ出動だ。私はここで、君たちをサポートする」
「へっ、行ってくるぜ、マキコ所長! こんなところで死んでたまるか!」
葵は立ち上がり、勢いよく部屋を飛び出した。
徳彦は一歩遅れて立ち上がり、真紀子に向かって直立不動の姿勢を取る。
「了解だ。……問題はない」
その声には、冷徹な決意が滲んでいた。彼は無言で一礼し、葵の後を追って部屋を出た。事務所には、再び静寂が戻った。真紀子は、ただひとり、窓の外の東京タワーが建つ方角を、静かに見つめていた。




