第30話
「幸村さん、こっち」
「はいっ」
十月の終わり頃、オリオン座流星群を見るため先輩のマンションの屋上に来た。
次は私の行きたいところに行こうと約束をして、それからずっとデートができていなかった。
いろいろ考えた結果、先輩とまた天体観測をしたいと思った。
もう一度家に行くという約束も果たせていなかったこともあり先輩にお願いすると、すぐ了承してくれた。
マンションに着いてそのまま屋上に来たが、天体観測が終わると先輩の部屋に行くことになっている。
「もうこの時間帯は寒いね。入って」
先輩は大きめのレジャーシートの上にラグを敷いてくれていた。
促されるまま寝転ぶと、ふわりと毛布を掛けてくれる。
「ありがとうございます」
先輩は着ているパーカーのフードを被ると隣に寝転び、少し控えめに毛布の中に入ってくる。
同じ毛布にくるまれていることに緊張しながら、星空を見上げた。
「さっき一つ流星が見えたよ」
「そうなんですね! 次もすぐ見えたらいいなぁ」
「肉眼ではすぐには難しいかもね。後で望遠鏡でも見てみようか」
「はい。でも、ここが凄く温かいので動きたくないな、なんて思ってしまっています」
へへっと笑うと、先輩は星空を見上げながら毛布の中で私の手にそっと触れてきた。
そのままゆっくりと指を絡ませていき、手のひらが重なるとぎゅっと握る。
もう、手を繋ぐことは自然なことになっていた。
「オリオン座の一等星のリゲルは八百五十光年離れているんだ。八百五十年前の星の光を見ていることになるんだよ」
「八百五十年前……」
ということは今見ている星の光は平安時代のものということだろうか。
全く想像もつかないが、宇宙とはそれだけ壮大だということだ。
「逆に言うと、リゲルが今の僕たちを見るのは八百五十年後になるね」
「八百五十年後なんてもう孫の孫の孫の孫の孫の孫くらいの時代になってますよ」
何代遡ったら八百五十年になるのかはわからなかったが、適当にたくさん孫と言ってみた。
そんな私に先輩はいつものように優しくフッと笑う。
「僕たちは八百五十年後も星の光に乗って一緒にいるかもしれないね」
「ずっと一緒ってことですね」
八百五十年後なんて私たちはもう生きていない。
それでも、光に乗って一緒にいるなんてすごくロマンチックだなと思った。
「三年前は、流星群、ちゃんと見られなかったな」
三年前とは大学時代サークルでオリオン座流星群を見た年だ。
手が触れて、どうすればいいかわからなくて、避けるきっかけになってしまった出来事。
「それは、私もでした……」
「あの日以来、避けられて嫌われたと思った」
「それは違います。嫌いになるわけないです」
「僕さ、実は付き合うの、幸村さんが初めてなんだ」
「そう、なんですか……?」
確かに先輩に彼女が居るとは聞いたことはなかった。
けれど、大学時代からそれなりにモテていたことは知っている。
まさか私が初めての彼女だったなんて思っていなかった。
「引いた?」
「いえ! そんなわけないです、嬉しいです。だってそれって、初めて、私とは付き合いたいと思ってくれたってことですよね」
先輩は安心したように頷いた。
大人になって、付き合うことが初めてだって打ち明けるのは、勇気のいることだったかもしれない。
でも、私は本当に嬉しかった。
「仲良くなっても僕の行動に引いて離れていったり、そんなことお構い無しにぐいぐいきて僕が嫌になったり、そういうことばっかりだったんだ。でも、幸村さんだけは違った」
「私、何か特別なことしてましたか?」
先輩は寝転んだまま顔だけを私に向けた。その瞳は少し揺れている。
「幸村さんは、出会った頃から僕の嫌がることはしなかった。僕の行動を受け入れてくれて、自然に側にいてくれた。最初は、きっとこの子は気遣いができる子なんだなって思ってた。だけど、幸村さんといる時間は心地良くて、気付いたら好きになってた。好きだって自覚したら自分でも不思議なくらい幸村さんに触れたいって思うようになってたんだ」
だからあの日、先輩は私の手に触れたんだ。
「でも、あの後どうすればいいか分からなかった。避けられても、何もできなかったし言えなかった」
「先輩……」
「だから、凌から幸村さんがうちの会社に入社するって聞いた時、次は絶対にちゃんと気持ちを伝えてようって決めてたんだ」
初めて聞く先輩の想いに、次第に胸が苦しくなってきた。
こんなにも私のことを想っていくれていたんだ。
「私、先輩のことが好きです。嫌われるのが怖くて、苦しくて、逃げ出したくなるくらい」
「僕は幸村さんのこと、嫌いになったりしないよ」
握られた手をぎゅっと握り返し、体ごと先輩の方へ向けた。
先輩のことが好きだ。一緒にいると落ち着くし、それ以上にドキドキもする。
そして、もっと触れたいと思ってしまう。
少しずつ、お互いのことを理解して、距離を縮めていこうと思っていた。
まだ先でもいいと思っていた。
でも、ずっと言えなかった私の気持ち、今言ってもいいだろうか。
「先輩、キス……してもいいですか?」
「え……」
先輩は私の言葉に、目を見開いたまま固まった。
何も言ってくれない。
失敗、した……。
「すみません。やっぱり、嫌……ですよね」
「違うんだ。そういうことをしたことないから自分でもわからない……もし、それで嫌だと思ってしまったら、気持ち悪いって思ってしまったら、きっと幸村さんを傷つける」
「そんなこと……」
「だから…………ごめん」
先輩の最後の『ごめん』だけが何度も頭の中に響いている。
「いえ、いいんです。そうですよね……」
やっぱり言うんじゃなかった。
溢れそうな涙を堪え、また星空を見上げた。
「僕、幸村さんのこと大事にしたいと思ってるから」
先輩も星空を見上げると手は繋いだまま何も話さず、静かに時間だけが流れていった。




