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第1話

 幸村芽衣、二十二歳。大手家電メーカー星条に入社して三ヶ月目。

 二ヶ月の新人研修を終え、今日経理部に配属された。


 希望した部署ではなかったけれど、会社の一員として頑張ろう。


 そう思っていたのに、いきなりピンチを迎えた。


「松永、先輩……」

「幸村さん、久しぶり。僕が幸村さんの指導係だから、よろしくね」

「はい……よろしくお願いします」


 松永先輩は、大学の天文サークルで一緒だった二つ上の先輩だ。

 

 私は大学時代、先輩のことが好きだった。


 でも、あることがきっかけで気まずくなり、疎遠になったまま先輩は卒業していった。

 もう、会うことはないと思っていたのに――



 ◇ ◇ ◇



「芽衣、一緒に天文サークル入らない?」


 大学に入ってしばらくした頃、親友の咲子に誘われた。

 咲子とは入学してすぐに仲良くなり、ほぼ毎日一緒に過ごしていた。

 最近彼氏ができて会う機会が減っていたけれど、その彼氏が入っているという天文サークル一緒に誘われたのだ。


 どのサークルにも所属していなかった私は二つ返事で了承し、入ることに決めた。

 

 咲子の彼氏の凌さんは二つ上の三年生。

 サークルで初めて会ったけれど、明るくて気さくな人だった。


 そして、凌さんの隣には、いつも松永先輩がいた。

 松永先輩と凌さんは高校時代からの付き合いらしく、二人は気心知れた関係、という感じだ。

 先輩は、あまり口数は多くなく、いつも落ち着ついている印象だった。


 そんな先輩はたまに少し冷たく感じる時がある――。


 サークルの飲み会で、テンションが上がったメンバーの一人が先輩の腕に絡みついた。

 先輩はやめろ、と言って距離をとる。


 そしてぼそりと「気持ち悪い」と呟くのが聞こえた。


 少し驚いた。こんなにはっきり人に対して気持ち悪いなんて言うんだ。


 すると凌さんが、先輩の肩を組んで「こいつ、潔癖なんだよ」と言った。


 そんな凌さんの腕を、先輩はいつものことのように無言で振り払う。

 周りも気にしていない様子だったし、これがいつものことなんだとわかった。


 潔癖症……か。


 言われてみて、先輩の行動に納得がいった。

 飲み会中も誰かが手をつけた料理は絶対に食べないし、持参したアルコールティッシュでよく自分の机の回りを拭いている。


 先輩とは、適度な距離感が大事なんだと胸に刻んだ。


 その時、テーブルに唐揚げが運ばれてきた。


 さっきまではみんな適当お皿をつついていたけれど、先輩はあまり食べられていない。

 私は誰かが手をつける前に新しい割り箸で唐揚げを取り分け、先輩に「どうぞ」と差し出した。


 けれど先輩は黙って唐揚げを見ているだけで、受け取ろうとしない。


 もしかして、唐揚げいらなかった?

 いや、私が持っているこのお皿も嫌なのかも。

 ちゃんと聞いてから取り分ければ良かったのに。

 私、余計なことしちゃったかな。


 頭の中でグルグル考えて、やっと口に出した。


「いりません……でした?」

「いや、ありがとう」


 遠慮気味に聞くと、先輩はお皿を受け取ってくれた。

 その後普通に唐揚げを食べていたので、私はホッとした。


 距離感が難しく、何を考えているかわかりにくい先輩だけれど、意外と優しく、よく周りを見ている人なんだとしばらくしてわかってきた。


 夏の合宿で昼間の炎天下の中、凌さんはまるで子どものようにはしゃいでいた。


「合宿最高ー!」

「サークル活動の本番は夜なんだからね」


 咲子が宥めるも凌さんの熱は冷めやらない。


 すると松永先輩が呆れながらも水を差し出す。


「凌、少し落ち着けよ」

「おお! ありがとう。なんか喉渇いてたんだよな!」


 凌さんはペットボトルの水を一気に飲み干していた。

 素っ気ないように思えて優しい松永先輩のことが、気になるようになっていた。


 サークルで星座早見表を手作りしてみることになった時、私はカッターで少し指を切ってしまった。

 すると、どこからか先輩がやって来て、絆創膏を差し出してくれた。


「幸村さん、これ」

「ありがとうございます」

「気をつけてね」

「善処します」


 頭を下げる私に先輩は小さくフッと顔を緩める。


 松永先輩が、笑った……。


 初めて見た先輩の微笑みに、私は一瞬で心を奪われてしまった。


 それから咲子と凌さんと先輩の四人でいることも多くなり、私はどんどん先輩を好きになっていった。


 サークルに入って一年がたった頃、オリオン座流星群を大学の屋上で観察することになった。


 予習をしておこうと思い、オリオン座流星群について調べていると、先輩が隣に座る。


「オリオン座の一等星の一つ、リゲルは巨人の足っていう意味があるんだよ」

「そうなんですか! じゃあ私たちは巨人の足を見上げることになるんですね」


 他愛もない話をする時間がとても好きだった。


 もっと近付きたい、そう思うようになっていた。


 けれど、以前飲み会で聞いてしまった『気持ち悪い』が頭から離れず、一歩が踏み出せない。

 それでも側にいられるだけで幸せだと言い聞かせ、先輩に嫌われないように適度に距離を保ちつつ接していた。


 オリオン座流星群の日、サークルの皆で大学の屋上に集まった。

 それぞれ望遠鏡や双眼鏡を覗いていたり、星座のスケッチをしたりしている人もいる。


 咲子と凌さんは二人で仲良く星を見ていた。


 私は持って来ていたレジャーシートを広げ、寝転んで星空を見上げる。


「幸村さん、これ。冷えるから」


 先輩がブランケットを掛けてくれた。

 優しいな。ちょっとした気遣いがすごく嬉しい。


「ありがとうございます」

「僕も一緒に見ていいかな?」

「どうぞ……」


 レジャーシートの端によると、先輩が隣に座りゆっくり寝転ぶ。


 ち、近い。思っていたよりも距離が近かった。


 緊張して顔が火照ってきたが、お互い空を見上げているため顔は見られなくてすむ。

 心臓の鼓動が先輩にバレませんようにと願いながら、星空を眺める。


「星、綺麗ですね」

「オリオン座流星群は一時間に五つくらい見えたら良い方なんだよ」

「けっこう根気がいりますね……」


 静かで、穏やかな時間が流れていた。

 なんだか、二人だけの空間にいるような気がして、こんな時間がずっと続けばいいな、なんて思ってしまう。


 すると、私の手に先輩の指先が触れた。


 っ!!


 咄嗟に手を引っ込める。先ほどとは違う心臓のざわめきが苦しい。

 どうしよう。気持ち悪いって思われてしまったかな。

 謝ったほうがいいな。


 どうすればいいかわからず触れた方の手をもう片方の手で握っていると、先輩がおもむろにポケットからアルコールティッシュを取り戻し一枚渡してきた。


「え……?」


 先輩は何も言わず、もう一枚取り出すと自分の手を拭く。

 その様子に無性に泣きたくなりながらも、私もそっと手を拭いた。


 次の日から先輩を避けるようになってしまった。


 先輩の指が触れた瞬間、体中が熱くなった。

 もっと触れたいと思ってしまった。


 けど、先輩は他人に触れられることは嫌いだから、きっと私の気持ちは迷惑になる。

 そう思うともう側にはいられなかった。


 どう接したらいいか、わからなくなってしまったから。


 そうして距離ができたまま時間が経ち、先輩は大学を卒業していった。




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