松永side 下
幸村さんのことが好きだと気づいてから、僕の日常が大きく変わった。
好きになってもらうにはどうしたらいいだろう。
彼女は優しいから、誰にでも分け隔てなく接している。
僕を気遣ってくれるのも、特別だからじゃない。
むしろ、潔癖症だということに気を遣い過ぎているとも思う。
もっと近づくためにはどうすればいいのだろう。
この年になってもまともに恋愛なんてしたことがなかった。
しなくていいと思っていた。
彼女なんて作っても面倒なだけだと。
けれど、幸村さんだけは違った。
一人でいるのが楽だったはずなのに、もっと一緒にいたい、もっと知りたいと思ってしまう。
「オリオン座の一等星の一つ、リゲルは巨人の足っていう意味があるんだよ」
「そうなんですか! じゃあ私たちは巨人の足を見上げることになるんですね」
どうでもいいような知識に、柔らかい笑顔で返してくれる。
この笑顔を僕のだけに向けて欲しい。
そんな独占欲まで湧くようになっていた。
潔癖症である僕に気を遣っていることはわかる。
面倒なはずなのに、幸村さんは当たり前のようにそばにいてくれる。
数日後、僕たち四年生にとっては最後のサークル活動になるオリオン座流星群の観察がある。
それが終わればサークルで会うこともなくなるし、他に接点なんてない。
これで終わりなんて嫌だ。
僕は、流星群の日に幸村さんに告白すると決めた。
もし、付き合うことになったとして、関係がどう変わるのかは予想がつかない。
それでも、これからも一緒にいるための方法が見つからなかった。
好きだと伝えたら、彼女になって欲しいと言ったら、なんと答えるのだろう。
「幸村さん、これ。冷えるから」
当日、幸村さんはレジャーシートに寝転んで星空を見上げていた。
その無防備な姿にドキリとして、持っていたブランケットをかけた。
「ありがとうございます」
「僕も一緒に見ていいかな?」
「どうぞ……」
あまり大きなレジャーシートではなく、幸村さんは目一杯端に寄る。
そんなに寄らなくてもいいのに、と思いながら隣に寝転んだ。
どのタイミングで気持ちを伝えよう。
そんなことばかり考えていたけれど、幸村さんはそっと呟く。
「星、綺麗ですね」
本当に綺麗だ。
柔らかく微笑む表情が、長いまつ毛が、白い肌がすごく綺麗だ。
寝転んだ横顔を見ながらそんなことを思った。
もう少し、この時間を楽しんでからでもいいかな。
「オリオン座流星群は一時間に五つくらい見えたら良い方なんだよ」
「けっこう根気がいりますね」
幸村さんは流れ星に願い事とかするのだろうか。
そういうの好きそうだな。
二人でじっと星空を眺める。
穏やかな時間だった。
時折、ちらりと横を見る。
星空を見上げる幸村さんがとても綺麗で、この距離がもどかしくて――。
思わず、指先に触れた。
幸村さんはビクッとして手を引っ込める。
焦ったような表情になり、次第に眉を寄せ始める。
ああ、失敗した。
好きでもない男に突然触れられるなんて、嫌に決まっている。
僕は何をやっているんだ。
ポケットからアルコールティッシュを取り出し、幸村さんに渡した。
黙って手を拭く姿に、何も言えなくなった。
触れるより先に気持ちを伝えないといけなかったのに、それを怠った僕の過ちだ。
結局、その後何も言えないまま流星群は終わった。
それから幸村さんとは顔を合わせることがなくなった。
大学で見かけることはあるけれど、たぶん避けられている。
そんなに嫌だったのだろうか。
正直、かなりへこんだ。
本当は、幸村さんも僕のことを少しは気にしてくれているのではないかと自惚れていた。
卒業して、就職しても彼女ことを忘れることはできなかった。
あんなにも胸焦がれる相手はこれから先も現れないと思うほどに。
就職して一年が過ぎたころ、凌から思いがけない話を聞いた。
「芽衣ちゃん、お前と同じ会社の内定もらったみたい」
「え、それ本当?」
「咲子が言ってたから本当だと思う。他にも内定もらってるとこあるけど、星条が本命だって」
「僕が働いてること咲子ちゃんに言った?」
「まだ言ってないけど」
「絶対に言わないで」
もし、僕がいると知って就職先を変えられたら嫌だ。
諦めていた想い、ちゃんと言葉にして今度こそ伝えないと。
そう思っていたけれど、まさか同じ経理部に配属されるとは。
新入社員の配属先名簿を見てこれはチャンスだと思った。
もう同じ過ちは繰り返さない。
さっさと僕の気持ちを伝えて、意識してもらわないと。
「幸村さん、久しぶり。僕が幸村さんの指導係だから、よろしくね」
「はい……よろしくお願いします」
僕の顔を見ながらじっと固まり、何かを考えている幸村さん。
懐かしいこの感じに胸が熱くなる。
そうやって、もっと僕のことを考えて。
就業後、幸村さんを飲みに誘った。
少し無理やりだったけれど、早くこの想いを伝えたい。
それなのに、考えてもいなかった事実を告げられた。
「――私、先輩のこと、好きだったんです。あの日、流星群の日、一緒に並んで見てて。それで手が、当たりましたよね。その後先輩にアルコールティッシュ渡されて凄くショックだったんです。だって、私は手を拭きたいなんて思わなかった。むしろ、もっと触れたいって思ってしまったんです。先輩にとっては迷惑なことなのに……」
僕のことを好きだった?
触れられて嫌だったなんて、そんなことあるわけないじゃない。
「……幸村さん、勘違いしてるよ」
「勘違い?」
「手が当たったんじゃないよ。僕が触れたんだ」
「え……」
驚いている。
僕から他人に触れるなんて思っていなかったんだろうな。
「好きな人にだけは触れたいって思うの、変かな――」
◇ ◇ ◇
僕をじっと見つめる幸村さんは不安そうな表情をしている。
お風呂に入っていないから、汚いと思っているんだろう。
でも、病み上がりの火照った顔が色っぽく見える。
少しべたついた前髪もなんだか可愛い。
そんなことを言ったら、彼女は引くだろうか。
「幸村さんは、僕がどれだけ幸村さんのことが好きかをもっと知るべきだよ」
「それは……先輩も、どれだけ私が先輩のことを好きか知るべきだと思います」
少しだけ頬を膨らませる幸村さん。
なにその顔、可愛い過ぎるんだけど。
まあ、これからゆっくりお互いのことを知っていけばいい。
この先もずっと一緒にいるのだから。
「じゃあ、ゆっくり休んで、また会社でね」
「はい。ありがとうございました」
また、と手を振り帰っていく幸村さんを見送る。
今まで、たくさんすれ違ってしまった。
これからも困らせてしまうことがあるだろう。
それでも、離れる理由を考えるのではなく、一緒にいるためにできることをしていこうと思う。
僕には、彼女が必要だから。




