第19話
「松永くん、今ちょっといい?」
「うん」
仕事中、先輩は日高さんに呼ばれ席を立った。
隣の総務部のところへ行き、書類を見ながら何か話している。
覗き見しようと思っているわけではないけど、つい見てしまう。
先日佐久間くんが言っていた、お似合いの二人という言葉が気になってしまって。
こうして見てみると確かにお似合いだ。
そして、もうひとつ気づいたことがある。
「松永さーん、こっちも見てもらっていいですか?」
「備品で増やしたいものがあるんですけど、これって経費で通りますかね?」
先輩は、けっこう人気があるということ。
いつも隣にいる先輩のことで頭がいっぱいで、こうして客観的に見ることはあまりなかったけれど、なぜか総務部の女性からよく声をかけられている。
それになんだか一人距離が近い気がする。
先輩、大丈夫かな。
なにも出来ずに遠目から心配していると、日高さんが女性から書類を受け取る。
「それは私が見ておくからちょうだい」
咄嗟に先輩と女性の距離を取る。
自然な流れで、先輩も気にしていないようだった。
日高さん、いつもああやって何も言わずに先輩を気遣ってるんだろうな。
その姿がかっこよく思えた。
私に、同じことができるだろうか。
見習わないとな、と思いながらもお似合いの二人になんだかモヤモヤしている自分がいた。
◇ ◇ ◇
昼下がり、私は書類郵送のために郵便局に来ていた。
会社から歩いて数分のところだけど、順番待ちが長く、思った以上に時間がかかってしまった。
そして手続きが終わり、郵便局を出ようとしたところで雨が降ってきた。
今日の天気予報では一日晴れだったのに。
通り雨だろうか。
止むまで待ってから帰ろうかな。
でも、けっこう時間がかかってしまったし、早く帰って仕事の続きをしないといけない。
走って帰ればすぐだし、大丈夫かな。
そう思い、郵便局を出て駆け出した。
けれど、思っていた以上に雨が強く、すぐにびしょびしょになってしまった。
でも駆け出してしまった以上引き返すこともできない。
私はそのまま数分走り、会社についた。
帰りで良かった。行きだったら封筒がびしょびしょだったな。
エントランスでパッと雨を払い、身なりを整えていると、先輩が私の名前を呼びながら駆けよってきた。
「幸村さん?! 濡れて帰ってきたの?」
先輩の手には傘が二本、握られていた。
「近いし走れば大丈夫かなと思いまして」
「全然大丈夫じゃないでしょ。びしょびしょだよ。何か拭くもの……」
先輩はズボンの右ポケットに手を入れ、ハンカチを取り出した。
けれど、ハンカチを握り締めたままピタリと止まる。
あ……。
ハンカチ、私に貸してくれようとしたのかな。
でも、他人に使うのは嫌だよね。
咄嗟に出してくれただけでもありがたい。
そもそも、少し外出するだけだと思い、何も持ってきていない私が悪い。
「先輩、大丈夫です。デスクに戻れば拭くものあるので」
「そっか、ごめん」
経理部へ戻ろうとしたとき、エントランスに佐久間くんがやってきた。
私を見て驚いた顔をする。
「幸村?! びしょびしょじゃん!」
そう言ってポケットからハンカチを取り出し私の額をポンポンと拭く。
「佐久間くん、大丈夫だよ。ハンカチ濡れちゃう」
「何言ってんだよ。ハンカチは拭くためにあるんだから濡れて当たり前だろ」
「ありがとう……自分で拭くよ」
ハンカチを受け取り、とりあえず顔だけ拭かせてもらう。
額からぽたぽたと水が滴り落ちていたから正直ありがたかった。
「これ、洗って返すね」
「別にいいよ。それより服もけっこう濡れてるけど大丈夫なのか?」
「うん。何かあったときのために着替えを引き出しに入れてるんだよね」
先日、先輩の家でビーフシチューを飛ばしてしまったことがきっかけで、何かあった時のために着替えを一式置いている。
もし汚してしまった時に、その汚れた服で一日先輩の隣で仕事をするのがいたたまれなくなるのではないかと思ったから。
不安要素は少しでも解消しておきたいと思って。
「そうなんだ。やっぱり幸村はしっかりしてるな」
感心する佐久間くんは私からハンカチを取り、ポケットにしまった。
そしてこれから市場調査に行くんだと言い、出かけていった。
気がつくと、先輩はいなくなっていた。
経理部に戻り、デスクに座る先輩に声をかける。
「先輩、もしかして迎えに来てくれようとしてましたか? ありがとうございます」
「いや、結局間に合わなかったから。連絡すればよかったね」
先輩はパソコンに向かったままごめんね、と呟く。
謝る必要なんてないのに、少し元気のない先輩に申し訳なくなる。
私は置いてあった服に着替え、仕事に戻った。