第31話
「幸村さん、そろそろ部屋に入ろう」
「はい」
どれくらいの時間星を見ていたのだろう。
何も考えないように無心で空を見上げていた。
先輩もあれからずっと黙ったままだった。
「僕、ここ片付けてから戻るから。先に部屋帰ってお風呂、入ってて」
前回先輩の部屋に行ったときもすぐお風呂に入ったため、今日もそのつもりで準備はしている。
「わかりました。お部屋、お邪魔させていただきます」
先輩から部屋の鍵を預かると、自分の荷物を持って先に部屋へ行った。
玄関には来客用のスリッパが既に置いてあったので、それを履いて部屋に入る。
荷物を置いて脱衣所へ行くと、ちゃんとタオルも用意されている。
「準備いいな……」
私はシャワーだけを浴びた。今日は排水口の髪を取ることも忘れない。
どうすればいいか分からなかったが、取り敢えずティッシュにくるんで脱衣所のゴミ箱に捨てた。
「あとは……大丈夫かな」
風呂場と脱衣所を一通り見渡し、部屋へ戻った。
先輩はまだ帰っていない。
そのままソファーのところへ行き、膝を抱えて座った。
先輩遅いな。
片付け、手伝えば良かった。
でも、少し気まずい。
戻ってきたら、謝ろう。
先輩の気持ちを考えずにキスしたいなんて言ってしまったこと。
気持ちを伝えることは大事だけど、何でも言っていい訳じゃないよね。
困らせてしまうってわかってたじゃない。
もう言わないから、忘れてくださいって言おう――
◇ ◇ ◇
気持ちいい……。
いつの間にか眠ってしまっていたらしく、優しく頭を撫でられている感覚に心地よさを感じていたが――
「っ!!!!」
「起きた?」
「す、すすすすみません」
先輩の膝の上に頭を乗せ寝ていたことに気が付き、飛び起きる。
「いいよ。僕の方こそごめん」
「どうして、先輩が謝るんですか?」
首を傾げると、先輩は私の顔をじっと見つめ真剣な表情になった。
「さっき、幸村さんにキスしたいって言われて怖じ気づいてたんだ。自分がどう思うか自分でもわからなくて……」
先輩は私の頬を包み込むようにそっと手を添えてくる。
その手の温かさにどきりとする。
「でも、幸村さんが可愛い顔して眠っているのを見て、凄く、触れたいと思った。だから少しだけ、指で触れてみたんだ。唇に……」
「え……」
「柔らかくて、熱を帯びていて、指で触れただけなのに凄く、ドキドキした」
先輩はゆっくり手を下ろし、触れていた方の手をじっと見た。
「でも、ドキドキするのと同じくらい怖かった」
先輩の言う怖いとは、私を傷つけてしまうことの恐怖だ。
私も、先輩に拒まれることが怖かった。
実際に少しショックだった。けれどそれで傷ついたりしない。
だって、一緒にいられるでけで幸せだから。
先輩の震える手をそっと握ると顔を覗き込む。
忘れてくださいって言うつもりだった。
でも、やっぱりやめた。こんな顔見たら、そんなこと言えない。
「先輩、もし、少しでもしてみたいって思うのであれば、してみませんか? してみて、嫌だと思ったら、もうしません」
私は本当に自分勝手で欲深い人間だ。
こんなにも、先輩に触れたいと思ってしまう。
「幸村さん……」
先輩の肩にそっと手を置き、ゆっくりと顔を近づけていく。
そして一瞬だけ、触れるか触れないかくらいの、優しいキスをした。
「…………っ」
先輩は自分の頬に手を当て、ゆっくりと離れていく私の顔を見つめた。
「どう、ですか?」
「てっきり唇にするのかと思ったから……ちょっと拍子抜けした」
私が口付けたのは先輩の頬だった。
「嫌、でした?」
「ううん。全然……嫌じゃなかった」
優しく笑った先輩に安心して力が抜けた。
「私、先輩の嫌がることはしたくないです。でも、自分の気持ちにも正直でいたいです。わからないなら少しずつ試していきましょう。何が嫌で、何が嫌じゃないか」
「うん、そうだね。ありがとう」
「取り敢えず、ほっぺは大丈夫みたいですね」
得意気に笑う私に、先輩もいつものようにフッと笑う。
「幸村さん、このまま泊まるよね? 僕はファーで寝るからベッド使って」
先輩はベッドに行くように促してくるが、私は首を横に振った。
「私が、ソファーで寝ます! あんなに真っ白で皺一つないベッドで寝られません……たぶん、髪抜けたりしますし……汚したりとか……いや、それはソファーもですけど……」
自分で言いながらどんどん声が小さくなり、だんだん顔も俯いていく。
「そんなの気にしなくていいよ。僕だって髪は抜けるし汗だってかくよ。人間生きてるんだから汚すのは当たり前。僕も幸村さんもそれは同じだよ。その後の掃除がちょっと過剰かもしれないけど」
「でも……」
「じゃあさ、一緒に寝る?」
「えっ……?!」
「一緒に寝て、一緒に汚したらいいよ」
先輩の言葉に顔を上げる。
汚すのは当たり前。
だとしても、汚れることに対して嫌悪感はあるはずだ。
それが他人のせいならなおさら。
でも、精一杯私に寄り添ってくれているのを感じる。
一緒にいたいと思ってくれているんだとわかる。
先輩は私の手をとりベッドへと連れて行くと、ゆっくりと寝かせるように体を倒した。
優しく布団を掛けてくれ、私の方を向いて先輩も布団の中に入ってくる。
「僕と同じシャンプーの匂いする」
耳元に先輩の顔がある。私は体温が上がって、火照るのを感じた。
「でも、やっぱりちょっと違う。幸村さんの匂い、安心する」
星空を見上げていたときよりも近い先輩の距離に、緊張して言葉が出てこない。
先輩はそっと私の体に腕を回し目を瞑る。
「人の体温ってこんなに温かいんだね。初めて知った」
「先、輩……」
「ありがとう、幸村さん」
耳元で囁き、そのまま眠りについた。
私は少しだけ先輩の寝顔を眺めてから、目を閉じた。




